仙台の夜と昼

2011/09/24(土) 20:11:32

ARABAKI二日目の夜。
いろいろあって夜遅く街をさまよった。
また必ず来る気がした。この街に。
はじめて来た街だけど、なんかそんな気がした。
外を歩きながらする会話は、どこか現実味に欠けていて
だけどその分、言葉のひとつひとつが浮き彫りになって
その、曲がった角の角度とか、道の開けた感じとかと同時に
生々しい音量でよみがえる。
今年は想定外って言葉が流行語になりそうだけど
あまりにも思ってもいないことに揺さぶられると
けっこうおとなしく静かに現実を眺めたりする。
だけど、ほんとうはそんな訳も無く
どっかから抱えきれんかった思いが溢れてしまう。
予測できる出来事なんて、簡単に飛び越える。
なんだかわからないけど、結果そこに辿り着いたことが
不思議でならない。
陸奥ステージの大トリに奈良さんが紹介されたことも
このフェスが予定通り、4月に行われていたら
つまりは、震災がなかったとしたらなかった出来事だっただろうか。
わたしたちは、元々今年はこのフェスに来ようと決めていた。
震災のほんの何日か前も、4月の予定を立てていた。
だからどうで、というところまでは書かないし、書くつもりもないけど
まったくうまくいえないけど
ただ、あのさまよった夜を思い出すことができれば
この先もこの夏を忘れない気がする。

翌日、昼。
仙台の海岸を目指した。
行こうとしていた閖上海岸には辿りつけなかったけど
それでも充分だった。
現実を見るにはいろんな形があって
でも、ほんとうに目の前にあることを単純に見ることが
見ないこととどんなに大きな違いがあるか。
それがよくわかった。
とにかく、この足元まで水が来た、ということは
現実におこった出来事なのだ。
旅に出かけると、自分の存在がたよりなくちっぽけに思うことが
多々あるけど、今回もほんとうにそう思った。果てしなく。

そんな思いと、たとえば大好きなバンドを
大好きな人たちと見た時間が交互にいったりきたり。
さわさわと風が吹き抜けたり、夕焼けの空がきれいだったり
飲み物がおいしかったり、好きな曲が演奏されたり。
そこは一瞬の楽園かもしれないけど、
その瞬間はただしあわせで、リアルに存在するのだ。
普段の生活の中から飛び出すと、いろんな要素で
思ってもいかなかったことに発展する。

しかしほんとに、東北が一番大変な時に東北の誇りを持って開催されたアラバキは心底かっこいいと思いました。

って。なんだろな~。
気持ちが大きすぎるのと、自分が非力すぎて残すが逆効果なくらいまとまりきらん。

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