温かいものを食べたい

島の気温15度。
都会に比べたら暖かいのだろうけれど、風が強いので体感温度はもっと低いんじゃないかな。
そして家には暖を取れるものがない。
お湯を飲むか、毛布くらいだな。あー寒い寒い。コタツに住みたい。
そして雨が止まないんだなこれ。また畳からキノコが生えちまうよ。
どんな家を想像されちまうかこれで。
THE冬の与那国の天気、全国トップレベルで1月の日照時間が無さそうだ。

年末に兄に誘われ長野へ人生初スノボをしに行ったのだけれど、途中でパウダースノー?になって100m先が見えないくらいになった。あぁ、雪山遭難は絶対したくない…って身の危険を感じながら雪国育ちを尊敬した。

なんてことを思い出して身を縮こめながらつらつらかいている。真夜中。
隣の家の猫が首輪の鈴を鳴らしながら家の倉庫に入ってきた音がする。
島に帰ってきたのは12月上旬。年末年始だけは家族のところへ行って、島に戻ってきた。

大きい古い家でずっと一人。

アサー(祖父)はいない。

だから朝昼晩の料理しなくていいんですよ。1人だとご飯作らなくていい。はは。うるさいイビキは聞こえないし。洗濯物は1人分だし。トイレやベットは汚れないし。楽だよほんと。1人分。

アサーは私が帰ってくるのを首を長くして待っていた。近所の人に私が帰ってくるのを嬉しそうに話していたらしい。それなのに、私が島に帰ってくる1週間前にアサーは島を出て、私と入れ違いになってしまった。

いつもアサーが座っている椅子の横に立派な大きなカゴが完成してダンボールにいれてある。私のために作って待っていたらしい。
帰ってきてそれを一度も触ってない。アサーからもらわないと意味が無い。嫌だ。
ずっとそのまま触れずに置いてある。

コロナワクチンの摂取が遅れて島に帰るのが12月になってしまった事を悔やんでいる。私が早く島に帰れば今日も2人分のご飯を作ったのに。
悔しくて悲しくて申し訳ない。

昨日は久しぶりに嗚咽まじりに声を上げて泣いた。外が雨でよかった。どうしようもできない現実に納得なんかできず、時に抗えず、私も歳を重ねる。過去に囚われすぎなのか。この地に縛られすぎなのか。駄目なことじゃないだろう。許しておくれよここで生きること。

私が15で島を出てから、アサーは島で一人暮らしになって10年程。アサーの子供は誰も島にいない。今の時代だと島で仕事をみつけ結婚して家族を作って暮らし続けるのは簡単ではない。
この家で1人、10年、いつも誰かが訪ねてくるのを待っていた。私が帰ってくるのを待っていた。
今度は私がアサーの帰りを待っている。
願いを込めて家を掃除する。
アサーの作業場の倉庫にはつくりかけのカゴがそのままある。完成をまっている。

そんな負の感情が押し寄せている時ほど、創作意欲がドロドロと溜まり、成仏させたくなる。
半分嘔吐だ。苦しい出産。
カタチにして慰めたいのか自分を。ずっと分からない。
そうなったのも閉鎖的な17歳の時からだ。あの時はずっと絵を描いていた。昇華なんて程に美しくなく、不格好で、どうしたらいいのか分からなかった。正解とかないけれど。

私は貴方の存在を食べて、泣きながら噛み締め、消化し、エネルギーにして、身体の一部にして、産むのだろう。
一つの生きる行為だ。

そうしないと自分も人も愛せない。
愚かでちっぽけで美しいと思う。


日をまたいだ今日は京都へ行かなくては。
寝る前の長い日記になってしまった。
アナタの愛する人々が今日も美味しいご飯を食べ、暖かい布団で寝て過ごしていますように。

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