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敬愛するアサー

先日、6月29日 午後8時17分

祖父 久部良竹仁がしばらくの間、遠くへ旅立ちました。全然整理つかないけど、ここ記すのは自分を整理していくための行為。

28日に県外から沖縄本島に帰ってきた。
首里にいるアサーの所へ行き、帰ってきたよと報告するのが私のルーティーン。飛び回る私だが、沖縄に拠点を置くようになってからは、行く時と帰ってきた時は、次はいつ帰ってきて、いつまでいると伝えている。
アサーはいつも私の事を心配する。どこにいるのか、何してるのか、電話がかかってきて取れなかったら、折り返した時に「寝てたか!?」と言われる。仕事してたっつーの。
アサーの中では中学生のニーブヤーな私でとまってるっぽい。

28日は夕方に沖縄に帰ってきて、アサーのいる親戚の家で夕飯を一緒に食べ、来週末は与那国へ一緒に帰ろうねと話した。今回沖縄を出る前から、今度帰ってきたら与那国へ一緒に帰ろうと話してたいた。私もアサーも楽しみにしていた。
食欲は少なかったけど、食後の運動もしていた。

「じゃあ明日チケット買ってきたらまた来るからね、また あったいぇー!(また明日ね)」
「おう」
「ひるんど(行くよ)」

その会話をして私は自分の家へ帰った。
翌朝の29日、家から首里へ向かおうと思って
いた頃、県外にいる母から電話がきた。

「アサーが倒れて救急車で運ばれた。危ないかもしれない」

思考が停止した。

だって、昨日一緒にご飯食べて、与那国帰ろうって言ったじゃん。

すぐ病院へかけつけた。
アサーは倒れてから病院に運ばれてからしばらく心臓がとまったが、懸命の処置で息を吹き返した。
危篤状態。
沖縄にいる親戚中が集まってきた。その時はもう会話はままならなかった。

「あいかど、あさ、ばがるん?
ぶーる くんがら しばきんなよ だいどぅぶど
どぅなんちまんきや また 今度 まどぅん むどぅるど」(あいかだよ、じいちゃん、わかる?皆来るから心配しないで大丈夫だよ。与那国にはまた今度一緒に帰ろうね)

「おう」
か細い息と共に漏れた声
見た事ない目をしていた
私を見ていなかった
視界が見えてるかさえも分からなかった

いつその時がきてもおかしくない状態のまま、でも、息を吹き返したからこそ、日中に沖縄本島にいる多くの子や孫たちが駆けつけることができた。
最期まで蘇る男だった。
アサーはこれまでに何度か手術台にのるような怪我をしては蘇ってきた男だ。
よく口にする武勇伝だ。

コロナもあり、病院に多く残れないため、長男叔父さんだけ病院に残り、一度叔父叔母達と首里の家に戻って、いつでも動けるように待機してた。
その時の連絡がきた。病院へ向かう。アサーは今身体を綺麗にしてるからしばらく待つよう言われる。我々は看護師さんに死亡診断書を説明される。アサーの名前が既に書かれている。
目の前の現実を現実として未だ受け止められないまま足は歩く。
アサーが最期にいた病室で待っていると、白布に覆われたアサーが運ばれてきた。それをめくると、いつもみたいにアサーが眠っていた。
叔父叔母とアサーの自前の袴に着替えさせた。大きくて勇ましい男だと島で言われていたアサーは随分軽くなっていた。
袴に着替えたアサーはやっぱり男前だった。

葬儀場の安置室に連れてこれたのは23時頃だった。がらんとした部屋の和室に眠るアサー。
この日は、私だけそこに残り、久しぶりにアサーの横で一緒に寝た。
眠れなかった。
泣き喚いた。
黙って寝ているアサー。
明日の朝一で沖縄に来るからとしていた母は唯一間に合わなかった。その夜はアサーと母とテレビ電話をした。
なんでもう少し待ってくれなかったか
島に連れて帰れなくてごめん
たくさんのありがとう
2人で泣きじゃくる横でアサーは寝ている。
寝ていたらこの人は口を大きく開けてうるさいいびきをかくけど、しっかり口を閉じて静かに寝ている姿を見ると不自然で仕方ない。

母と電話を切った後も、祖父を見つめていた。
今夜も祖父の隣で私は見つめている。
じーっと見てたら目が開きそうな気がする。口をあけていびきをかきそうな気がする。それでもピクリとも動かないから胸がしめつけられる。
現実をつきつけられる。
これを書きながらも涙がとまらない。
昼間は多くの人が駆けつけて賑やかだが、夜は涙がとまらなくなる。
そばにいるのに、もう会えない。
首里の家に行けば、与那国に帰れば、アサーがいるんじゃないかとまだ思う。目の前にいるのに。
まだここにいるなら出てきて欲しいと願う。伝えたいことがあるなら夢でいいから出てきて欲しい。もう一度あなたの声がききたい。
会いたい。話がしたい。名前を呼んで。教えてもらいたい事がまだたくさんあるんだってば。
もう少し早く一緒に島に帰ったらよかった。来週帰ろうねって言ったじゃん。
ごめんね。本当にごめん。帰りたかったよね。
あいかが帰ってくるの待っててくれてありがとう。本当は29日に帰ろうか迷っていたんだ。
最期を見送らせてくれて あらーぐ ふがらさゆ。

与那国島で一緒に暮らした愛しい日々
たくさん怒られたし、褒められた。父親が離れて暮らしていた分、アサーは私にとって育ての親のようでもある。1番名前を呼んだ。
あなたがいるから今の私がある。故郷を愛せているのはアサーのおかげだ。私が映画をつくれたのも、島に根っこを置いてるのも、あなたがいるから。あなたは私の帰るところ。
島で家主の帰りをずっと待っているウチのボロ屋。全てにアサーとの思い出が詰まっている。次に島に帰ったとき、私はアサーの面影を探すだろう。
現実と願望の狭間を区別がつかないまま彷徨っている。

アサーが愛し大切にして守りぬいてきたもの。私も大切にしたい。守りたい。
あなたは多くの人々に島のことを教えてくれたね。多くの人に頼りにされてたね。あなたがどれだけ信頼され、尊敬され、愛されているか、周りの人々をみればわかる。
誠実に、辛抱強く、かしこく、勇ましく生きたその姿、大往生あっぱれよ。
カジマヤーまであと少しだったのに。島に帰ってパレードしようねっていってたのに、ひゃくはたち(120歳)まで生きるっていつも言ってたのに。
最期まで誰にも苦労かけず、その上一度戻ってきて皆の顔みてポックリいきやがった。死に際までかっこいい。93歳だった。

敬愛するアサー 久部良竹仁
たくさんの愛をありがとう
未来永劫自慢のじいちゃん
大好きだよ

涙が溢れて眠れない夜がまだ続く
今日もあなたが目をあけて名前を呼ぶのを待っている。起きてよ。

あなたが空に行くまでの少しの間
久しぶりに一緒に寝る日々を過ごそうね。

あーまだ全然ムリだ
スマホの中で笑うアサー
目の前で眠るアサー
ここじゃないどこかにまだ生きてると思っている

もう一度あなたに会いたい
会いたいよ

今日も目を腫らして外が明るくなった

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