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私たちは、いかにして変わっていくべきか。


令和3年。私たちは、時代の変化の過渡期にいる。
これまでの多くの"わきまえない人たち"の声によって、社会全体を正しくアップデートしていこうと多くの人達が内省し、立ち上がり進もうとしている真っ只中である。

私自身も日々考え悩み学びながら進んでいる訳なのだが、その"変化の過程"において、最近少し思う事があるのでここに綴ってみたいと思う。

悪意のない無自覚な偏見やステレオタイプを助長するような発言には、2つの問題がある。

1つは、発する本人の問題。自身の特権性や加害性に無自覚であり、安易に誰かを踏みつけてしまっている事にすら気づけていない事。これは誰かに指摘されたり何かがきっかけで、本人自身が自覚したり反省したりアンラーニングをしていかなければいけない。

2つ目は、本人の周りに根付いている構造的問題。その本人の意識やバイアスを構築してきた外的環境(社会構造)や、ステレオタイプを当たり前としてきた社会風土、そしてそれを止めたり指摘しない/できない周囲の意識などだ。これは本当に根深い。ジェンダーの視点でいうと、例えばおもちゃ売り場に行けば未だに女の子用のおもちゃはピンクで男の子用は青で・・・といったように、社会のあちこちで"当たり前"として刷り込まれるジェンダーロールが溢れている。偏見を持った発言をする本人が、なぜその発言をするに至ったのか。本人への指摘は勿論だけれど、その背景とセットで問題を捉えていかないと中々社会は変わっていかないように思う。

個人と構造、そのどちらも社会の前進において向き合わなくてはならない要素だ。その上で、(それぞれ紐解いていくとこれまた凄い分量になってしまいそうなので)今回は1つ目の「個人」の変化にフォーカスを置いてこのnoteを書いてみることにする。

まず前提として、自身の特権性に気付かず無自覚な偏見や差別を助長してきた人たちの"反省や変化の意志"を、わざわざ称賛してあげる筋合いはないと私は思う。むしろ過去に踏みつけたり無下にしてきた人へ謝罪したり反省したりと1つ1つの過去の言動を自省しながら、それらを繰り返さないようアンラーニングとアップデートを本気で取り組めと言いたい。だけれど、その変化の過程において、他者がその意志の真意や過不足をあーだこーだ決めつけて上から批評する風潮は本当に良くないと思う。

先述したように変化を褒めてあげる必要も称賛する必要も認める必要も無いし、今更そんな筋合いも毛頭ない。むしろいい加減さっさと変わってくれと思うし、過去にあった事は消えないし、偏見に気付き反省することは当たり前の事だと思う。例えるならば、学級委員や一般生徒が日々真っ当に登校し勉強するのは当たり前なのに、不良生徒は授業に来ただけで褒められる…なんてちゃんちゃらおかしな話だ。

さらに、いくら変化の意志があれど変化の過程でまた間違いを犯したら指摘されて当然だし、過去に間違いがあったら尚更その声は厳しくなるし、その度に (一度で学んで欲しいが) 何が問題なのか反省しながらアンラーニングならびにアップデートすべきだと思う。

変わる側も、自分の過去を刺される覚悟を痛みとして持ちながら進まないといけないし、それほどこれまで誰かを無自覚に踏みつけて来たのだと推して知るべしだとも思う。

ただ、周囲がわざわざ「あの人は差別的だから」「あの人は過去こうだったくせに」と変化の道を歩んでいる人に横槍を入れる必要があるのかと最近の世論を見ていて疑問に思う。

変化を不必要に褒めるでも野次るでもなく、間違いを再度繰り返さない限り、その変化はただ黙って見るに留めるべきなのではないだろうか。

その上で、間違えたら指摘し、必要があれば適切な処罰や措置が下される。指摘されたら反省し何が問題だったのかを学び繰り返さない(1度の指摘で学んでくれ(n回目)) 。 綺麗事だとか牛歩だとか思うかもしれないが、社会全体でその繰り返しをしながらアップデートしていくしかない。

人は誰しも間違えうるし、無自覚な偏見を内包している訳で、誰かの変化や学びの過程に対して周囲が野次ったり"変わらない"というレッテルを貼り合う社会の先に、新しい未来や変化は訪れないのではと私は思う。

「自分は間違えない側」として誰かの変化の過程を上から批評するのは、また別の偏見に繋がりうるとすら感じる。1つの差別を否定するために別の差別やレッテル貼りをしていないか、常に自覚的でありたい。

間違いを指摘されるからと、"賢い人ほど目を逸らし口を閉ざす社会"ではなく、各々が自分の中にある無自覚な偏見を自覚して学び続けようと"自省し前進する社会"であって欲しい。

「必要な時に声を上げられたり、間違いが忖度なく批判される環境」と「変化の過程を野次らない風土」の2つは、二項対立ではなく共存し得ると思うのです。

未だかつて人類はまだ一度も差別や争いのない世界を達成していない訳で、まだ誰ひとりとして完璧ではないはずだから。

私自身も自省の念をこめて。

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