5年前は幸せだったんだよね
2018年9月6日午前3時7分、5年前の今日、胆振東部地震が発生した。
ここの地域は幸いに住宅等の損壊被害はなかったけれど、道内全域がブラックアウトとなった。
揺れを感じて目覚め、すぐに高齢の両親へ電話をかけた。
その時はまだ電気が使えた。
通話しながらテレビをつけた記憶がある。
両親の安否を確認できたので、ひとまず安心して、その日の仕事に備え再び布団に潜り込む。どうも眠れそうにないので地震速報でも見ようとテレビのリモコンを操作するが電源は入らず。停電か…それくらいの気持ちだった。いつも起きる時間には復旧しているだろうと。
(元)彼からくるはずの毎朝のモーニングコールが来ない。もちろんこちらからもかけられなく、地震情報も電力会社の停電情報も調べられず、諦めて出勤の準備をしていた。
出勤直前の8時頃に彼のお母さんから着信があって、あのときの事が今も忘れられない。
今これを書いていても涙が出るほどの大切な思い出。
出張先にいる彼がanneと連絡がつかないと家族にも伝えていてくれた。
仕事に行かなければならない彼に代わって、ずっと電話をかけ続けてくれていたという。
私と私の家族の事も気にかけてくれていて、大好きなお母さん。
お母さんだけではなく、彼の家族全員が大切な存在になっていたんだ。
彼と別れた後も『私達の縁は切れないし、家族皆がそう思っているよ。anneちゃん次第だよ』と言っていた。
お母さん違うんだよ、本当は…
そこまでしか言えなかった。
傷つけたくなかった。
もう、あの頃には戻れないんだよね。
やっぱり許すことって難しいな。
忘れる事って難しいな。
嫌いになる理由がない大切な人達の事はどうしたって諦めきれずに今もいるから。
小さいなって思われても、私にはやっぱり難しいな。
胆振東部地震から5年。
あの日、災害関連死も含め44名が亡くなったという。
私の身内も大きな被害を受けた町に住んでいたため、避難所での作業に追われるパパママと離れて子供だけが、一番最初に電気が復旧した私の実家に1週間ほど身を寄せていた。
小さな子にとって心細い1週間だったと思う。私の前では明るく元気だった子が、私が帰った後には隠れて泣いていたらしい。
あの日の思い出はそれぞれにあると思うけれど、忘れてはいけないんだなと思う。
電気のない不自由さと水の有り難み。
本当に水ってありがたいなと感じた日。
当たり前じゃない毎日に感謝した日…。
犠牲者の方々のご冥福をお祈り致します。