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おおいなる慈悲は降り注ぐ陽光のように

きょうはね、
気づいたことがあってそれを書いてみようと思います。

最近、とあるオンラインサロンになんだかピンときて突如参加させて頂きました。
入ってわかったのだけど、
そこはもうすばらしいことに、どのように会員同士で接しましょうよというのがちゃんと共有されていて、フレンドリーシップが確立していて、わたしは入った瞬間から何人もの方から温かな応援メッセージを頂いたのね。

新しい生活様式を社会全体で勧められるようになってから、わたしの活動もweb上で行うように切り替わり、またそれを以前から望んでもいたので嬉々として取り組んでいたの。

でもね、
新たな生活様式で、
ぶらりと歩いていたら知り合いに出会ってちょうど時間あるからお茶しましょうよ~ってカフェで話したり、
お散歩したり、お気に入りのお店を紹介しあって何時間もずっと一緒にすごしたりなんてことがなくなって。

他の方のことばに、そして心や活動に、耳を傾ける時間が本当に激減していたんだなということをね、実感したわけです。
このコミュニティでの温かな体験によりね。

何人もの方々がプロフィールや、わたしが一人で温めてきた夢を丁寧に読んで共感したり励ましのメッセージをくださったことで、驚きながらも気持ちがとっても温まっていくのを感じ、同時に、自分が以前のリアルなお付き合いの中で何を味わっていたのかを思い出したの。


それまで様々なコミュニティにお世話になり、何時間も何時間も、あの方この方と楽しく、そして時に神妙に人生の深淵のお話を分かちてこれたこと。これはね、本当に導きのもとに行われていて、意識的にセッティングしていたわけではありませんでした。
望んではいたけど言語にはなっていなかった、言語レヴェルまで認知できていなかったわけね。

ただご縁に導かれるままに、人生の時をいっとき交わらせて頂き、忘れがたい感慨を味わわせて頂いていました。

そういうわけで、
交際の場がネット空間に移ったときに、自分が甘露のように味わって交換させて頂いていたものが何だったのかもわからず、自分の一部が欠けたような、いのちの一部が過疎化していくような、そんな感覚だけがあって払拭できずにいたの。
というか過疎は進む一方。

すごく親切に接して頂いているし、自分もそのように努めていたけど、欠けたように感じるところはいっこうに埋まらないわけ。

オンラインでお話しする機会は以前よりも増えたし、メールで考えを交換する機会にも恵まれているけれど、きっと『最も大切なもの』は、意識しないとこの言葉のやりとりに特化した情報空間では交換交流できないのではないかな。

無言のうちにただ空間と時を分かち合い、じっくりと融和し、そして空気感を通してほろりと語られる会話。
私はそれがとても好きで大事に感じていたということがこの体験でわかったのね。

オンラインミーティングもメールも、とても便利でありがたいツールで、とってもとっても恩恵を受けています。

ただ、
ひとつの議題に向かっているときは便利だけど、『存在』を感じ、いのちを感じ、可能性を感じ、そして交換・交流するには、いささか不便ということなのかもしれません。
便利すぎて不便、なのかも。

いのちとはとても抽象度が高く、言語の枠に収まりきらない雄大なものとわたしは感じます。
だから、ただ窓の外をながめて共にくつろぐような、そんな豊かな交流を、言葉のやりとりだけで代替することはちょっと難しくて、ひと工夫が必要ということなのだと思います。

認知したいま、これをリアル空間ならではのものとあきらめず、どんな状況でも私が甘露と感じたものを愉しみあえるよう、考え続けて、工夫し続けて、感じ続けていきたいなあ~♪というのが今日の感慨と発見と望み。


深い充足感とやすらぎ【deep well-being】(tm)への道。


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『透明な栄養』をテーマに有形無形の造形活動をしています。ホリスティック~全体観~という捉え方を活動の基盤にしています。この捉え方は、いのちの息苦しさが紐解かれたり、改善される可能性をかんじます。noteでは日々の思考研究も兼ねて、この考えをもとに書いたものをシェアしています。