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こんな風に音楽を見てる人もいる。僕は歌詞重視派。

音楽というジャンルにおける好みというものは、僕は他の人と分かち合えない価値観ランキングトップ3に入ると思っているくらい千差万別に感じる。

人から紹介された本は読むけど音楽は聞かない。
人から紹介された動画は見るけど音楽は聞かない。
人から紹介された人とは会うけど音楽は聞かない。

僕はそう。

たまに聞いてみたりもするけど響くことは千に一もない。

音楽の好きにも濃淡がある。

好きな曲ナシ。数曲はすき。3割くらいの曲は好き。7割くらいの曲とアーティスト自体は好き。ほぼ全曲とアーティストの生き様が好き。

楽器をやってたわけでもない。何かを生み出したことがあるわけでもない。ただひたすらに、ただ純粋に音楽を消費する側の僕でも、気付けば僕なりの音楽の見方をするようになった。

音楽を生み出す才も、そこへの時間的、金銭的投資もしなかった僕でも、幸運にも音楽の恩恵を受け取ることができた。

僕の音楽の見方をあえて派閥分けするならば生粋の歌詞重視派だ。

僕はどんなにメロディが良くてもボーカルの声が良くてもその曲の歌詞を好きになれなかったらその曲を好きにはなれない。

僕は歌詞を文学として見ている。

言い換えると、僕の人生を以って歌詞全体の変数xのようなものを解釈していくような歌詞が好き。

聴くたびに新たな発見があり、歌詞中のとあるフレーズに引っ掛かりつづけ、結局よくわからないままだけど、どこかわかったような感じがする感覚が好き。

僕的良い歌詞の特徴として、点と点の距離感が絶妙であることが一つある。

絶妙な距離感のフレーズは僕の想像力を掻き立てる

点と点の距離が近すぎると歌詞に深みがなくなり、遠すぎると何が何だかわからなくなる。

そういったところを僕は楽しんでいる。

ではメロディとボーカルの声はどうでもいいのかと言われるとそうではない。

僕は、詞はメッセージや主張、メロディとボーカルは詞の説得力を生み出すものだと捉えている。

ぼくはメロディのカッコよさ、ボーカルの声や歌い方、感情の込め方、生き方のこれらは、詞の説得力を支持するものとして見ている。

僕が思う音楽のずるいところとして、詞の中で十分な正当性を示す根拠がないのに、さもそれが絶対に正しいかのように主張してしまうところが挙げられる。

しかし、たしかに限られた詞の中でだらだらだらだらと主張の論拠を示すことなんてのは到底できない。

だから音楽は、その主張の正当性をノンバーバルな部分に持たせている。

それがメロディであったり歌い方であったり声であったり人の生き様であったりする。

この作品の主張を支持するノンバーバルな説得力を芸術と呼ぶのかもしれない。

ここまでをまとめると、僕は
・音楽を歌詞重視で楽しみ、
・歌詞を文学として捉え、
・メロディやボーカルは歌詞への説得力として捉えている。
という感じになるのかな。

世の中にはそういう風な視点で音楽を見てる人もいるよというお話でした。