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大野友松年譜

大野友松元信 
通称:友松 名:元信か?
号:将痴居士 江東  
豊嶋屋主人(醤油・酢の醸造) 町会議員 学務委員
書画・和歌・禅を学ぶ(京都東福寺管長九峰老師に学ぶ) 

無聲会(南画同好会)代表
玉島圓通寺公園保勝会会長

明治5年(1872)2月19日大野善太郎の次男に生まれる。
明治11年玉島小学校入校。
明治14年12月下等第一級卒業。
明治18年3月中等全科卒業。
明治19年5月高等一級卒業。
明治15年2月より玉島成章学舎(鎌田平山)へ入り漢学を修め、明治19年6月に退舎。
明治19年4月より20年2月まで玉島林親与氏について英語を学ぶ。
明治20年3月大阪の泰西学館に入り、ギユリキ氏・亀山昇氏などに英語・漢学・数字を学ぶ。
明治20年4月大阪府立商業学校入学。
明治23年1月同校退学。
明治37年長兄の死により家業を継ぐ。

大正14年(1925)7月1日 血液循環治療法規定ノ件(岡山県浅口郡玉島町四百十六番地醸造業大野友松外二百三名呈出)議院回付請願書類原議(十二)。

友松亭の寄進前に中国へ漫遊。年月日不明。『玉島こぼれ話』藤田安良著
昭和7年(1932)月日不明 圓通寺へ中国風茶室、友松亭寄進。典拠『玉島の良寛遺跡案内』森脇正之著 倉敷文庫 H1. P47
 『玉島の景観と文化』玉島文化協会発行 森脇正之編著 S52.3.24 P63
昭和7~昭和11年の間に、柚木玉邨の紹介で、永田聽泉(昭和12年歿)に師事、七絃琴を学び始める。
 昭和7年6月8日付、永田聽泉から柚木玉邨あての書簡より、七絃琴の存続について相談し、学ぶ人の紹介を依頼している。『西爽亭懐旧尺牘』
昭和11年(1936)?「岡山の大野友松」から永田聽泉あての手紙が永田聽泉琴楽資料(上野学園日本音楽資料室蔵書)に残る。『江戸時代の琴士物語』
 岸辺茂雄著及び『永田聽泉琴楽資料について』三谷陽子著。手紙の年については、『七弦琴ー日本的琴学与琴士』岸辺成雄著・羅伝開訳。
昭和11年月日不明。この年刊行の『新日本人物大系 第3巻』の大野友松の欄には「歌道に遊び書畫の筆を採り或は七絃の古琴を撫して聖賢を偲び絃外の
 神音を楽しみつゝ悠々風月を友とせり」とある。

昭和17年(1942)『友松居士翰墨集』大野弘編 刊行。膝に七絃琴の肖像写真あり。
昭和18年(1943)「わが畫く景色の中に遊ぶなり糸なき琴を宇ちか那でつゝ」大野江東(友松)が病んで逝く十数日前に、柚木玉邨に寄せた歌。
     「辭世の意なりしか嗚呼」『西爽亭懐旧尺牘』(柚木久太)
同年6月19日歿。72歳(数え)

「大野家は累代善左衛門もしくは善太郎を襲名している。
寛文六年(1666)松平紀伊守(丹波亀山藩)に御蔵米係りを命ぜられる。」

森田平三郎著『倉敷雑記4』より。

#古琴
#七絃琴
#大野友松

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