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なんやかんやで自分がスキ

 最近自分のことが好きになってきたかもしれないと思う。

 これは自分にとってはあまり馴染みのない感情で、きっとしばらくすると「やっぱり自分なんて大嫌い」と思い改めるかもしれないので、この記事は自分にとってのタイムカプセルのようなもの。こんな風に考えていた時期もあったのだと思い出すための忘備録になるのだと思う。


自己肯定感のつよい人たち

 昔から、自己肯定感のつよい人が苦手だった。わたしは自分が不完全な人間であることに悩み続けているので、「自分のことがスキ」と言えることが羨ましく、また同時に懐疑的でもある。見ていると多くの場合、彼らは彼らの人生の主人公を演じているので、喜怒哀楽はスムースに表現され、周囲を巻き込んでいくのがうまいと思う。わたしはそういったかたちで、他人の人生に巻き込まれるのがとてつもなく嫌だったのだ。
 そうは言いつつ、もしかするとわたしは周囲から自己肯定感のつよい人間だと思われていることが多いのではないかと思う。「なんか偉そう」って言われるタイプの人間なので。みんなが思うほど、わたしは自分に自信があるわけじゃないんだけど、そんなわたしも、ちょっとずつ自分が好きになってきたのだ。


消極的な肯定

「自分がすき」といっても、自分にとってのそれはそこまで積極的な感情ではない。どちらかというと、「こんな自分でも、まあいいんじゃないだろうか」という妥協のような、やや自分に対する諦めを含んだ感情である。どうしてこのような感情を抱くようになったのか、と考えてみると、さいきん世の中に対する見方が変わってきたからだと思う。
 自分はどちらかというと完璧主義者よりだ。自分がやること・他人がすることに対してつい厳しい目で見てしまうし、減点方式で評価してしまうことも多い。あまりこういった考え方に振りすぎるのはよくないなーと思いつつ、それでもやっぱりそういう傾向はなかなか消すことができない。まぁそんな感じなので、自分の身の回りや世の中の理不尽さにいつも憤りを感じながら生きてきた。言いかえると、ロマンチストだとも呼べるのではないか。
 これまで「世の中はきっときちんと回っているのだろう」と希望的に思ってきたけども、じつは「世の中そんなにきちんとしてないけど、でも回っている」ということにようやく気づいてきた。社会人になって四年が経過しようとしている、そんな時期。


生きるをラクにするために

 ここに来るまで、数多くの幻滅をしてきた。内容は様々だけども、でもその幻滅の感情は自分にHappyをもたらしてはくれなかった。そのことに気づいたとき、これまでずっと人生マイナス側だと感じていたことが、自分の思い込みによるものだと分かったのだ。
 だから「みんながそんなカンジなら、じゃあ自分だってこんなに駄目だけど、でもこんな自分でもイイよね。」と思うことにした。これでまたちょっと自分をラクに生きられる。だからしばらくこれで生きてみようと思う。


さいごに

 ここまで書いてきたけど、こうやって言語化することが正しいことだったか、よくわからない。多少とがっていることがアイデンティティでもあると思ってきた自分、「こんなに丸くなってしまっていいのだろうか」という不安があるのだ。けど冒頭に書いたとおり、また考え方が変わるときがいつかきっと来るのだと思う。その時のために、この記事は書き上げることにする。

 このように、自分について語ってみる記事をまとめるマガジン『なんやかんやで自分がスキ』を作ってみようと思う。誰とも同じでなくていいけど、でもちょっと理解が欲しい。そんな自己顕示欲・承認欲求を満たすための自分語りをします。


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