すでに持っている。(それは啓蟄的なことかも知れない。)①
以前、西洋占星術を探求している方々の勉強会に入れて頂き、ご一緒に学ばせて頂いていたことがあってね。
相当なおもしろい時間を味わわせて頂いたわけ。
濃厚な時間はかけがえない宝で、たくさんの学びがあって、今でも旨旨味わってるくらい。
はっとした捉え方のひとつに、「星を使う」というものがあって、これを最近よく思い出すんだよね。
超絶簡単に言うと、
惑星が象徴するあらゆる要素を個人個人すでにもう持っていて、それをいかに意識的に使っていけるかということ。
ただいたずらに運命に翻弄されるようなことはありません、という考え方、わたしは大好きだから、これはすごくおもしろい。
わたしの意訳というか超訳かも知れないけど、例えばね、
「わたしはおしゃべりは得意だけど、家の中で研究は苦手なのよ」
みたいな自覚があったとするでしょ。
それを
「社交的な星はもう使えるから、研究と集中の星をもうちょい使ってみるかな」
と考えるわけね。
これはすごくおもしろくてぞくぞくなる。
もう、有るから。
無いものを作らなきゃいけないわけじゃないからね。
すぐ実現するわけよ。
赤い服は今着てる、青い服も着たいから、クローゼットから出しましょう(-ω☆)キラリ
くらいのことだよ。
そんなかんじでね、
実は得手不得手なんてないんじゃないかなと最近思うわけ。
部屋にかけたか、クローゼットにかかってるかくらいのことよ。
同じ部屋にあるの。
でね、もうひとつ。
色々考え方はあるんだけど、ホロスコープには室というのがあって。
円を12分割してあって、どこにどの惑星がどんな状態で入っているかというのもみどころのひとつと言われている。
ある見方では、
12の室のうち前半は家庭、後半は社会のような雰囲気がある。
(これは本当に色々な見方があるから、それについて興味を持った方は専門の方に聞いてね。あくまでわたしの主観を書くよ。)
ちなみにわたしの惑星は全て後半に入っていてね、
導入的な言い方だと、
「あなたは社会に興味を持ち、家庭にこもるよりは外で活躍なさる傾向にあるわね」なんてかんじになるのよ。
でね、
わたし、小さい頃から結婚願望もなく、特技を活かして社会に出て生きて行こー、と思っていたから、すごく納得しちゃったわけ。
「うんうん、やはりわたしは家にはあまり居つかず、社会に出ていくタイプだよね」
なんてね。
だけどね、
やはり散々やり尽くしてくるとね、
違うこともしたくなるのよ。
前は前で良いんだけど、一週間ハンバーグ食べちゃうくらいハンバーグ好きだけど、それやったからこそ今週は懐石の良さも味わえるわ。みたいにね。
おうちにずっーと居て、「家庭」という無形の彫塑を体当たりかつやんわりとってのも、すごくいいなと心底思う。
じっくり食材とお付き合いして、コトコト、コトコト何かを煮込んで、自分以外の家族のだれかをファーストして、喜んだらそのことに喜んで、何もなくとも何もないことに万歳して、規則性のあるまるこいタイムスケジュールで明日をお迎えして…
名もなき全てが愛おしい、とはこのことか。
まあ、名はあるだけど(笑)
これはわたしの人生にとってはエポックだと気付いたんだよね。
かなり驚いて戸惑ったけれど、どうやら間違いない。
今までね、
向かないわーと思ってたことが、全ておもしろい。
全く不出来なのに(笑)
過去の体験はそれはそれで、肯定否定ではなく体験として感謝していて。
今は今で、おもしろく新鮮。
話しを戻すとね、
今は惑星がいないって部分を、味わって愉しんでるってこと。
いなくても、有るのよ。
何の反動でもなく、
ただただ、味わい愉しむ。
噛めば噛むほど、うまうま😋
それでまた惑星があるところに出ていくのかもしれないし、どちらも味わったね、良かったねってなるのかも知れないし、それはあまり執着がないのよ。
ただ、
この廻りゆくかんじを体感できたことに満足感があるよ。(^^)
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すでに持っている。(それは啓蟄的なことかも知れない。)②
『透明な栄養』をテーマに有形無形の造形活動をしています。ホリスティック~全体観~という捉え方を活動の基盤にしています。この捉え方は、いのちの息苦しさが紐解かれたり、改善される可能性をかんじます。noteでは日々の思考研究も兼ねて、この考えをもとに書いたものをシェアしています。