雑談

21歳になりました👊
とは言っても、年齢を重ねただけです。

勉強ね

大学3年になり、ゼミにも所属し、教員採用試験を視野に入れて徐々に学習の習慣の確保、継続を目指さねばと思うようになりました。

来月には先輩方の卒論中間発表があるそうです。
今、何を題材にして卒論を書こうかと悩んだりしてますが、圧倒的に書籍を読み込めてないので興味のあるトピックが分散していてまとまらないです。

一応考えている内容として以下があります。
・アクティブラーニングの導入における教育現場の課題
・不登校児との関わり方、信頼関係の形成
・幼保小の連携と接続、小一プロブレムの実態
・児童の背後にある保護者の存在による教育現場の課題
こんな感じで、とりあえずあげられる限りの就学後の諸課題等をひねり出しました。

以前、アクティブラーニングの課題についてはレポートで考察しました。実際に現場の教員や児童に聞いてみないと分からないことが不足しているので取り扱う場合は、調査して補完したいですね。
また、所属しているゼミの指導教員が幼保小の連携等に精通しているため、ゼミを選択しました。そのため、幼保小の連携等に関してはこれから勉強していくとして…
不登校児の項目ですが、これも難しいところでどのように学んでいこうかと迷っています。ボランティア活動でもしかしたら関わる機会があるかもしれないので検討というところですね。
最後の項目ですが、最近読んだ読み物で気になったことなので今回はそれについて少し語りましょうか。

児童の背後にある保護者の存在による教育現場の課題とは

最近読んだ読み物が2冊ほどあったのですが、途中で『なんか違うな』と思って読み終えることがなかったので批判するのは差し出がましいかもしれませんが、教育学の学士課程の一人間として思うところを述べさせていただきたい。

近年教育現場では教員が子どもへの指導に躊躇することが多くなったそうです。それは子どもの背後に保護者の影が見えるからというもの。そのため、どこまで指導してもいいのか、どのように指導をすればいいのかと戸惑いがあるようです。
昔に比べれば、学校に対してかなり保護者がでしゃばることが多くなったみたいです。
保護者『子どもが先生に叱られて傷つきました。』みたいな苦情が入るそうです。私の親世代なら鉄拳制裁を先生に懇願していたらしく、10歳も年齢に差があるとここまで考え方が異なるようです。
もちろん鉄拳制裁はダメです。体罰でしか、子どもを指導できない程度の教員の質は低いと個人的に思いますし、なによりその後の子どもへの影響を考えればベターではないですね。

では、言葉による『叱る』というのはいけないことなのでしょうか。まぁ、伝え方は大事だと思います。子どもを尊重しない人格否定等は適切ではないので苦情の対象になるのは理解できます。
しかし、適切な言葉の選定による『叱る』これもダメだという話もあります(保護者目線)。

知人から聞いた話でも、これで苦情を入れる保護者はいるようです。難しいですね。これがだめならなんもできないじゃん!ってそうですよ。

読んだ読み物に褒めると子どもはダメになるというものがありました。実際は効果的な褒め方には理解はあるが、叱るということを家庭、学校でしなくなっている現状を嘆く内容でした。

まぁ、言いたいことはわかる。けれど、その内容に欧米の親は体罰賛成多数ということを持ち出して論を展開していて非常に不快でしたし、その他の内容にも相関関係や因果関係があるとは思えないデータ?を扱っていて『はぁ?(🙀)』と思いました。
という感じで読むのを断念しました。

ということで、今回はここまで。
また時間のある時に今回の内容を精査して、投稿しようと思います。

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