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2004年

自信を持って「友達」と言える子が2人いる。

いっときは特に理由もなく1人ずつ別々に会っていたこともあったけど、ここ数年は3人で会うことが多い。こうしてほんの少しでも2人について書くと、「何やってんだろう?」と恥ずかしくなってくるくらいには身近な存在だと思っている。

2人と会うとよくカラオケに行く。2人ともめちゃくちゃVaundyを歌う。というか、カラオケに行くと絶対にどこかしらの部屋でVaundyを歌っている声が聴こえるし、歌えるバー的なところに行くとだいたい一曲目にVaundyの「怪獣の花唄」が選ばれる。その曲を一度も口ずさんだことがない自分からしたら、毎回毎回「あの曲はイマイチ売れなかったのに、どうしてこれはこんなに流行ってるんだろう」とかの雑感の引き金になってしまうし、トレンドに乗れていない期間が長すぎて、流行という感覚がよく分からない。好きなように楽しんでいるのにやや孤独。ファッションに確固たるこだわりがある人もこんな気持ちになったりするのだろうか?

2人はVaundyを歌いながら、間奏に入るとデカい声で最近特にいいと思ったVaundyの曲の話をするし、その次にはMVを見るためにK-POPグループの曲を入れまくる。かと思ったら急にスピッツを入れて「最近また聴いてるんだよね」と言い出したりする。こういう時、目を丸くしている私に構わず2人だけで話し続けるところは10代の頃から何も変わっていないなと思う。

YOASOBIの「アイドル」とかを2回聴いたところでひと段落して、だんだん懐かしい曲を入れ出す。西野カナ、アヴリル、清水翔太、嵐、安室ちゃんとか、日によってまちまちだけど、このあたりまで来てくれると少なからずトレンドを掴んでいた過去の自分のおかげで分かる曲ばかりだし、自分も選曲しやすくなる。

ただ、昨年の夏に新大久保のビッグエコーに行った時、このゾーンに入ってから1人の子が全然ピンとこない曲を歌い出した。

もう1人の子はガンガン合いの手みたいなことをしていて、なんだこれ、まったく聴いたことがないわけではないけれど、引っかかる記憶がひとつもなかった。

こういうのはたまにある。だいたい2002年〜2005年の出来事で、この約3年間は父の仕事の都合で海外に住んでいたから、その時期の流行りをほぼ知らない。

(きっと今は違うと思うけど)その頃は日本のテレビ番組と言えば限られたNHKかBSしか観ることができなかったから、流行っているものを年末の紅白で初めて知ることもあった。当時の一番好きなテレビ番組は『天才てれびくん』、好きなタレントは朝ドラか大河に出ている俳優さんか、てれび戦士。『あたしンち』の漫画は家に全巻あったから、外国語で放送されているアニメと照らし合わせてなんとなく言葉を覚えたりする毎日。大好きなモーニング娘。は金持ちな同級生があらゆるDVDを持っていたのでよく見せてもらっていた。

小学4年生の時に帰国してからは、東北のど田舎に引っ越してきたのに何も不便に感じなくて、テレビは全部面白いし、音楽はどこに行っても「以心電信」と「NO MORE CRY」が流れていたけど、何回聴いても新鮮で娯楽に溺れた。(当時の話はいくらでもあるけど、いったん40分以内に書き終えたいのでこのへんで)

場面は新大久保のカラオケに戻って、彼女たちがブチあがっていた「ココロオドル」は2004年リリース。とはいえもう20年近く経っているから、テレビで流れているのを聴く機会は何度もあったと思うけど、いざ目の前で歌われるとポカンとしてしまった。2004年って何してたっけ。

2004年、ひとつ強烈に記憶に残っている出来事がある。

その年の冬の時期、武器を持った不審者が学校に入ってきて、知っている子が襲われてしまうという事件があった。その子は回復して、しばらくして学校に来たのも覚えているけれど、犯人の言動とか、その国の報道の仕方とか、どの国も少なからず物騒とはいえ日本人を襲うつもりで学校に侵入したという動機の恐ろしさとか、今でもふと考えて空気がピンと張り詰めることがある。

報道で見た「自分が襲ったのは子供だけど、日本人でしょ?」という言葉が衝撃だった。それはこの人だけが思っているのではなく、きっとテレビで同じ場面を見て共感めいた感情を抱いている人もいる。現地の優しかった人たちのことも、「今は優しくしてくれているけど、本当はどう思っているのか分からない」と感じるようになった。

その事件が起きる前から母に「小さな声で話しなさい」と何度も言われていた。父がいないと電車に乗ってはいけなかったし、転校する前日に買い物に行って、父に「これはこの国で作っているから大丈夫」と言われてランドセル代わりのリュックを買ったこととか、なんとも思っていなかったことに少しずつ納得するようになって、友達と3人でエレベーターに乗っていた時に現地のおじさんに声をかけられて、1人の子が急に耳が聞こえないフリをしだして呆気に取られたことも、そうか、全部自分の身を守るためだったのかと腑に落ちて悲しくなった。

その学校は今でもあるみたいだけど、だいぶ前に移転したようで私が知っている写真は1枚くらいしか出てこなかった。あの3年くらい、なんだったんだろう。振り返りたい気持ちはあるけど、写真は手元にないし、今連絡先を知っている同級生は一緒にモー娘。のDVDを観て踊っていた友達1人だけで、この自分の記憶ってどこまで合っているんだろう?みたいな曖昧さもある。窮屈な環境ながらもEnjoy(enjoy)it's join(it's join)はしていたはずなので、また思い出したら少しずつ。

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