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パスポート申請しに行っただけなのに、知らないオッサンの頭をぶっ叩いてしまい、警察を呼ばれた話。

【はじめに】


 みなさん、『最後に全力でモノを叩いた経験』は、いつか覚えていますか?

 『蚊をつぶしたとき』『ライブでのクラップ』『不倫した旦那を平手打ち』など、色々なシチュエーションがあるかと思います。

 僕は、『知らないオッサンの頭』を、全力でぶっ叩いてしまいました。

 なぜ、そのようなことをしてしまったのか、自戒を込め忘れないよう、当時を振り返りつつ、ここに記したいと思います。


【第1章:パスポートセンター】


 「6月の頭に、アイドルのライブが台湾であるから行こうよ」と、友達から誘われていた。
 僕のパスポートは、とうの昔に失効していたため、申請に必要な書類一式をそろえた。
 シフトが休みの今日、証明写真と同じ格好の方がいいかと思い、スーツを着て、髪も整え、パスポートセンターへと車を走らせた。

 現在時刻は、午後3時過ぎ。
 パスポートセンターに到着した。
 昨日までGW。大型連休明けということもあってか、受付窓口前の待合スペースには、それなりに人がいた。家族連れや若い子が多かった。 
 窓口に置いてある発券機から、番号札を1枚手に取る。呼び出し表示板の番号を確認すると、自分の番が来るまで、あと13人くらいの待ちだった。
 申請窓口は3ヶ所。受取窓口が1ヶ所。どちらもフル回転で対応している。
 5分くらいで終わる人もいるが、やはり必要書類に不備があり、係のお姉さんと長いことやりとりしている人もいた。
 僕も自分の番が来るまで、空いていた長椅子に座ることにした。
 誰もが口には出さないけれど、やはり自分の番が来るまで待つ時間というのは、多少なりともしんどい。
 ましてや、頻繁に起こることではない、パスポートの申請にみんな来ているのだ。慣れた人の方が少ないかもしれない。
 それでも、みんな、スマホを見たり、ゲームをしたりと、ただ自分の番まで待つしかなかった。

「〇〇番の方いますかー?」

 1人の女性が待合スペースに現れた。
 申請窓口だけでは捌くのに時間がかかるためか、追加で係のお姉さんが待合スペースに登場した。
 あとで知るのだが、どうやらパスポートのおおまかな申請手順が、『①必要書類の確認』をしてから、『②本人確認』をし、『③旅券受領証の発行』となり、後日『④パスポート受取』となる流れだった。
 おそらく、通常時は申請窓口で①〜③の業務を行っているのだろう。
 しかし、現状10人以上が待っており、窓口が閉まる17時まで、あと2時間を切っている。
 待合スペースに現れた係のお姉さんは、『①必要書類の確認』だけを行い、残りの②③だけを申請窓口で済ませられるよう、業務分担により、待ち時間の短縮を始めたようだ。

 これも後に申請して思ったのだが、意外と『②本人確認』の業務が、言葉悪いけど「すんごい細かすぎる」ため、時間がかかっている原因だった。
 「直筆サイン欄に線が付け加えられたりしていないか」「直筆サイン欄に小さく黒点があるがこれも転写しても問題ないか」「申請写真の背景が水色だから頬が実際より青く見えるけど大丈夫か」「目の下にある小さく薄いホクロがちゃんと写っているか」など。大きな不備がなかった自分でも、自然現象のようなものについての「認識・確認・承諾」工程が多すぎる。
 もちろん、パスポートは国を越えるための、超重要な身分証だ。万が一のときに、自分を証明するための最重要アイテムにも位置付けされる。
 パスポートは、決して間違いが記載されていてはいけないモノなのだ。


 話を待合スペースに戻そう。

 係のお姉さんは、番号順に申請者の元へ行き、『必要書類の確認』を行っている。
 お姉さんは手際が良く、対応する申請者に「これダメなんですか?」「郵送で対応出来そうですけど?」みたいにワガママや不満を言われても、「申し訳ありません」と謝罪を述べてから、「〇〇という理由で出来ません」と説明をしている。
 お姉さんが現れたことにより、申請窓口の回転も、少し早くなったように見える。

 しかし、同時に、「呼び出し番号の重複」という弊害も、数回起こってしまっていた。

 お姉さんは、窓口の発券機の上にある「現在呼び出し中の番号」の表示板を見て、その次の番号の人を探し、その人の元へ行き対応していた。
 そのため、3ヶ所ある窓口のうち、1つの窓口が空いたとき、次の番号が機械音声で呼び出される。だがしかし、その番号は現在お姉さんが対応しているのだ。
 とはいえ、窓口に座り受付業務をしている係のお姉さんたちは、待合スペースにいるお姉さんが「いま何番の方の対応をしているか分からない」状況である。
 したがって、窓口のお姉さんも、発券機の機械音声が流れた後に、「◎◎番の方いますかー」と声を出す。そうすると、待合スペースにいるお姉さんが「すいません◎◎番の方対応しています」となる。
 そのあとは、その呼ばれた◎◎番の人とお姉さんは窓口に行って、待合スペース担当のお姉さんが窓口のお姉さんに「ここまで終わってます」と引き継ぎ、窓口にて続きの確認作業をされる、という流れが出来ていた。

 おそらく、この流れが良くなかった。

 申請窓口の受付業務という観点からすると、「回転率が上がった」のは誰が見ても確かだった。
 ところが、僕ら待合スペースで待っている申請者たちからしたら、「周囲の環境が騒がしさを増した」という状況にも、残念ながらなってしまっていたのだ。
 待合スペースには、子どももたくさんいた。
 ぐずる子どもの声、飛び交う関係のない番号、意味のない呼び出し機械音声、誰かに謝る声、長々と説明する声。
 長時間待機している人に、どんどんストレスが加わるという、重苦しい展開。
 待合スペースの雰囲気は、悪くなっていた。


【第2章:オッサンにキレた僕】


 とうとう、自分の2つ前の長椅子に座っていたオッサンが、痺れを切らした。

 「その番号はそこでやってるだろ! 次の番号呼べよ! 分かるだろ!」

 白髪混じりの短髪で、頭頂部が少し薄いオッサン。ガタイは自分と変わらないくらいの中肉中背。
 ただ、もう今の一言というか態度で、『あー、これ市役所とかでよく怒鳴ってるタイプの面倒な人だ』って、オッサンの後ろ姿から感じた。
 待合スペースにいるお姉さんが謝っている。

 「お待たせしました、お次●●番の方」
 「俺だ」

 なんとも言えないタイミングで、オッサンの番が回ってきた。
 申請窓口は、3ヶ所とも人がいる。
 オッサンの番号を呼んだのは、待合スペースにいるお姉さんだった。

 「大変お待たせしました。●●番ですね」
 「そうだ」
 「まず、申請書類の確認を申し訳ありませんがここで行わさせていただきます」
 「いいから、早くやってくれ! あんたらどんだけ待たせるんだよ」
 「申し訳ございません。今回申請されるのはご本人様でしょうか?」
 「違う! 俺じゃない、ここに書いてあるだろ!」

 そう、オッサンは家族か誰か知らないが、本来申請する人の『代理人』として、パスポートセンターに来ていた。
 確かに、先に受け付けていた家族連れの子どもなんかも、親が代理人として申請をしている様子だった。
 ただ、オッサンは1人で来ているようで、申請者本人はこの場にいないようだ。

 「それでは、代理人様の確認を致しますので、身分証のご提示をお願いします」
 「これだ!」
 「はい、ありがとうございます。確認致しました。それでは、今回パスポートを作られる申請者様の確認が出来る身分証をお願いします」
 「あ? 今持ってない!」
 「えっ?」

 お姉さんも、僕も、その場にいる人おそらく全員が思った。

 (それ、詰んだんじゃね?)

 「なんだ! 持ってこれるわけないだろ! 本人(仕事で)運転するのに、俺が運転免許証持ってくるわけにいかないだろ!」
 「それは、その通りなんですけれど。ただ、申請書類に記載されている事項と同じことを確認出来るものがないと、申請を通すことが出来なくて」
 そりゃ、そうだ。
 いくらオッサンが長時間待っていたとしても、ここでお姉さんが「はい、分かりました」と言うわけがない。
 しかし、オッサンも食い下がらない。
 長椅子に座りながら、意味不明な説明をお姉さんにずっとしている。
 お姉さんは膝をつきながら、オッサンにずっと謝ることしかできない。もちろん、お姉さんも低姿勢ではあるが、当然オッサンの要求を受け入れることは不可能なのだ。
 自分の主張が通らずも、低姿勢であるお姉さんに対し調子に乗り続けるオッサン。たちまち、オッサンはヒートアップしていき、ついに怒鳴り散らかした。

 「だいたい! なんで申請ひとつにこんだけ時間がかかるんだ! どんだけ待ってると思ってるんだ! お前らがバカだからじゃないのか!

 僕は、左手にカバンを持ち、その場を立ち上がった。
 何歩か進み、必死にお姉さんを口撃するオッサンの左後ろに立ったところで、

 そのまま、右手の平を振り下ろし、オッサンの頭頂部を全力で叩いた。

 パスポートセンター中に、綺麗な「パチコーン!!」という音が響く。

 それまでの喧騒が嘘だったように、静かになった。

 ジョリジョリしたオッサンの頭を鷲掴みながら、僕はお姉さんの方を見る。
 そりゃあ、そんな顔するだろうなってくらい、マスク越しでもわかるほど口開けて驚いていた。
 オッサンの顔を見下ろす。
 眼鏡越しにもよく見えるほど、目が見開いていた。
 オッサンも、僕の顔を見て『自分がコイツに叩かれた!』と認識したようだ。
 その事実には、何の本人確認もいらなかった。

 「おい、おま!」
 「シッ!」

 右手をオッサンの頭頂部から左肩につかみ変え、カバンを放り、左人差し指と目で静かにと促す。

 「いや! アンタ!」
 「シッ!!静かに!!」

 左肩をグッと押し込み、オッサンに顔を近づける。
 業務に忙しかった窓口も、ゲームに夢中だった子どもも、スマホに目を落としていた女の子も、全ての視線がコッチに向けられていた。

 オッサンの目が少し変わった。
 初めは攻撃的に僕の顔を見ていたが、どこか余裕のある目つきになった。
 オッサンも、自分のしていたことを思い返していたようで、穏やかに話し出す。
 「いや、大声出したのは悪かった。ただ、いきなり人の頭を叩くのは、日本の法律としてダメだろう」
 オッサンは、お姉さんの方を向き「警察呼んでくれる?」と言った。
 お姉さんが、「いやでも」と何か言いかけたので、僕は食い気味にハッキリ言った。

 「そうですね! お姉さん、申し訳ありませんが、警察に連絡してもらえますか? 僕がこの人を叩いたのは事実ですから!」

 おそらく、何かが叩かれた大きな音と、オッサンのセリフ、そして僕の今の発言で、その事件の瞬間を見ていなかった人たちも、脳内処理が完了したようだ。

 『スーツの人がオッサンの頭を叩いたんだ』

 稀によくあることだろう。

 ただ、僕の自白をもって、オッサンも自分のペースを取り戻したらしく、意気揚々と喋りだす。
 「早く警察呼べよ! 叩かれたんだぞ!」
 「お姉さん、警察に連絡お願いします!」
 「し、少々お待ちください」

 僕が、オッサンの要求を即飲み、お姉さんに警察を呼んでもらうのには、いくつか理由があった。

 ひとつは、どう考えたって『オッサンの頭を叩いた僕の方が悪い』からだ。
 こんなもん、ただの暴力で、普通に暴行事件である。警察を呼ぶのは当然だ。

 もうひとつは、『こーゆータイプの人間は、こちらが下手に出ると、ひたすらつけ上がってくる』からだ。
 今この場で僕が謝罪すれば、それで終わり。とは絶対ならない。
 きっと、オッサンはさっきまでより余計に怒鳴り散らかし、お姉さんに無理難題を突きつけ、僕のことをずっと叱るだろう。
 だから、叩いたという事実は認めても、決してこちらが悪いという姿勢をとってはいけないのだ。必要以上に、付け入る隙を与えることもない。

 さらにもうひとつは、『この場にいない第三者の見解、それも警察という国お墨付きの組織の見解を得られる状況がつくれる』ことだ。
 僕が悪いのは間違いないが、警察は『なぜそうのような事態になったのか』をハッキリ調書として記録に残さないといけない。『頭を叩いた理由』が、後々の判断材料としてこちら側に都合が良い状況であるのは明白。警察が来て、どう対応し、処理するかは、なんとなく察しがついたし、余計こちらが不利になることはないだろうと判断した。

 それとあとは、『お姉さんの行動を制限する』必要があった。
 これまでの対応を見ていても、お姉さんはとても丁寧かつ誠実に、クレーム処理をしていた。きっと、こうなってしまった状況でさえも、お姉さんは穏便に済ませようと思っているに違いない。
 ただ、そんなことは無理だ。このオッサンが何事もなかったかのように帰るわけがない。ここで帰っては、オッサンは、長時間待たされた挙句、パスポート申請も出来ず、知らない男に頭引っ叩かれるだけになる。そんなことは、オッサンのプライドが許さないはずである。
 お姉さんのビジネススキルがいくら高かろうが、このトラブルを丸く収められるわけがない。大人しく、警察に渡す案件。その判断を、1秒でも早く後押しする必要があった。なぜなら、長引けば長引くほど、オッサンのペースに持っていかれるだけなのだから。そのため、「警察に連絡してください」と、僕からもお姉さんに強く言う必要があった。


 最後に、もうひとつ。
 この理由が、僕の心を1番強く占めていた。

 『こんなクソみてぇなオッサンが、世の中まかり通って良いわけがない』

 オッサンの言うように、法律は守らなければならない。条例も、規律も、ルールも、マナーも、社会が成り立ち存続するためにある。
 ただ、僕は『モラルを持たないやつが、法律だ警察だと喚き、自身を正当化しようなんてこすい考えをするのは、気持ち悪いしクソ喰らえだわ!』と内心ブチギレていた。

 いや、何回も言うけど、叩いた僕の方が悪いことには間違いない。
 間違いはないのだけれども、果たして、間違ったのは本当に僕の方なのだろうか? という自分への答え合わせを、僕も望んでいた。


 おそらく、ここまで読んでくれている心の広い人なら、「いや、頭叩かなくても『言い過ぎじゃないですか? お姉さん困ってますよ』とかで良かったんじゃないの?」と思ってるかと。

 そりゃあ、最初は僕もそう思いました。

 でも、ちゃんと正しい対応をしているお姉さんに対して、「バカじゃないのか?」って言ったその瞬間に、

 『あー、コイツ何言ってもダメだわ』

 って、確信しました。

 『丁寧に説明をするプロでも無理な状況なのだから、ヘタに関係ない素人が横から口出しするのはもっと無理やろなぁ』と、悟っていた。
 立ち上がってオッサンに近づく数歩のうちに、『どうやってコイツ止めようか』と、さながら、イワシのトルネードのように様々な思考が脳内を泳ぐ。

 結果、『頭引っ叩くしかねぇわ』と。

 全力で頭叩いて、そのままオッサンの頭つかみながら、『さて、じゃあこの後はどうしたものか』と、フラッシュ暗算のように脳内バチバチさせた。『もうここから、謝っても100パー勝ち目ないしなぁ』と思いながら、とにかくこれ以上、オッサンの暴走をさせるわけにはいかないと、静止させたかった僕は、「警察を呼べ」というオッサンの案に、嬉々として乗っかることにした。


【第3章:仮面コミュニケーション】


 お姉さんが戻ってきた。
 「いま、上司に報告して、『警察に連絡をするか』確認を取ってますので」という言葉に、オッサンも僕も「警察を呼んでください」と言った。
 しばらくして、施設の警備会社のおじさんが駆けつけたのだけど、その人も「まだ警察に連絡してない」というものだから、またオッサンと僕は「すぐ連絡をしてくれ」と言った。
 警備のおじさんは、「じゃあ、かけますよ」と言って、その場で警察へと連絡をした。

 警察を待ってる間、長椅子に座ったままオッサンが喋りかけてきた。

 「俺が大声出したのは悪かったけど、やっぱり頭をいきなり叩くって言うのは、日本の法律じゃダメだからねぇ」

 さっきと同じセリフが出て、『なるほど、勝った』と、少し安心した。

 ここまでの時点で、『オッサンが僕に殴り返してくるタイプではない』こと、『人に自分の意見を言うのが好きなタイプである』こと、『法律や警察という強いものを盾に自分を守り、そしてそれで相手を制圧しようとするタイプである』ことなど、色々分かってきた。
 はっきり言って殴り合いになったら、確実に僕は負ける。ケンカなんてしたことがない。
 ただ、『話し合い』それも、『表面上知的な話し合い』という土俵なら、負ける気がしなかった。
 オッサンは『日本の法律』と何度も言うわりには、専門的な言葉は用いず、ただ同じことを繰り返すのだ。普段から『日本の常識』を知らない人と関わっていることが多い、もしくは、その人たちを自分の敵とみなしてる可能性が高いのではないかと推測した。
 幸い、僕が最初にとったアクションも、言葉で促すのではなく「シッ!」と勢いで押し切っただけなので、『コイツは話が通じないやつかも』と第一印象も持っていたなら、好都合。
 こーゆーオッサンの対応には慣れている。
 僕は『ただオッサンに合わせた会話をするだけ』で、瞬時に『オッサンの好きなタイプの人間になることが出来る』と踏んだ。
 『話し合い』で『専門的用語を控えて』、『オッサンの意見に尊重と同調をしてあげる』ことで、警察が来るまでやり過ごすのが最適だと感じた。

 そこからは、簡単だった。

 「叩くのは悪い」と言ったら、目を細めて「はい、おっしゃる通りです」と言った。
 「俺が大声を出すのは周りにも分からせるためだ」と言ったら、「確かに、スムーズではない部分があったかもしれませんね」と頷きながら言った。
 「誰かが言わないと、若い奴らはいつまでも分からないままだ」と言ったら、「私も言われてから気づくことがあります」と言った。
 そのあとは、オッサンは自分のしてきた仕事とか、業界のこととか、交通ルールのこととか、とにかく話してきた。
 僕も、「そうなんですね」「それは知らなかったです」「そう言う決まりごとがあるんですね」「私も会社で習った覚えがあります」と好青年を演じた。
 つい10分前に自分の頭思い切り叩いてきたやつとよく話すなぁと思いながら、きっとこの時間がオッサンの生きがいなんだろうとよぎり、あとは調子の良いAIになりきり、話に付き合ってやった。

 話の途中に、僕の番号が呼び出されてしまい、僕は「すいません、あとでいいです」と言ったけど、オッサンは「いいよ、行って来なよ」と言ってくれた。もちろん、セオリー通りに「いやでも、そんなことはできません」「こんな格好(スーツ)してますが、今日私休みなので、時間は大丈夫ですから」と2回の断りを入れてから、オッサンの3回目の「俺はいいから、行ってきな」で、一旦その場を離れ、自分の申請を窓口でちゃっかり済ませた。

 しばらく話して、だんだんとオッサンが笑顔になった。
 「完璧な人間はいない」「警察でも犯罪するやつだっているだろ」「成長するのが大切なんだよ」
 オッサンの舌の調子は良いらしく、頭ぶっ叩いてからも30分くらいノンストップで喋っていた。

 しかし、事態はよからぬ方へ急転する。

 「お兄さんが良い人なのは分かったよ。警察には、俺からも『大丈夫だ』って言っとくから。俺もう帰るね」

 (いや! そーゆーわけにはいかない。「大丈夫」という、その言葉が出た以上、この現場で警察にそう証言してもらわないと困るのは僕の方だ)

 「いえいえ、今回私が叩いてしまったことは事実ですし、警察に状況説明を2人でした方がいいかと」
 「いやいや、もう大丈夫。気にしてないから。お兄さん話せば分かってくれる人だったし」
 僕の説得も虚しく、オッサンが立ち去る。

 (いや、まずい。立ち会いが1人、それも加害者側だけの立ち会いなんて、警察が信用するはずがない。とはいえ、ここでオッサンを引き止めるとまた怒りがぶり返しそうだし。いやでも、ここで引き止めずに、あとで被害届を出されるのが1番面倒で避けたい。なんとかならんか。逆に詰まされたか?)

 待合スペースにオッサンの姿が見えなくなって、たぶんほんの1〜2分。

 警察が到着した。

 「あなたですか?」
 「あぁ、はい、私ですね」
 「じゃあ、ちょっとあらためて、その時の状況説明してもらえますか?」



 警察には、警備のおじさんからすでに大体の説明があったようで、僕はより詳細に、会話の内容や当時の状況を説明した。
 「今までに警察に捕まったことありますか?」と聞かれたので、「ないです。逆に、空き巣に入られて警察にお世話になったことがあります」と返したら、苦笑いされた。

 何分か状況説明をしていると、少し離れた場所で、オッサンも別の警察官とやりとりしているのが見えた。
 オッサンは警察にも「俺は大声を出すが正しいことを言う」「警察だって犯罪を」などと、最初に僕に言ったことと同じことを言っていた。やはり、普段からどこに行っても、そういうことを言っているのだろう。
 『お前はそれしか言わんのか』と、少しオッサンに飽きている自分がいた。
 警察官の間でも、「事件にはならなそうですね」「そうだな、向こうも大丈夫そうだしな」と会話している。

 僕は、状況説明兼謝罪文的な文章をその場で書き、日付、名前を記入後、右手人差し指の指印を押した。写真も何枚か撮った。

 すべての検証作業が終わった。
 17時を回り、パスポートセンターに来てから2時間が経っていた。
 受付業務も終了時刻となり、待合スペースには、柔らかな静寂が戻っていた。

 オッサンは上機嫌で帰って行った。
 オッサンからしたら、パスポート申請は出来なかったが、日頃うっぷんの溜まっている『若いやつ』と『警察』の2種族に、自分の主張が出来たのだから、良い気分だっただろう。

 係のお姉さんからは、申請中や帰る際に、何度も小さな声で「ありがとうございました」と言ってもらえた。業務的に改善出来る点はあったかもしれないけど、お姉さんはまったく悪い点がなかったし、それこそオッサンの言う『完璧な人間なんていない』に、最も近い存在なのではないかと感じた。


 いったい、誰が悪かったのだろう?


 いや、お前だろ! と、自分の中で結論づけたところで、僕も帰ることにした。


 元バレーボール部の右手には、まだジンジンと痛みが残っていた。


【終わりに】

 以上が、知らないオッサンの頭をぶっ叩いた経緯になります。

 本当に、やってはいけないことです。
 暴行ですし、もちろん人としてダメ。
 叩いたことが原因で、ケガとか、最悪死に至る危険性もありました。
 非常に反省しております。

 今回は、オッサンと僕との当事者間での話し合いにより、(いまのところ)僕に、はっきりとしたペナルティはありません。
 あとで、オッサンの気が変わり、被害届とか出されるようなら、またその対応が必要にはなると思いますが、その時はその時で。

 警察の方からも「お姉さんを不憫に思っての、正義感あっての行動だったんだろうけど、もう少し、ねぇ」と、柔らかく注意を受けました。
 猛省し、以後、気をつけます。

 その場に居合わせた他の方々にも、必要のない不安や緊張を与えてしまい、大変申し訳なく思っています。
 子どもたちもいる中での行動という意識が、大きく欠如していました。周囲への配慮を考えた上で行動することを、今後の教訓とします。


 『完璧な人間はいない』

 オッサンは、断言してました。

 『今回、あなたが分かってくれたのなら、もうそれでいい』

 オッサンは、許してくれました。

 では、僕からも最後に。

 『オッサン、僕を許してくれてありがとう。ただ僕は、オッサンがお姉さんにした口撃を生涯許すことはないと思います。だって僕は、完璧な人間ではないから』

(終)


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