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エアコンが壊れた

今、家の中で涼しさを感じられる場所が浴室しかない。

プールの授業でしか浴びないような冷たいシャワーを大量にかぶることで体を芯から冷やし、首に保冷剤を撒いて過ごし、夜になったら枕元に保冷剤を置いて、気温が下がった頃に何とか寝ている。

朝6時頃、アパートに日が差すと同時に暑くて起きる。ベランダはシャッターを閉めていて、何時になっても家の中は真っ暗だというのに気温で朝がきたことに気づく。暑くて怠くて、トイレに行きたいのに喉も渇いていて、何から動き出したらいいのか判断ができずに起き上がれない。

結局二度寝をしてしまい、次に起きた頃にはさっきの倍以上に暑くて怠くて、トイレに行きたいのに喉が渇いていて、でもとにかく始業をしないといけないから、ボロボロのままパソコンを開き、声だけは元気な感じで仕事を始める。

去年の8月、3日間まるまる朝から晩までお台場の屋外で仕事をしたことがあった。あんなもん、油断したらすぐ倒れる。私はほぼテントの中にいたのだけど、とくに初日はテントの場所を探すために30分ほど荷物を持って歩いたせいで、あっという間に熱中症っぽくなった。ステージの音漏れが頭に響き、音の衝撃は強く感じるのに耳はやや遠い。吐き気と巨大な眠気みたいなものが迫ってきたけど、初日で倒れるわけにはいかない!という意地でガリガリ君を2本食べて、風にあたって休ませてもらったら何とかなった。

その現場での会話で、「熱中症とは『生卵が茹で卵になる』みたいなこと」という表現があった。どこかで聞いたことがあった気もしたが、まさに頭が茹だっている状態で「茹で卵は生卵には戻れないでしょう?」と言われた時には怖くて怖くて、しばらく茹で卵を見るとドキッとしたくらいだった。

実際にはあの時ほどではないだろうけど、今、一年越しにあのお台場を思い出すような暑さのなかで過ごしている。水分をとりまくって、冷やしたタオルを首に置いたり、とにかく風を浴びたり、「明日は出社するか…」とか考えながらコンビニで涼んでいると、店内のヒヤッとした空気と一緒に、その現場にいたアイドルの方たちのことを少し思い出して心が痛くなった。

初日、テントにありつけて間もなく耳にした「走って! アイドルは歩かないよ!」というリーダー的な立ち位置の子の言葉とか、どこからどう見ても暗い顔をしている人がいたり、とても愛想の良い方の太ももが、素肌が見えないくらいにズタズタに傷ついていて血の気が引いたこととか。それらを何もなかったみたいに加工してネットにアップして、その子に対してなのか、誰に対してなのか分からないけど、ずっと「見なくていいよ」と思いながら仕事をしていた。そういうのはこの現場以外にも何度かあって、違和感がありながらも何も言えなかった恥ずかしい経験だけど、だからと言って「こうすればよかった」というのもなかなか見つからない。

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エアコンが不調になったのは、たぶん去年からだ。だけど、「湿気が多いからね」とか「最上階だからじゃない?」とか「風速弱めにして節約してるから」とか、「だって、涼しい時もあるし」などと理由をつけて、不調であることを認めないでいた。

「そうであってほしくない」という思いがあると、なるべく「そうであるかも」という事態から避けるための理由をいくつも考えついてしまう。小学生の頃、弟たちと寝ていたら部屋のドアがガチャッと開いて、「変だ」と思ったのに「風かも?」とか「お母さんが開けたんじゃない?」とかよくわからない理由をつけて安心して眠ったら、その数ヶ月後にお隣の家族が「霊が出るから」という理由で引っ越したことがあった。

もう「直感でおかしいと思ったら認めよう!」と何度も心に決めたのに、いまだにこういうことをしてしまう。虫歯になっている親知らずが最近痛むようになってきたのに「気圧のせいで敏感になっている」と思っているところがあるし、買い物の帰りに雨が降ってきて、イヤホンをしたまま傘を差して歩いていたら、途中でありえないくらい距離を詰めて真後ろに男性がいることに気がついて、ものすごく怖くて焦ったのに、大通りに出たら追い抜かされたから「昼間だし、たまたまか」と少し思ってしまった。絶対絶対おかしかったのに、一瞬でも「たまたま」と考えようとしたことも怖い。

なんかそういうのもあって、家にいても暑いだけなのに、昼間とか朝でも1人で外に出るのが嫌になっている。「どうして歩いているだけで馬鹿にされなきゃいけないんだろう」と生きるのも嫌になったけど、まぁイヤホンと傘って私も危機感なさすぎたし、その時に聴いていたアルバムを聴くのは無理になってしまった。あぁもう日々生活するだけで怖すぎるよ。

エアコンの修理に時間がかかるみたいだから、頑張って新しいエアコンを購入したんだけど、それを取り付ける時の立ち会いも怖いから、どうにか誰か一緒にいてもらいたい。怖いとか思ってごめんなさいと思いつつ、自分の身は自分で守るしかないし、自分で守るにも限度があるから怖いもんは怖い。もっと早くエアコンの不調を認めればよかった。そしたらもっと余裕を持って修理のスケジュール組めたのに。

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エアコンは絶望的に効きが悪いのだけど、一応まったく動かないわけではない。日中から夕方までを自宅以外で過ごすか、暑くなったら水を浴びればどうにか過ごせるくらいの効き目ではある。

ただ、修理の日がだいぶ先であるのと、修理までの日にお客さんが泊まりに来ることが決まっていて、いろいろな事情で「今からホテルを探してくれ!」とは言えないから、別の取り付け可能な場所に新しいエアコンをつけることにした。2台になればそれはそれで快適だし、修理まで耐えて体調壊すわけにもいかないからね。

何もしなくてもお金はないのに、どれだけ費用を抑えても一気に10万以上使うのはすごく落ち着かない。夜は比較的涼しく感じられるから、朝暑くなるまで「本当に買う必要あったか?」と不安になることもあるし、毎年誕生日にスタバの1,000円ギフトしかくれない人をそこまでして泊めるのか?とか思ってしまう自分がいてウンザリする。

私は「スタバのギフト券が本気で嬉しい人なんてそんなにいないだろ」という考えなので、金額うんぬんよりも「考えてくれていないんだな」というところで毎年しっかり落ち込む。スタバには毎年ノルマみたいな気持ちでしか行っていない。やめちまえこんなの!

そういうのがもう5年以上続いているので、お相手のお誕生日は連絡だけで何もお贈りしないか、自分の買い物ついでに好きなブランドのものをプレゼントに買うことにしている。一応、スタバのギフト券は毎年いただいているので、あまりにも何もしないのは引っかかるし、人のプレゼントを選ぶのは好きだから、下手に考えすぎないようにして、ついでにサンプルをもらっちゃったりなんかしてお得な要素を追加して納得している。……やめちまえこんなの!

こういうの全部「私の収入が低いせい」とか思っちゃうから本当に厄介。でも間違った結論でもないから、日常に自己肯定感がギューンと下がる場面がたくさんあって本当に本当に厄介。

やたらに見栄を張っている人とか、プライド高くて偉そうな人が超嫌いなんだけど、たまに「そりゃそうなるよな」と同情しちゃうくらい、自分を守りながら生きることは難しい。自分を守るために人の価値観を受け入れない人もいるし、自分が正しいと信じ、他人をいなす人もいるし、自分で自分を傷つける人がいる。

私はどうやって生きていくんだろう。エアコンが壊れたのをきっかけに思い出したことや、不安なことや、怖いことも、落ち込んだことも、傷ついたこともあって疲れた。疲れたが、頑張って働く以外に解決法はない。

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