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ダメだったらどうする?

3ヶ月ほど前に初めてコンペみたいなものに応募をした。独学とも言えないくらい見様見真似でやってみたから、たぶん一次審査で落ちると思う。一次審査の結果は今月中に発表される予定らしい。

本当に落ちると思っているのか? 正直、落ちるとも思ってるけど、もしかしたらニ次審査くらいは通っちゃうんじゃないの? ひょっとしたら……佳作? となると、仕事とか今後どうしよう?

頭の中はそんなところで、落ちるも進むも同じくらいに想像している。

会社解雇になって、親会社にいる人たちに拾ってもらったけど、あの期間はものすごい焦ってて、全てとお別れだと思った。親会社に入れてもらうのもなんかダサいし。焦りも、今までの生活とのお別れの寂しさも引き続きあるんだけど、そんななかで「そもそも解雇が決まる前に編集部を辞めると決めていて、それは何が目的だった?」というのを思い返して、「コンペに参加したかったんだ」と我に返って有給の1ヶ月ミチミチに考えて課題を出した。

あれこれ励まされたって解雇は解雇なのでメンタルは最悪だったし、それをどうにか前に進めるために応募したから、一次で落ちた時の自分の励まし方が見つからない。

こういう時、憧れの人たちはどう受け止めているのだろう。私の好きな人たちはみんな天才。みんなと言っても憧れの人は3人くらいしかいないし、1人は死んでるけど。でもみんな絶対に天才なんだよ。天才にも落ち込むことがあると思う。彼らは落ち込んだ時に、コンビニでいつもは高いと思ってるスイーツを買ったり、回転寿司で中トロ食べたりして自分を励ましたりするのだろうか。

今回落ちてもぜんぜん諦めるつもりはなく、粘り強くやって、いつか死ぬ前に一つでも形になったらいいなと思っている。死後でもいい。

でも、長い目で見ていたって、今回落ちたらそこで意識的に変わらなければ意味がない。課題の内容はすでに修正したいところがあるから、そこは修正して考え直すとして。もう一つ、変わるためにこのnoteに毎回タイトルを付けることにする。

「どんな文章にもタイトルをつけること」というのは、学生の時にある雑誌の編集部にいる人から教わったこと。これは私のメモだし、人に読ませるもんでもないから、タイトルなんていらないだろうと逃げていた。タイトルつけるのめっちゃ苦手なんだよね。それやめよう。備忘録だからっていうのを理由にするのキショすぎるし、そういうマンネリ化したなかでダラダラ続けるのが嫌で編集部辞めることにしたんだから。

まだ結果が出ていなくて、毎日ソワソワしている。選考結果のところに自分の名前がなくてショックを受けるイメージは何度もした。そろそろ夢に出てきそう。

実はこれまで更新した無題のnoteも、一応毎回テーマを決めて書いていた。実際は誰も読んでいなくても、誰かが目にするものとして書くのが創作というものだと思うけど、それの土俵にも立てていないものをここまでつらつらと吐き出していた。変わろう。変わるぞ! 二十代のうちにできるだけ変わりたい。

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