面倒な自分を少しだけ俯瞰してみる
noteを書く習慣が明らかに減った。振り返ってみると、2019年11月からは月2〜3本。心が動くことは色々あったはずなのに、言葉にする時間も余裕もまったくなかった。祖母たちが他界したこと、職場での変化とそれによる環境の変化、パートナーとの関係、ウイルスによる社会のざわざわ。時間は平等に過ぎて、気付けば冬から春になっていく。職場がある中目黒では、人間たちに関係なく桜が咲いている。
私自身は毎日を過ごしていくのがやっとで、あっという間に一日が終わっている。人と会うことや、副業でのアルバイトでお客様とやりとりすること、同僚とのおしゃべり、SNSやコミュニティでの気遣い。そういうものたちに、どれだけ救われているだろう。文章に、いつかの誰かの言葉に。
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最近考えているテーマは、「我慢する、耐える」って方法を取らなくても、相手を受け入れて尊重して、一緒に生きていくとか、前に進んでいくって、具体的にどういうことなんだろう?ってこと。
サクちゃんのnoteや新刊を読んだり、コミュニティ内のメンバーと雑談してみたり、自分の日々の心の動きを観察したり、ドロドロする気持ちも封じ込めずに眺めてみたり。
他者を大事にする。他人は自分の思い通りには動かないと知ること。相手がどんな選択や行動をしても尊重することで、ショックは受けても自分を否定しなくて済む。相手への敬意。(世界は夢組と叶え組でできている/桜林直子)
ぐるぐる考えていても、今のままのわたしにはまだわからなくて難しい。尊重したい、という気持ちが顔を出すけれど、それが「わたし自身を押し込めなくちゃ、我慢しなくちゃ」に勝手に変換されてしまう。思考の癖になっているみたいだ。勝手に期待もして、ぬか喜びして、悲しくなる。面倒だなぁ、と半ば諦めの気持ちで自分を眺める。
時間が経って、少しずつ、ほんとうに少しずつ、「自分の機嫌を自分でとる」がうまくいくときもある。ここ最近の話で、調子のいいときはうまくいくけれど、だめなときだってある。ひとつずつ、前に進めればいいや、って思える今は大丈夫に近づいている気がする。
ざわざわ、それに流されないように、わたしは何を考え続けて、変え続けて、変わらないでいられるんだろう。不安でもあり、楽しみでもある。
誰かと、こういうテーマについて話してみたいな。
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