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アイゴヒストリー1 『アイゴ誕生」

アイゴは、目が見えても見えなくても見えづらくても、どんな視覚の状態の人でも打てる囲碁盤です。
碁石は裏面に刻みが掘られているので、立体的に浮き上がった線に固定でき、黒白の違いも触って判別できる造りになっています。

元々アイゴは、1980年代に奈良県桜井市にお住まいの米田昌徳さんによって考案されました。
糖尿病の合併症で失明してしまったおじさんのために、再び大好きな囲碁を打ってもらおうと作ったと、私は米田さんから聞いています。
米田さん自身は囲碁を全くご存じなく、お世話になったおじさんのために私財を投じて制作された、強い思いが籠もっているアイゴ。

アイ は「目が見えなくても」、 ゴ(go) 「前に進んで欲しい」という願いが由来になっています。
米田さんは、目が見えなくなってしまったおじさんに元気になってもらいたくてこの名前を付けたのだと思います。

完成した後も米田さんは、折角作ったのだから囲碁を楽しんでもらおうと、他の視覚障害者の方々にも色々な場所でアイゴを配ったそうです。
残念ながら当時は囲碁を趣味にしている視覚障害者がいなかったのか、アイゴはあまり日の目を見なかったと聞いています。

それからしばらくして、視覚障害者への囲碁普及を考えていた関西棋院の森野節男九段がアイゴを発見し、米田さんに連絡、当時のアイゴの在庫を全て買い取り、ご自身の活動に使用しました。
少しづつですが、視覚障害者の囲碁愛好家も増え、アイゴを使って碁を楽しむ人も出てきました。
当時のアイゴは十九路盤だけしかなく、盤上に自作のカバーを被せて十三路盤や九路盤にして使う人もいたそうです。
更に、視覚障害囲碁普及会主催による関西での視覚障害者囲碁大会が始まったこともあり、関西方面で視覚障害者の囲碁愛好家人口は増えていきました。

しかし、視覚障害者への囲碁普及が順調に進みそうな段階で一つ問題がありました。
それは、アイゴ誕生から20年以上経っていたため、大量生産するための金型が劣化して使用できなくなっていたことです。
アイゴはプラスティック製なので、製造するためには金型を必要とします。

「囲碁人口が増えても打てる碁盤が無い」

これは森野節男九段をはじめとする、視覚障害者に囲碁普及を考えている方々の頭を悩ませる問題でした。

当時、アイゴの他には、板状に丸い穴を空け、その穴に碁石を差し込む方式の十九路盤や、視覚障害者用のオセロに似た碁石をはめ込む九路盤などもありましたが、線が立体的になっている造りのアイゴは、他の碁盤とはデザインが全く違うものでした。

このままでは、十九路盤で打つ視覚障害者が碁盤を手に入れることができない。

どうなるアイゴ?

続く

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