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ゴースト 背後に潜む者たち


わたしの妻は、しばしば霊を身近に感じると言います。だから、人の集まる場所をあまり好みません。ディズニーランドも、映画館も、レンタルビデオ店でさえ、入りたがらないのです。そんな者にとっては、霊界は、もはや現実だと言うべきかも知れません。

わたしたちは、常に霊界の影響の下に生きています。だから、とても偶然とは思えないことも、起きるのです。

もうかなり前になりますが、テレビ番組 “アンビリバボー ” で紹介された、心臓移植手術を受けた女性の話を、ご記憶の方もいらっしゃるでしょう。 手術後、彼女には次々と不思議な変化が現れるのです。煙草を吸うようになり、以前はけして口にしなかった脂っこい食べ物やコーラを好むようになるのです。内向的だった性格も、活発な性格に変化していきます。彼女は自分の身の上に起こったそういった変化は、心臓の提供者、ドナーに関係があるのではと気づき、けして明かしてはならない決まりになっている、ドナーの家族との面会を強く希望するようになります。医師を通じて手紙を送り承諾を得た彼女はやがて、ドナーの両親との面会を果たし、ドナーが交通事故で命を落とした若い青年だったことを知ります。そして、その青年が、煙草とコーラ、脂っこい食べ物を好んでいたことも確かめるのです。その面会は、初めて会う者同士とはとても思えないような、言いようもない懐かしさに震える感動的なものになったのでした。

けして、心臓に死者の記憶が宿るわけではありません。その青年が、自分の提供した心臓のそばに留まっていたからだと、ぼくは確信します。

死んだ青年は、彼女を通して、吸いたくてたまらない煙草を吸い、コーラを飲み、フライドチキンを食べていたのでしょう。彼女にとっては、あまり良くない習慣がついてしまったようですが、前向きで明るいものへと、性格を転換できたのが大きなメリットだったに違いありません。

「じれったいなあ、この人は! もっと自分に正直に行動すればいいのに」と、彼女の背中を押したに違いありません。

自分の死を受け入れられない死者は、この世界にとどまり、彷徨うしかないのです。とくに、事故死のような突然の死の場合、心の準備ができていないので、自分が死んだことさえ分からないこともあるようです。


このようなことを考慮すると、わたし達は常に背後にいる者の影響を受けて生きているのだと、観念するべきではないでしょうか? 我々は、残念ながら霊にフォローされているのです。善霊ばかりなら問題ないのですが、おそらくそうではないでしょう。

だから、我々の方からフォローし、どんな霊をそばに置くかが問題なのだと、能動的に捉えてみてはどうでしょうか? 友人と考えてみれば分かりやすいのです。悪い友人に囲まれていては、人生もいい方に開けません。仲間の幸福を望むような友人を持つべきなのです。

その方法は、案外簡単かも知れません。霊界と言うと、なぜかいつも、呪術や、降霊術、安倍晴明のような陰陽師、霊媒師、悪魔祓い、エクソシストなど、霊を操るテクニックばかりを連想します。しかし、もっと当たり前で、基本的な人生の原則が大切なのではないでしょうか。

誠実に一生懸命に生きれば、だれでも応援したくなります。霊だって同じです。逆に、こんなやつ不幸のどん底に落ちてしまえと思われるような暮らしぶりでいると、善霊は去り、悪霊ばかりが集まってってくるはずです。霊と言えども、その心は生きている人間と変わらないと言います。

霊界を意識して生活する者は、我々はけして、ひとりになることはないと主張します。必ずだれかが見ていると言うのです。周りに人っ子ひとりいない時、だれも見ていないからと、人間は無責任に行動したり、つい悪事に手を染めたりしてしまうものですが、そんな時、この世とあの世を隔てるマジックミラーの向こう側には我々を見ている観客がいて、味方につくことも、敵に回ることもありえると、考えた方がいいと思うのです。




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