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欠けているところがあるからこそ

先日の三連休で、「嘘を愛する女」を観た。TSUTAYAに借りに出掛けなくても、ワンクリックで48時間レンタルできる、Amazon Primeさまさまだ。2晩経っても余韻が残ってるので、感想みたいなものを書いてみようかなと思う。

※映画の内容のネタバレを含むので、知りたくない方は回れ右してください

長澤まさみと、高橋一生という字面だけで色気があるふたりの演じる男女の話。3.11をきっかけに出会い、街中で再会し、同棲を始めた男がくも膜下出血で倒れてしまい、そこで実は男は偽名を使っていて身元不明だ、全てが嘘だとわかってしまう。目を覚まさないので、女は彼の過去を知ることに奔走する、みたいな。

印象的なのは、長澤まさみ演じる主人公が、ただのいい女なんかじゃないってこと。可愛くて、欠けていて、さらには一緒に彼の過去を探してと頼む探偵の吉田鋼太郎に、「お前なんかと5年も一緒に居たやつの気が知れない」とまで言われる。仕事はできるけれど、大事なものが何か定まっていないように見える。

そして、高橋一生演じる男も、心に大きな穴が空いていて、それでもどうにか彼女に救われて生きてた。

ある夜、女が仕事の接待で深夜遅くに帰ってくる日が続いて、心配した男と喧嘩になる。ばーっと吐き出した言葉に、男は部屋を出て行ってしまい、しばらく経って探すと公園のブランコに座っていた。
そこで、女は隣に座って、最近生まれた姪っ子が可愛くて、子供は男の子がいいなと話をし始める。そこで、男は聴いた後にぽつりと、「自分には資格がないよ」とつぶやく。

女は直接的には謝ることができなくて、がしがし行動していくことで、何かを掴もうとする。彼は、一度自分に絶望している。

それでも、「自分には資格がないよ」と言った彼に、反射的に心の中で、そんなことない、と返していた私が居た。
どんなことがあっても、過去は過去だし、嘘かもしれないけれどそれが生きる術なのかもしれないし、今と過去は違う。過去に何があったとしても、どんな傷で心に穴が空いたとしても、その事実と今は切り離して考えられるはず。

完璧な人だから愛をあげられるわけじゃなくて、お互いに欠けているからこそ、補い合える部分もあるんだなって。
それは救いだし、許しだし、諦めだなって。そんなことを、思った。

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