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流行りものが怖い

今までは単に自分がひにくれているからか、どこかで「人と違う感覚を持っている自分」みたいなものに憧れているから流行りものを毛嫌いしているだけだと思っていたけど、最近は嫌いというより怖くなった。

数ヶ月前、友達2人にやたらふるさと納税を薦められた。数年前まではBluetoothが怖かったので、イヤホンはコード派だったのだけど、今ではすっかりワイヤレスばかり使うようになったので、ふるさと納税もいずれやるような予感だけしていた。

だけど、やたらに薦められると怖い。世の中にまったく損のないことなんてあり得ないはずなのに、うーんと煮え切らない私に対して、友達は「やらない意味がない」と念を押してきた。

知識がないだけなところも大いにあるので、帰ってから色々と調べてみたけど、「やらない意味がない」というより、「これをやることで納得させる」みたいな感じがして怖かった。

「自分が払う税金のお金で、缶ビールとか、ホタテとか貰えるんだよ!?」と言われたけど、コーヒーがもらえるからって毎日カルディに行くわけじゃないし(それは話が違うと思うけど)、ホタテ1キロを買うことが夢ならばちょうどいいと思うけど、百均でも「これは必要か?」「本当にこれが欲しいか?」とぐるぐる考えながら買い物をするのに、どうせ払う金額なのだからと大して欲しくないものを「お得だ!」と思って購入することにとても抵抗がある。

好きなブランドのセールでも、どういった動機でそれが欲しいのか考える。「安いから」が50%以上を締めるときは絶対に買わない。でも、安いことが動機の50%も締めていることに気がつくまでには少し冷静さが必要で、パパッと判断ができないから考える。たまに「このくらいのサイズ感で、ガシガシ着られる服が欲しい」というのが動機なこともある。

それなのに、ふるさと納税では夢でもないのにホタテ1キロなどを買って、冷凍庫をパンパンにし、一生分くらいのホタテを一年くらいで食べ切ることになる。ちょっと好きなバンドが無料ワンマンやるからって遊びに行って、ライブがあんまり良くなくて、それからあんまり聴かなくなる……みたいな体験って本当に勿体無い。

だったらホタテ以外のものを選んだらいいだけのことなのだけど、結局ほぼ全国分いろいろ見たけど、欲しいと思えるものがなかった。お米はありがたいことに母が送ってくれるものが好きだし、いくらなんでもビールそんなに飲まないし。「お得」というきっかけで、そこまでときめいてもいない、これまで欲しいと考えたこともないものを買うという体験が怖い。なんとなくで買ったビール1ケースを、うちにあるからって理由で飲みきるなんて、めちゃくちゃ浅い経験に思える。…………わからない、やってみたらそんなこともないかもしれないけど。でも、自分が納めてる税金がバカバカしくなる気持ちもあって、やっぱり私には向いていない。デメリットのないものなんてそうそうなくて、(デメリットを体感するのも経験の一つだから無駄とは思わないけど)それはデメリットを隠されているだけじゃないの?と思ってしまう。

「はいはい、だったらあなたはやらなくていいですよ」って話でしかないんだけど、小学生の頃から友達の子たちがそういう引っ掛かりを持たずにふるさと納税をして、芸能人が飲んでるビタミンのクソ不味い液体を真似して飲んで、美容にはとにかくレチノールだけとか、誰かが自分の利益だけを優先して、専門的なところを簡略化して流行らせたものを鵜呑みにしているのを見ると、なんだかちょっと悲しくなる。そこにどれくらいの意思があるのだろう? 

あと、プチプラのクリアマスカラを「まつ毛めっちゃキープできるよ!」って勧められたけど、その後に「アホ毛も直せるし」と言っていて、それも誰から聞いたのか知らないけど、目元に使うものを髪の毛にも使うなんて……って思ってしまった。クリアマスカラなのに、クリアの跡形もない濁った液体になっていて、そういう便利♪お得♪とかの話よりも、使用後にブラシをティッシュで軽く拭くとか、そういうことのほうが有益なんじゃないかとか思って。余計な御世話だろうから言わないし、全ては経験だから、私が経験を逃しているだけってところもあると思うけど。(ちなみにプチプラのクリアマスカラと言えばどこのどれか直ぐ分かると思いますが、あれはめっちゃ良い商品です。今はまつ毛に乗せるものが増えるのが嫌だから使わないけど、学生の時に使ってた)

なんか、分かりやすくまとめると寂しくなるけど、ようやく友達との価値観の違いに気がついてきたのだと思う。別に私だって無駄な買い物とか、使って失敗することはしょっちゅうだし、逆にメイクとか流行りを参考にして良かったものもあるから分かる部分もあるんだけど、「これ視聴者のことなめてるな」って思ったドラマとか、「これバズらせたがりの口コミだな」とか思ったアイテムをルンルンで楽しんでるところを見たら悲しくなる。萎える。そうやって人の価値観を自分の型と照らし合わせてる自分にも萎える。「え〜それ本当にいいの〜?」みたいなテンションで話せる時もあるけど。ついでに言うと、イエベブルベに忠実なメイクとかも本当に嫌い。

それなのに、どうして一丁前に人に認められたい気持ちはあるのだろう。流行りが怖いとか言いながら、自分のした行動で何かが世に広まったら嬉しく思う気がするところが気持ち悪い。

あと、昔流行ってたけどあまり使わずに埃をかぶってるトレーニングマシーンとか、黒電話に布のカバーが付いているのとか、流行りのキャラクターの文房具とか、もうなくなっちゃったサーフ系のブランドの服とか、そういうものを懐かしく愛おしく思う気持ちはそれなりにある。

もしかしたら、ふるさと納税も、アホ毛に使っちゃうクリアマスカラも、よくわからないサプリも、ドーピング的な美容液ひたひたパックも、なぜ通えるのか分からないピラティスも、個性が出来上がってない雰囲気ボーカルダンスグループの曲も、アニメのタイアップ曲だけ聴かれたバンドの一曲も、そこそこ高価なのにどうして当たり前のようにみんなの家にあるのか分からないバルミューダ製品も、時が経てばそれなりに全部懐かしいなって穏やかな気持ちで受け入れられるのかもしれない。私は黙って時間が経つのを待てばいいだけなのかも?

ちょっと付け足すと、ブルベイエベなどのパーソナルカラーって、もともとは「流行の色をむやみに使うのではなく、自分に合った色を見つける近道」みたいなものだった気がする。どこかの企業が仕組んで広がって成功しただけかもしれないから本当のことはわからないけど、数年前に初めて知った時に自分はそう思った。骨格診断も、なんかアルファベットの性格診断も、乾燥肌とか混合肌とかも、「周りに流されずに、自分で選ぶため」の手助け的なものだった気がするのに、「骨格ストレートはこれ着ちゃだめ!」みたいなの本当に鬱陶しい。いい加減、私より鬱陶しいぞ。なんだって着たいものを着たらいいんだよ、流行ってようが終わってようが。

「そのコップどこのですか?」とか「そのインナーどこのですか?」とか「レシピ教えてください!」「どこのお店ですか?」「塩を入れるのは最初ですか? 最後ですか?」「大葉がなければネギでもいいですか?」「生姜いれなくてもいいですか?」「古着はどこで買っていますか?」

こういうコメントも胸糞悪い。うんざりする。自分で考えるんだよ。自分で調べて、やっと似てるものを見つけて、でも買って身につけたら違って、味が濃くて、味がパッとしなくて、よくよく考えたら白だし使わなくてもよさそうで、家にあるもので代用してみたり、古着屋さんに入ったけど結局新品のものを通販で買うとか、ボヤボヤとした理想に近いものを見つけるのってそういうことなんじゃないの? タイパ? バカなの?

なんか深い話に繋げるとかできないから愚痴止まりだし、こういうね、こういうことを考えてまた1人で面倒くさくなるから流行りものって苦手なんですよ。ゆっくり待ってたらユニクロがトレンド押さえつついい感じのやつ出してくれるから、指咥えて待ってな! 喝!

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