「誰かの話す、ここにはいない誰かの話」
ここしばらく、「誰かの話す、ここにはいない誰かの話」について、
ずっと考えていた。
それにはもちろんいくつかのパターンがある。どちらもよく知らない場合、これは正直どうでもいい。どちらかはよく知っているけど、どちらかはよく知らない場合。これも後者がよく知らない人だったら興味もないし、前者だったとしても信憑性がない。多分一番タチが悪いのはどちらもよく知っていて、その話がよくない話の場合。いい話だったらいくらでもすればいい。
例えば自分の大事な人が話す誰かの話。これはきっとそのまま受け止めてしまうかも。でも、誰かの話す大事な人の話。これは私はあまり信じないかも。自分が見聞きした、感じた物だけが一番で、他の人の話すその人のことはそんな程度のことでは揺らがない気がする。
あまり良くない話だった場合は特に、そこには話す人の悪意や操作や嫉妬が微量でも含まれている場合があると思うから。それは話すときの愛情の有無でわかるとは思うが。
そこで思った。もしかしたら自分だって、どこかで思いもよらぬイメージを勝手に語られていることがあるとしたらめっちゃ怖い。全ての人が自分に好意的なわけないし、韓国ドラマとかみたいにめっちゃ影で嘘つかれてたり、ハメられたり、騙されたりしているのかもなんて思ったら、心底憂鬱になる。
だから、そこにいない人の話をする時は、喜ばしい話かおもしろい笑える話以外はしない方がいいと思った。それ以外は、どうせそこに真実があるとは限らないと思ったから。
とかなんとか言って、私は天邪鬼だから好きな人を少し悪く言うと言う悪癖がある。でも、愛情は隠せて無いと思うから大丈夫と思ってたけど、もし鈍感な誰かや、私をよく思っていない誰かが「あの人悪口言ってたよ」とか言われちゃう可能性もあるわけだから、悪癖は出す相手を選ばなくてはならない。(やるな)
あと一番ショックなのは、自分の好きな人が誰かの私に関する真実じゃない話にコロッとだまされていた時だと思う。そんなのがっかりが過ぎる。最悪だ。そういう時は大声でバーカバーカと叫んで思い切り叩いてやりたい。けど、実際は黙って勝手に軽蔑してうらむんだろうか・・・。暗いからな。どうせ。笑
結論。
もし言っていい悪口があるあるとしたら、それは本人に直接言える悪口だけだと思う。それ以外はどこか妄想や無意識の洗脳になってしまうと思った。でもって、悪口と嘘は違う。
あと、その人に好意を持っている人に、その人の悪口を言わないこと。これは死ぬまで持っていたいプライドだ。それをやったら完全なる敗北だもんな。
すべてを肯定するってどう言うことなんだろう。
2022.10.14
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