草刈旅行記
2024年、夏。切った横髪が肌に張り付いて鬱陶しい。ビルの間を抜けていく風は生ぬるく、終電で帰ってくる頃にもまだ涼しくない。
日本の夏が本格的におかしくなったのを感じる。終戦の頃、こんな暑さだったんだろうかと、と毎年思ったりしていたけれど、ここ数年の夏は異常で、当時よりよっぽど暑いだろうよ。
全く脈絡はないが、そんなこの夏、私は大島のワークキャンプへ参加することにした。
大事な夏休みの日にちがただ過ぎてしまうのを食い止めるぞ!という気持ちと、キャンプの受け入れ先である藤倉学園に興味があったので、かなり軽い気持ちで参加を決めた。あとはキャンプの参加人数が少なそうだったから……とかそういう理由。
大島の場所はよくわからないまま行くことを決めたので、意外と静岡に近いところに島があってびっくりした。
そういうわけで、今回はワークキャンプ旅行記である。一応だが個人情報的にちょいちょいフェイクも入れている。
なお、前回のフィリピンワークキャンプ旅行記はこのリンクから……。アレもハードだったが、今回もそれなりにハードで、フィリピンの経験がなかったら疲れてくたばっていた。
いざ、大島へ!
大島は、竹芝(浜松町駅の近く)の船のターミナルからだいたい6時間でつく。この日は22時過ぎの便。お酒を飲みながら船を待つ。
チケットはとてもお手頃価格だ。
2等の席なので6千円強。学割が効いている。
学割なしでも7千ちょっとで、夜行バスみたいな感じ。
船の上でもしこたまお酒を飲む。
もちろん、この飲酒には意味がある。
今日から数日、ずっと一緒にいるキャンプの仲間(キャンパー)と親睦を深めるのはとても大事な飲酒だ。
ただ、今回のキャンプはみんなお互いに知っていたので、特に親睦とか関係なくお酒を飲み、海を眺めた。特に会話を覚えていないが、夏のキャンプあるあるで盛り上がったような……。
程よく飲んで、この狭いスペースで寝ることに。隣までの距離が狭く、足が当たる。でも、綺麗だからそんなに不快感はない。女性専用スペースだった。
写真の右下、お気に入りのウクレレを携えて乗船した。キャンプに行く時には楽器があるとすごく便利なので、最近はどこにでも持って行っている。フィリピンでは歌のプレゼントで使えてよかった。3000円で買ったウクレレ、最悪置いて帰ってもいいしね。
ちなみにこのウクレレを持って、かつ旅先で捨てようと思っていた服でコーデ組んだら変なファッションになり、お酒買う時に年齢確認された。
さて、1時間ちょっとだけ仮眠をとり、気がつくと大島が近づいていた。
案外あっという間だった。さるびあ号の部屋は恐ろしいくらいに寒く、ほとんど眠れなかった。
寒い人用に布団が100円で売られており、皆が買っていた。だったら温度を上げればいいのに……と思うが多分そういう布団ビジネス商法だろう。しょっぱい。
今思えば、看板で寝るのがちょうどよかった。この日は大雨で、看板で飲んでいる時にも冷たい雨が降った。けれど、雨さえやめば、寒くもなく程よく看板の床で寝れる気温。
船はそこまで揺れなくて、飲んでも吐かないで平気だった。眠るのにもそんなに支障はなかった。
久々の旅行にウキウキして沢山写真を撮った。こういうのは撮るだけとってほとんど見返さないが、マ、それで良い気もする。
ちょうど日の出の頃に到着して、船を降りる頃には明るくなった。島はかなり小さくて(前情報ほぼ無しで大島に来たから新しいこといっぱい)、港もコンパクトだった。
チケットの半券を回収されて船を降りる。チケットは行きにも半分回収されて降りる時にも回収される。飛び込んで人の数が減っていないかを管理しているようだった。チケット無くさないように皆さんもお気をつけて。
少々寝不足だがワクワクしながら大島に上陸。
港には黄色い路線バスがおり、私たちはそれに乗ってまずは温泉に。そこで仮眠を取ろうという魂胆だった。バスの運転手さんはどぎついピンク色のポロシャツを着ていて、親切だけどパンチが効いていた。
元町と呼ばれる、大島の中心地へ。
御神火という聞き慣れない言葉は、大島の火山である三原山を指している。元々大島は火山でできた島で、温泉がたくさん湧いているようだった。
眠くてだるい朝5時、ここに到着し、朝風呂をチャチャっと済ませて広間で仮眠をすることに。温泉はすごく気持ちよかったけれど、睡眠を優先したかったのでカラスの行水で終わった。寝不足とストレスとお酒の飲み過ぎからか、ニキビができていて悲しい。たくさん保湿をしておいた。
温泉の広間も、冷房が効いていて寒くて寝るにはあまり適してなかったが、どうにか1時間くらいは寝れた。船と合わせて3時間くらい寝れたか……?という程度。
9時ごろには出て、宿に荷物を置きに。温泉からは歩けた。
ホテルって感じのところではなく、ゲストハウスに泊まった。ご飯もないのでB&BではなくてB。
私たちのグループは3人部屋に4人で泊まったので一人はソファで寝て、もはやBでもなかった。強いていうなら「S(ソファ)」?
藤倉学園とは
その後バスで藤倉学園に。
藤倉学園は、大島高校の向いにある福祉施設だ。
大島高校というバス停で降りて、渡って学園に向かう。
入り口は、少し閉鎖的な印象というか、誰でも出入りできるけれど、学園がここにあるというアピールは少ない。表札はあるが、初見でここが何の施設かはわからなそうだった。
この入り口を入ると、ジブリのような木々に囲まれた斜面がある。
坂を登る。大島は、本当に坂が多かった。さすが火山でできた島だ。
藤倉学園。ここでは、障がいのある人たちが暮らしていて、70人ほどの入居者と50人ほどのスタッフが働いている。
敷地がとにかく広く、建物も何棟か建っている。
居住する建物の他に、作業をするような建物があったり、人が泊まれる場所もあったりする。
藤倉学園は、1907年に知的障害者施設として創設され、戦争中には疎開があったものの今まで続いている。
キリスト教系の理念を持つ学園で、礼拝堂もあった。
私たちのキャンプは、キリスト教の学生サークルとして参加しているので、そういう意味で藤倉学園と関係があった。しかし、ポストコロナや(おそらく)高齢化、スタッフ不足で、今は礼拝がなかなか行われずにいるようだった。
キャンパー、ほとんど皆が牧師の子供だったり神学生なので落ち込む……。
園内を散策したときに、建物に入らせてもらって色々見ることができた。私たちが歩いていると、発話がない園生の方がフラフラお散歩していて、穏やかな雰囲気が素敵だった。広いから、散歩が楽しそう。
知的障害者の方が、かつては捨てられてしまったり、たらい回しにされてしまったりしていた時代があり、おそらくこの学園は(戦前から)そのような方々を集めて、一緒に生活していた。今の言葉で言えば療育と言われるだろうが、学園内で色々なアクティビティをすることで、学園生のできることを少しでも増やすために様々な工夫がなされていたようだ。
昔は若い人たちがたくさんいたが、今は高齢化して、藤倉学園には私たちキャンパーよりも年上の方ばかりがいた。
今では、子どもが捨てられたりしないか、と言われるとどうなんだろう。
正直、今も昔も変わらなそう。
子どもを施設に入れて、障がい者年金を親が使ってしまうなんていうケースもある。施設に入れた後、一度も会いに来ないという話も聞いたことがあるし。期待して産んだ子どもが、想像していなかった障害を持っていることで、親が嫌になるっていう、地獄みたいなことが、現実にはよく起きるのだろうなと思う。
私は、やはり小さい頃にこのような知的障害者向けの老人ホームの近くに住んでいて、幼い頃によく施設の入居者さんに遊んでもらったことを覚えている。確かに、ほとんど何も話せなかったり、名前しか呼ぶことができないとか、目が合わないとか、健常者からしたら大きな違いがある人たちもいる。けれど、一緒にごはんを食べたり、話したり、踊ったり、手を握ったりする中に喜びがあって、それはその人としか生まれない喜びだから、かけがえのないもののはずだ。
ただ、家庭にお金の余裕がなかったり、それこそ、こういう施設だと人手が足りなかったりすると、そのような喜びや嬉しさを大事にできなくなって、ケアが負担になってしまったりするのが想像に難くない。
ケア、という言葉も、本当は相互のやり取りというか、もちろんどちらかがケアをするものの、そこにはケアをする喜びだってあるし、搾取ではないはずだ。お手伝いをしているはずが、ハッとさせられて、大きな気づきをもらうことだってある。
しかし、やりたくない人がやることで、それが苦痛になるし、そうでなくても、不得意な人がやることで、辛い労働に感じられてしまう。ケアがどこまで苦痛じゃないか、どこまでのキャパがあるかは、かなり人それぞれというか、伸ばそうと思って忍耐強さは伸びるものではなくて、巡り合わせというか、難しい塩梅だなあとしみじみ思った。
とはいえ、今回のワークキャンプはワーク第一で、藤倉学園の理念などを勉強するスタディツアーではない。藤倉学園に関しては、学園側から詳しく教えてもらったわけではなく私が調べただけなので、正直なところよくわからないことも多い。あと、福祉全体へのイメージで話しているので、上記のことはもう私のポエムです。
てことで、早速ワークに移る。初日の朝10時すぎ、学園に入って左側の雑草ボーボーの場所へと移動した。
ワークキャンプ開始
Day1 ドキドキ草刈り初日
案内された雑草だらけの土地には、キャンパー分の草刈機が用意されていた。人生初の電動草刈機、ドキドキする。指が切れたらヤクザみたいになっちゃうかな……。
藤倉学園に所属している、学園生の方がお手伝いをしてくださり、マシンを握った。肩にベルトをつけ、それに機械を繋ぐのであまり重くない。
土を少し抉るようにして草を刈っていく。
これが、コツを掴むまで大変だった。特に、刈った後の草が邪魔で、それをうまい具合に端によせるのが難しかった。
けれど、草刈りはやりがいがあった。
切った草が、いきなりシワシワになり、茶色く変わっていくのが不思議だった。雑草を抜くときは、手で、根っこから行くから、こんなふうに刈るなんて初めてだった。一度に何本もの雑草を切ることができるから、激しい勢いで自然破壊しているみたい。
おおきなバッタがバタバタと草の合間を逃げ回る。私は黙々と作業をした。
頭の中には、「あー、ここ刈り残してるか?」くらいしかなくて、すごく息がしやすかった。こういう作業、自分の悩みとかから解放される感じが好き。
思わず「これを仕事にしたいくらい好きです」って学園のスタッフさんに言ったら、ちょっと引かれた。家族に言ったら「じゃあここもやってくれ」と実家の近くの空き地の写真送られてきて萎えた。
この草を、トラックに積んで捨てに行くまでが一仕事だった。重くて絡まるから、草を運ぶのが厄介だった。触ると痛い葉っぱもある。
刈ると土がみえ、集めれば草は山になり、やればやるだけ目に見えて仕事が進むのが楽しくて、黙々と作業を続けた。たまに蜘蛛の巣に気づかずに、顔で蜘蛛の巣を浴びちゃって、顔中が蜘蛛の糸パックみたいになった。ヘルシーな感じ!蜘蛛の巣、柔らかい!
トラックの荷台に乗って、木々の間を抜けていくと、「ああー、夏休みだ!」て感じた。爽やかな風が吹いていて、心地が良い。
そんな感じで、1時間ちょっと作業したら休憩でランチ。
ポテトサラダが優しい味で美味しかった。暑かったので飲み物をガブガブ飲む。
大島にはコンビニなどはなく、近くに飲み物をゲットする場所がなかったので水道水飲んでみたが、水道水がなんというか塩っぽかった。
これは入れたて水道水だけど、白い……。
水道の水を飲んでいいのか、やめるべきかというキャンパー内論争があったが、私は「まあ日本だしいけるだろ」という判断。
少し休んだら午後も作業を進める。
歩くどころじゃなかったのに、これくらい綺麗になるとテンション上がる。
午後も午前と同じ作業を繰り返して、この日のワークは終了した。
へとへとだけど、この日は浜の湯という大自然温泉プール観光スポットへと向かった。公営の施設で、夕陽を見ながら温泉を楽しめるというところ。
大島の空はだだっ広い。東京には空がない、本当の空は大島にあった。脳内で梶井基次郎が智恵子と喋ってた。
どこまでも空が続くのが新鮮だった。家具がない部屋の壁紙を見ているみたいだった。どこか遠くから雲が来て、また遠くへと悠々と進んでいくのが、壮大で果てしない。
大島、一番栄えているところもちゃんと田舎で、こうやってホテルから浜の湯までの道のりも、自然豊かな道だった。そういえば、信号は島に4つしかないらしい。穏やかな時間が流れている。
道路は観光客のせいで若干混んだりトラブルがあったりするみたい。
大人300円で入れる。安い。
男女混浴なので、水着を着用してお風呂に入った。内湯はなくて、シャワーが着いている。軽く汗を流してお風呂へ向かった。
あいにくこの日は曇っていて綺麗に夕焼けを見ることができなかったが、眩しくなくてちょうどよかった。夕焼けといえば、ギリシャのパルテノン神殿で見ようとした日も曇っていたなあと思い出したり。
(参照)
浜の湯は観光客しかこないので、外国の方などがいたり、ナンパ師の方がいて面白かった。
二人組でナンパを頑張る男の子たちを、仙人みたいなおじさんが邪魔してトークを全部掻っ攫っていくのを見ながらお風呂を味わった。
お風呂は熱くて、我慢できずに上がると今度は張り付いた水着が寒くなり、お湯に入ったり出たりを繰り返した。
さて、ほかほかお風呂を楽しんだのちに買い出しへ。現地で出会った頼れる姉御に連れて行ってもらいスーパーを訪れた。
コンビニがないし、ホテルはSなので、とにかく色々買う。しかし、本土から運んで来るのが大変なため、レパートリーも少ないし、価格も高かった。
本土とのやりとりがなくなったら、大島は自給自足できるのだろうかとふと考えてしまう。漁業はほとんどないし、農業もそんなにガツガツやっていないだろう。
そしてその後、現地の姉御が鬼電して予約をとってくれた寿司のお店へ。
これ最高に美味しかった。うつぼってこんなに美味しいの?!っていう美味しさ。身がプリップリしていて、ほんのり甘くて少しうなぎみたい。
美味しくてあと2皿くらい食べたかった。
緑の草はあしたば(明日葉)。野菜にしては美味しすぎる。なんだこれは。永遠に食べれる。
わりとどこにでもある草らしく、藤倉学園にも生えていたがキョンに全部喰われたそうだ。キョンは島民より数が多く、タチが悪いのだとか。なお姉御曰くキョンは食べてもうまくない。
そして、有名なベッコウ丼。ベッコウ漬が大島の郷土料理で、醤油や少し辛い唐辛子などが魚に染みて美味しい。ここお吸い物も美味しくて、ガブガブ飲んでしまった。
くさやも伊豆大島の特産。きつい匂いがする、と言われるが、全然そんなに臭くなかった。多分今まで私の人生で何度かくさやを嗅ぐ機会があったみたいで、どこかで嗅いだことあるなあって思ったし違和感が少なかった。
ピザにするとチーズとくさやが最高にマッチして美味しい。一番お酒に合う味。友達のキャンパーたちは遠慮したので私が何枚も食べてしまった……。また食べたいが、好き嫌い別れる味(匂い)だ。
お腹いっぱいになったので、宿に戻った。
浜の湯では内湯がなかったので順番にシャワーを浴び、乾杯。
キャンパー同士でこの日は色々な感想を言い合った。藤倉学園の施設のことや、草刈りの感想など。
草刈りにも性格が出るというか、徹底的に刈り尽くしたいっていう人もいれば、8割でいいっしょという人もいて面白い。メンバーみんなよく動く人たちだったので、すごく作業がスムーズだったなと思った。疲れて休む人が少なかったが、こんなにテキパキ働き続ける人が集まるワークキャンプは初めてだったかも。今思えば、突然東京から学生が来てほとんど休まず文句も言わず楽しく草刈りをしていて、学園のスタッフもちょっと怖かっただろうな。
草刈りは、やったらやった分だけ成果が見やすくて充実感はあるけれど、あまり協力している感じはないなとも思った。例えばフィリピンのワークキャンプでは、セメントを混ぜたり、砂利を運んだりをみんなで協力してやっていて、一人じゃできないことがみんなでできるようになるという喜びがあった。
それに対して草刈りは、結構個人プレーというか、もちろん協力して草を集めたりはあるけれど、作業中に声を掛け合ったりはしないし、一緒にいるものの孤独がある作業だった。地面に、地球に向き合っていた。
お酒を飲みながら、障害についても色々話をした。福祉のことを学んでいる学生も多かったので、施設の仕組みや社会の仕組みにも話が及んだ。重度の障害がある人を受け入れると、助成が多くおりる。だから、多くの施設では重度の人を受け入れたがる傾向にあるのではないか?とか。
また、ああいう施設を運営する中では、軽度の人の方が手がかかるというか、言い方が不適切かもしれないけれど、軽度の人の方が他者とのトラブルが発生しやすいし、それをケアするのも労力がいる。ただ同時に施設を活気づけてくれるのも軽度の人の力が大きいし、雰囲気をつくるのも彼らだろうとも思う。理想の福祉と社会の現実の狭間で歯痒い思いをしながらビールを飲んだ。お金が無限にあればいいけれどそうではない。
福祉を充実させるために妙案はないかと考えながら初日を終えた。
Day2 続草刈り
寝たと思ったらすぐに朝になっていた。
1日目は船と温泉の広間の合計3時間の睡眠しか取れなかったが、この日は7時間以上の快眠。
どうせ草刈りしかしないので化粧も要らず、起きて朝ごはん(カップ麺)を食べて、日焼け止めをベシャベシャ塗ったら、藤倉学園へと向かった。
早速ワーク再開。
この日は、刈り残した斜面にチャレンジ。かなり傾きがあって、まず地面に立つのが難しかった。
足場がない。滑りそうで怖いし、滑ったらこの危ない草刈機が身体に当たるかもしれなくて怖い。
斜面で草刈りをはじめた瞬間、あまりの体勢のキツさに、わ、これ無理だ、こんなんやってたらしんどくてくたばる……て思ってすぐに辞めたかった。けれど、斜面やりたいって言い出したの私だし、私はこれでもお姉さんなのでガソリンが切れるまでは頑張ろうとどうにか刈り始めた。
平地と違ってベルトが意味をなさないので、自分の手で機械を持たないといけない。重いし身体が斜めだから変に力がかかる。右の方が高く、左が低いので、右の腰に機械を預けて安定させ、どうにか草を刈っていく。草が長いせいで、すぐに歯に絡まる。
グリップを握る手に力がこもり、親指の付け根の皮が一瞬で剥げた。加えて手首で支えていたからか手の甲にも青あざができて痛い。
どちらも絆創膏で治した。
難しいし辛いし木々の合間には蜘蛛の巣が沢山あって、つい顔面で蜘蛛の巣をキャッチしちゃうしで涙目だったけれど、数十分やったら慣れた。
足場がなくてぴいぴい泣いていたが、すぐに度胸が着いて適当な大地を踏みしめられるようになった。重力は私を裏切らない。
朝の2時間半くらいでどうにか全てを刈り終えた。
やったね!
マニュアルで免許を持っていると言ったら、軽トラに乗せてもらった。
でも私がマニュアルを運転したのは、免許を取った時が最後。全く覚えていなかった。クラッチの繋げ方もエンジンの音もよく覚えていない。300回くらいエンストしたけれど、スタッフさんは粘り強く教えてくださった。
福祉をする人の根気強く人に教える姿は、並大抵のものではない精神力がいる。私だったら、「できない人の代わりに私がやっちゃおう」って思うけれど、「この人ができるようになるまで一緒に見守る」っていう力も必要だ。
作業終わりに学園長がやってきて、蜘蛛を捕まえて見せてきた。
「このお尻から糸が出るんだよ〜」と言って糸を出させた。
残酷すぎて笑った。リョナ?
蜘蛛の糸がぴーって伸びていくのは驚きだった。糸を吐くっていうし口とかからちまちま糸を生成しながら巣を作っているのかと思いきや、引っ張ったら伸びるんだ……。知らなかった。
というわけで午前終わり。
汗を拭いてお昼ご飯をいただく。
ここのお弁当すごく美味しい。青椒肉絲がとにかくいい。卵焼きも出汁の味が上品で、一本食べたい。労働の後だからかお米がたまらん。
やはりまた福祉の話で大盛り上がりしてランチタイム終了。
午後は、藤倉学園そばのグループホームの草刈りを任された。
簡単にいうと、ここは、軽度の方々がなるべく自分たちで共同生活をしているところだ。
午前中に激しい傾斜で草刈りをしていたから、余裕で草刈りを始めた。もはや、草が長くってもそんなに大変ではなくなっている。もちろん、歯に絡んだら面倒なのだけれど、それでも刈るスピードがぐんぐん上がっていた。
ただし、ここのホームには日陰がないので、とにかく暑かった。先ほどの傾斜のところは木がたくさん生えていたおかげで、木陰があって、涼しくて作業を止めずに進めていられたけれどそうはいかない。(木が生えていると、根っこの周りは刈りにくくて、いいことづくしというわけでもない。特に斜面で足元が見えないところで木の根っこに歯がぶつかると、ギンって鈍い音がして弾かれて、こちらにダメージが入る)(森の木陰といえば、すぐにロクス・アモエウスlocus amoenusが浮かぶ。牧歌的なのどかさ)
滴る汗を何度も拭くけれど、バテるスピードが比じゃなかった。
建物のそばで休憩をとる。
アイスの差し入れがありがたかった。こんなに美味しいアイスはない。友達が「すべてのアイスはサクレでいい」とか言ってて面白かった。んなわけないだろ。美味しくて食べ終わりたくなかった。
1時半から作業をしていたが、3時過ぎにホームに住んでいる人が帰ってくるというので、それより先に作業を終わろうということでチャチャっと刈っていく。全てを刈り終えたら、寂寥て感じ。
今日の業務はこれでおしまい。ワーク終わりに、スタッフさんから手作りパンナコッタの差し入れもいただく。甘やかされている!
めちゃくちゃ美味しい〜!!!!!
癒された。
今日の汗を流すため、大島温泉ホテルを訪れる。山のかなり高いところにある温泉で、景色がすごく良いとのことで大喜びで入館。
この、露天風呂が最高だったんだけれど、絶対言葉で言い表せない……!
山の緑がずーっと広がっていて、草刈機でズーって刈りたくなるくらい青々としていた。私たちは裸で仁王立ちしながら、三原山を眺めた。
景色がいいって、こういうことなんだなと味った。なんだか大人になった気分だ。
ぜひ、大島に行く時にはこの絶景を見てほしい。
あいにくの曇りだったから、今度はもっと晴れた時に行きたいなあ〜!
さて、夕食。
下山(車)して、海辺へと向かう。
夜ご飯は、姉御のバイト先だったという居酒屋へ。
お通しが3品も出てきて豪華だった。お吸い物にはギュッと身の詰まったモツが入っていて美味しい。この日はたけのこご飯を作っていたようで私たちはようやくありついたご飯をバクバク食べた。
残念ながら、甲殻類や貝類がアレルギーな私は美味しそうな貝を見つめながらビールを飲んだ。1日の終わり、ビールがうまい。
何でもかんでも美味しかった。島の焼酎も飲んだが、もりわかというやつが甘くてスッキリしていてよかった。気に入ったのでお土産として買って帰ってきた。
夏のワークキャンプで、本当に気持ちの良い人たちに迎えてもらって、お手伝いさせてもらって、もう感謝しかないです!ありがとございます!って3時間くらい言いまくった。途中から眠かった。一瞬寝た。
最高な夜だった!
こんなにたくさんのものをもらって、全然返すことができない!困る!
歩いて宿へ戻り、飲み直し。
冷えたビールは何度飲んでも美味しい!
海辺で飲んだので、髪の毛がバサバサだったので、シャワーを浴び、洗濯を回し、酒が回った頃に就寝した。
さよなら、大島!
最終日の三日目、起きた瞬間から全身が筋肉痛でどうしようかと思った。
二日目はまだ、腕にカヌーとかテニスをしすぎた痛みで、まだ気にならなかったんだけど、この日はもう痛くて仕方がない。腕なんか、歩いて腕を振って後ろにやるたびに痛いし、車のドアのスライドをさせるのも痛かった。
こんなに筋肉痛が痛かったら、筋肉ムキムキになっちゃうよ……。
ということで、この最終日は、すかした顔で写真を撮っている時も、腕がメタンこ痛かった。
さて、少し雨が降る中、朝から学園に向かい散歩をする。
一緒に草刈りをした方から、愛のこもったお手紙をもらった。私の似顔絵が書いてあって、嬉しくて泣いちゃいそうだった。
その後、少し大島を知るために、郷土資料館へ。
島流し先として有名なスポットだったと知る。色々な人が流されている。
離島だし、結構東京から距離があるから、沖縄みたいに独自言語があったのかな?とか思っていたが、そんなこともないようだ。静岡からは近いしな。
赤穂浪士の遺児なども流されていたと聞き、忠臣蔵ファン的にはちょっとテンションが上がった。
おそらく、身分の高い人が流されてくることで、かなり文化の質が高かったのだろうと思われる。言葉とかも、現地の人の言葉ってそんなに強くないし(そんなに現地の人と会っていないだけか?)、そんなに本土と変わらないかも。
かなり手作り感あふれる展示でよかった。
さて、郷土資料館を出て……
次の行先は「フジカフェ」である。
ここは、藤倉学園が運営しているカフェ。軽度の障害を持っている人たちがスタッフとして働いていた。
手作りケーキを食べ、その後パウンドケーキをいくつか買った。オリジナルTシャツもあり、これもお土産に買った。豪遊。
あしたば、漢字では明日葉と書くのだとここで知る。あしたかと韻が踏めるな〜としか思っていなかった。
「今日摘んでも、明日芽がでる」から明日葉というらしい。すくすく元気な葉っぱだ。春の季語らしいので、歌を詠む時には気をつけたい。
カフェを出て、そろそろ船の時間が近づいたので、港へと向かう。
出発の港は、その日の波によって変わる。この日は岡田港だった。
近くで、ウツボ定食を食べる。
ただ、このご飯が出てきた時に、「後15分で船のところに行かなきゃ」という時間だったので、味をほとんど覚えていない。
美味しかったのは一瞬で、とにかく胃にかっこんだ。
藤倉学園のスタッフさんがお見送りをしてくれ、最後に姿が見えなくなるまで私たちを送ってくれた。
手を精一杯振ったけれど、あっという間に小さくなってしまった。
別れる時に「お疲れ様!」と労ってもらって、なんでかそれが嬉しくて、涙が出そうになった。このキャンプに、「お疲れ様」の一言がピリオドを打った。これで本当に終わったんだなと感じて、安心したのかもしれない。
私たち以上に受け入れをしてくださったスタッフさんの方がきっと疲れただろうに、大きい人だなと思った。本当にありがとうございました!
船はぐんぐんと進んでいき、島が小さくなっていく。
おしゃれな写真を撮ってもらおうとしてあんまりうまく行かなかったやつ。雲のせいだと思う。
今回、座席は行きと違くて、夜行バスのちょっといい椅子のような席だった。リクライニングもできるし、足も上がる。キャンパーたちといろいろ感想を話しながら、考えたりして、疲れたので寝た。よく眠れた。
夕方17時半、無事に竹芝へと到着。
もう帰ってきてしまったのか!
こういう充実したキャンプは、帰ってくるまでが一瞬だ。傾斜のところの草刈りをし始めた瞬間は、こんな場所で草刈り何分も持たないよって思っていたのに、それがもう遠い昔。
また藤倉学園にキャンプに行けたらなと思う。
楽しい三日間だった!
ご拝読ありがとうございました。
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