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終わり散らせ

日頃から、朝のワイドショーや雑誌の後ろのほうとか、SNSのタイムラインに流れてくる占いを見るのが好きで、何度かお金を払って手相を見てもらったこともある。私にとっての占いは、そこに書かれている言葉で自分の未来を想像し、その想像によって背中を押され、自分のペースで気合いを入れることができるものだったのだけど、近頃はその効果がまったくない。占いを読む気にすらならないし、読んだとしても、自分に当てはめることができず、人生に見込みのある誰かの希望のお話のようで、経験値の浅い人がそれっぽい言葉で書いた、何かを分かったつもりの薄っぺら平凡エッセイを読んだ時の胸糞悪さと同じものを感じてしまうようになった。

占いが読めなくなった今、落ち込んだ時には決まって聴き馴染みのある曲をかけ、その気力も出ない時には、かれこれ何百回見たか分からないくらい擦り続けているドラマを再生する。とにかくご機嫌だった頃の自分を取り戻そうと馴染みのあるものに触れてみるけれど、最近は遂にそれらも効かなくなってしまった。

30手前の大事な時期にこんな状態で、”今、自覚しているよりもずっと勿体無い生き方をしているのではないか”と危機感を持っていたのは、数ヶ月前のこと。今はそんな不安を通り越して、”そもそも、私は生きたいのだろうか?”と疑問に思っている。生きたい気持ちのイコールなのかは分からないけど、それに似た“この先も続いたらいいな”という気持ちや、目標とか、いつかやってみたいこととか、欲しいものとか、そういった感情が本当に本当に薄れてしまった。

一時的なものかなと思っていたけど、もう半年以上そんな心地で、今はいつどうなっても別にいいかなというか、終わるのであればそれはそれで幸せかもしれないと、かなり本気で思うようになった。焦りとか、窮屈さとか、落ち込む気持ちが全部合体して、ある意味のプラス思考みたいになっているというか。痛かったり苦しいのは嫌だと思っていたけど、それもだんだん“痛みの先が無なのであれば嫌ではないかも?”と思う。

それを自分で行なうことは今のところ選択肢にないけど、もし自分の人生が急に終わったとしたら?と考えることが増えた。きっと身近な人は哀れに思ってくれるだろうけど、全然そんなことはないと伝えたい。死んだ後に感情を持てたとして、寂しい気持ちや、“だったらもっとお金使っておくんだった!(もしくは、使わなきゃよかった)”という小言は出てくるだろうけど、全てが終わったという事実にものすごく救われると思う。きっと解けるように成仏できる。自分がいつどういった状況で死ぬのか、以前はそれを想像して恐れていたけど、今はさまざまなパターンを想像してしまう。結局、おばあさんになるまで生きられたなら、それはそれで。そろそろ死ぬのであれば、どんなきっかけなんだろう。最後の最後、もう無理だって場面で“やっぱり嫌だ”とか思うのかな。最後くらいはそう思えたら幸せだなと思う。

深い意味はないです。

前職を辞めると決めた時、それなりの時間と体力と気力を使った6年間だったのに、そのわりに全く自信がついておらず、“このまま辞めたら精神的に不味いことになりそう”と思って、あまり共通点のない大手編集部の講習みたいなものを受けた。

社内では孤独も孤独というか、もちろん褒められるなんてことは一切ないし、自分がどんだけ頑張って書いた記事があっても、そのすぐ隣にはアホみたいに手を抜いた記事が同等に並んでいたりして、やればやるほどやる気が削がれる状況だったから、クソみたいに少ないお給料でわざわざ損をした気分だった。本当に、口を開けば最低な気分になったことしか出てこない。どうしてこんなにも上司である自覚のない人の下についてしまったのだろうとか、口先だけで編集経験があると喋って、実際はあんたの行動に編集的要素なんて皆無じゃねえかって人が自分より多く給料をもらってることとか。総じて面白みがない、自分で面白みを作ろうと試みても、この人たちの中でやるそれは、やらないことよりも価値がない気がしてくるとか。やばい、悲しみと怒りのサンドバック…………………その上、自分が未熟であることへの反省の連続。

(自分は何も生み出せないくせに、自分とは無関係のアーティストにちょっと肉眼で触れただけで満足し、距離感を間違え、自分がイケてると錯覚して承認欲求を満たしている鬼低レベルの“この仕事がしたかった”という動機と一緒にされ続けるのも嫌すぎた)

今の自分はすぐにこういった思考になってしまうけど、冷静になればそんなことばかりではないはずで、その通常時にわいてくる気持ちをなくさないためにも、よその編集部のやり方を知ることは一つの突破口になるのではないか? そう思い立ち、自分に足りないものを具体的に知り、今までの行ないで正解だった部分は自ら褒めるために受講した。結果はかなり良くて、今までの自分がしてきた仕事を見つめ直す機会としては十分すぎる機会だった。他人のことや社内の環境がどーーーうでもよくなるくらい、自分ってまだまだだなと思えたのも大収穫。めちゃくちゃ視野が狭くなっていたことでしんどかったメンタルも少し解消された。(なんかWebライターとか言って編集部に媚びるために来てた人もちらほら見かけたが、地方誌で編集をしている受講者の方の企画書がすごく読みやすかったりと刺激もたくさんあった)

気持ちが整理できて、“よし、これで仕事を変えよう!”と思った矢先に、「次の人が見つかるまでいてくれ」的なことを言われ、まぁでも引き継ぎも大変だし、ある程度そのつもりではあったから承諾したのだけど、結局9ヶ月もいさせられた。それに結局、新人は入ってこなかった。キモすぎるでしょ。「もうやりたくないです」って拒否すればよかったんだけど、今まで自分が抱えていた取引先の人が、自分が抜けることで雑に扱われるのもすごく嫌だったので、辞めたい辞めたいと思いながらいてしまった。キッパリ見切りがつけられなかったのは弱さだけど、未熟な自分なりに大事に仕事をしてたんだと思う。悲しい。面談で開口一番に「まぁ会社に余裕がないので給料は上げられないんだけど、なんか話したいことある?」とか言われるのにね……哀れも哀れ。弱くて哀れな日々でしたね。(面談で唯一言いたいことを言えたのは、アドビ使えるって言って入ってきた男が、いざお願いしてみたらテキストの色さえ変えられなくて、「学生の頃に習ったけど、今はもう覚えてなくて」とか言い出して、そのうえ上司には仕事を任せられるようになるまでお前が教えろと言われ、「なぁぁぁんで私が教えなきゃいけないんだよ!私の給料上げて、そいつを減給しろ!(減給しろは言わなかったけどその勢いの怒りがあった)」と冷静に拒否できたのはナイスファイトでしたね。まじで人のやってることをぞんざいにしすぎなんですよ)

で、怒りに怒って、もう本当に何もしたくなくて、とにかく年度末までに有給だけは使わせてくれってことで、そこからは消えるように編集部を辞めた。辞めるって言ってから9ヶ月いたんだから、一言くらいお礼ないのかよって今だに思ってる。ほんっっっっっっっっっっと嫌い。結局、嫌いという言葉でしかまとまらない。講習を受け終わった頃は、せっかく気持ちが整理できてたのに。まじで荒れ狂ったメンタルで辞めた。

そんで(まだ終わらない)、なんやかんやあって会社自体が終わることになりまして、私は関係性のあるところに行かせてもらえて、徐々に気持ちの切り替えができてきたところだったんだけど、先週、最後にその編集部の飲み会があるってことで行ってきたら、退職時に何にももらっていない私が餞別の品の一部を用意することになって、まじで無駄金と無駄時間………………………え、ちょっと待って、私のこの超無気力な精神状態、そのクソ飲み会のせいで気持ちがぶり返してこうなったんじゃないのかって思えてきた!!!!!!!!!!!くっそーーーーーーーーーーーーーー終われ終われおわれ!!!!!!!!終わり散らせ!!!!!!!!!!!!!!!!この!!!!!!クソ無責任おっさんズ!!!!!!!!!!!!!!!!私がほんのりと死にたくなってるのもお前らに会ったせいだ絶対に!!!!!!!!!ドアホ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

結局、私がおばあさんまで生きられたとして。この悪態をつくことでしか言葉が出てこない今の私のことをどう振り返るのだろう。器の小さい心のせいで、早めにボケて思い出せなくなっていますか。

文章を書くこと以外に得意なことがなくて、でも真新しいものや、創作するセンスには伸び代を感じず、まずは好きなものを言語化できるようになりたいと思って前職を選んだものの、その界隈の人たちの壊滅した国語力と浅い表現の数々にゾッとしながら、自分の勉強不足な側面にもひっそりと絶望していた。今は転職して時間ができたので、そろそろ日本語の勉強を始めようと思う。

あれこれ苛立ちを露わにしたけど、それでも結局その人たちに負けている部分があり、そんな自分を変えるためには、今一度自分が納得する文章を書くことに努力をしたい。もう以前のように書く媒体とかはないけど、掲載する場所があることと、自分が納得するものを書くというのはあまり関係ないかなと思ってます。とりあえずは。

勉強して、興味のある資格をとって、たまーにコンペに応募してみたりして、今までとは違ったことをしていたら、そのうち変わることができるんじゃないかなと思ってるんだけど、どうなんでしょうね。またブチギレた時に使う言葉が変わってるだけかな……。

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