届かない について考えてみた
届かない
について考えるきっかけは、最近郵便が届かない…とかじゃなくて
色んな人から大切にされているということを、理解しているけど、
実感ができないのは、なぜなんだろうと、悲しくなたことです。
受け取りの上限があるような気がする。
ふるいにかけられてるような感じ。
網目が細かくて、少しの量だとすっと落ちて来て幸せだなぁと思う。
でも、色んな人から一気に大切や好きを貰うと塊になって、ふるいにかけられない。
なんか、損だよね。たくさんの大切を貰ってるのに。孤独が深くなる。
割と末っ子魂ガンガンで、色んな人に構ってもらってるんだけど、キャパオーバーになると、ごめんなさいって言いたくなる。(そのごめんなさいは、何に対してかは私にも分かりません…✋)
幸せだなぁと思うことも同じで、楽しいことが沢山あると途端に届かなくなる。
そんなことを考えている時に、思い出したことがある。
前にとある人から、ラブレターを貰ったんですが、お正月の年賀状シーズンということもあり、送ったと聞いてからなかなか届かない。
届かないことを伝えると、画像でくれたのですが、結局1週間ぐらいあいたのかな?それぐらいで届きました。
封を切り読んで、悲しくなりました。
画像で読んだ時、彼女が私と話す時、そこに私はいない気がしました。
生身の私ではなく、彼女の中の理想の私のような気がして。
でも、手紙の中には私がきちんとそこに居たんです。
媒体が違うだけでこんなにも変わるものかと...。
届かなかったことで私には届かなかった想いなのですが、それもそれで、必然だったのかもしれません。
かなり愛されることに抵抗のある私なので、孤独にのまれていた気がします。
色んな媒体を通して、大切や好きを伝えてくれることはとても嬉しいことなんです。
本当に
全ての気持ちを貰うことが出来たら、私はものすごく幸せに満ち溢れるんだとおもう。
でも、秋鹿庵月はいなくなってしまうと思う。
愛されること大切にされることは辛いことだけど、それが私、だから書ける。
そう思って
届かないを
楽しんでみよう
背中痛いんだけど手が届かない…叩けない…
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