おばあちゃんの死と向き合う

身内の死を文章にして公開するなんて
人の死をエンタメ化してるみたい。

でも、どうしても文章にして公開したい。
おばあちゃんの死からもう5ヶ月。
そろそろ目を背けずに向き合わなければならない。

向き合う為にはこの手段しか今のところ思いつかないから。
おばあちゃん、許してね。


今年2022年2月某日おばあちゃんが亡くなった。
2021年8月に脳梗塞で倒れてから
半年間の入院の末亡くなった。

半年間は殆ど意識はなく、一言ふた言、話す程度だった。看護師さんが言っていた。

亡くなる当日、病院から「亡くなった」と電話が入る前
私は何故か突然目が覚めた。

明け方の5時ごろだったと思う。

おばあちゃんと会えたのはその数時間後。葬儀場で。


ここまで見てくれた方、何か違和感ありませんか?

そう、コロナ禍のせいで
「普通」とは全然違う死でした。

入院中、一切面会禁止。倒れてから一度も会えずに亡くなりました。
"亡くなってから電話があった"
という事は死に際にも立ち会えなかった。という事です。

((…あと…親戚がコロナを凄く恐れていて、参列者が増えるのを嫌がった…
孫も参列するのが普通なのに、参列者は孫とひ孫の中で私だけというのも、…))

おばあちゃんは半年間、辛い病気と孤独に闘った末
死に際も一人だった。ということです。

そんな現実を忘れるために

私は

おばあちゃんが亡くなってから火葬までなるべく長く一緒に居るようにしました。
おばあちゃんが好きだった曲をメドレーに編曲演奏して告別式で流しました。

でも、

おばあちゃんの死に立ち会えなかったこと。
亡くなる前、半年間一回も会えていないこと。
お葬式の参列者が明らかにおかしかったこと。

この何とも言えないモヤモヤは四十九日が終わってからも消える事はありませんでした。

ずっとこの現実に蓋をしてきました。

最近、ふとテレビを付けると

「コロナ禍でも面会できて、死に際に立ち会える病院がある」
という特集が放送されていました。

取材で
「みんなお見舞いに来て、孫達に囲まれて息を引き取りました。死に際に立ち会えてよかった。」
と娘達が涙を流している映像が流れて。

今まで蓋をしてきた感情が爆発しました。

私も面会したかったし、最期も立ち会いたかった。

コロナ禍について

最近私は妙にコロナ禍に攻撃的で
【マスクやワクチンの半強要、お飾りパーテーション、高頻度のアルコール消毒】にすごく嫌悪感があって、それが凄くストレスでした。(正直、今もです。)

おばあちゃんの死から強く思うようになりました。

私だったら
どうせ1年程度の命なら、死期が早まっても皆んなに会いたい。面会をしてコロナに感染したら死は早まるけど、それでも一人で孤独に死ぬなんて絶対嫌。


おばあちゃんはどうだったのかわかりません。
意識があったのか、無かったのか。それすら。

でも、こんなのあんまりでしょ。

面会禁止の理由も痛い程分かってます。病院の事情も。

おばあちゃんは、最期吐血して顔と髪の毛が真っ赤でした。そんな苦しい状態でも誰も会いに来なかったのです。一人で孤独に死んでいったのです。

大切な人の最期に立ち会えないのって、想像以上に辛い。ずっと後悔が残ります。

こんな死に方、あんまりじゃないですか。

何より、残された者が辛いです。

お母さんもお母さんの姉も
ずっと何かを背負ってるように思います。

以上。

余談

おばあちゃんは私にとって、唯一のおばあちゃんでした。

というのは

私はお父さん方の親戚は誰も居なくて
お母さん方のおじいちゃんも50代の若さで亡くなってるから。

唯一のおばあちゃんは

小さい頃からピアノの送り迎えやピアノの発表会に来てくれました。

親戚中、私がピアノを弾くことを知っています。
これを自慢げに言いふらしてくれた(笑)
のもおばあちゃん。

あの時代劇メドレーも生前に聞いて欲しかったし

最近は忙しいから〜と託けて敬老の日も
何も渡せてなかった。

コロナ禍のせいで
毎年正月の集まりも中止。

コロナ禍のせい?そんな事関係なく

感謝を伝えたい人、何かを贈りたい人が居るなら

今、するべきだと思いました。

私も感謝を伝えたい人、沢山居るな。

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