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自己陶酔力とI love you

人生においてその瞬間には理解できない言葉がいくつかある。
そしてその投げかけられた言葉は、全く受け入れ難い異物ではなく、
自分の奥底に存在するナニカを表現していることだけが直感的にわかる。
自分自身のことなのに理解できずに、目の前にいる他者に視えているのだ。

その言葉は自分の中にまだ開けていない箱として居続ける。
普段何かを買ったらすぐに包装紙をビリビリ破ってすぐに使い出す性格なので、開けていない箱があるのはとにかくそわそわするのだ。
その箱は開けてもまだ何も入っていないことを知っている。
中身を見ることができて、触れることができて、装着できるスキルや経験が足りないのだ。
開けることができるその時が来るまで、抱えなければいけないそわそわ感を
私は生まれてこの方ずっと感じている。

「生き急いでるね」と言われ続けてきたけど、
急いでいるのはその箱達を開けたくって仕方ないからだと思う。

その中ですでに開けることができた箱をひとつ。
「アグリちゃんは I love me から I love youが作れるようになった時に
開花するわよ。それまではmeをとことん作り続けなさい。meだけでは飽きたらなくなった時にできるようになるから。」
デビューから依頼していたファッションプレスのM氏の言葉だった。

それを受け取った時はそわそわを超えて、もやもやした。
視野が狭い自分にも、スキルの足りなさにも嫌というほど気づいていたし、あなたはまだ未完成であると、他者から言語化されたことも悔しかった。
何より「あぁまた今開けられない箱が増えた...」という箱の質量の重さにうんざりした。

第二の反抗期のような時期で、M氏のフランス流のファッションプレス論にことごとく反発していた私はこの言葉も自分の中から押し出そうとしたが、長い間自分の心の真ん中に鎮座していた。

そして抵抗も虚しく私はM氏の予言通りのクリエイション人生を歩んでいる。
何も自分が大好きでmeを掘り起こし続けていたのではない。
昔から人間の感情に興味があったからで、その揺れ動きを作りたいと思い、実験をしていたのだと思う。感情至上主義の私は良い被験者だった。

例えばコレクションのタイトルでは
「Iconic memory」(感覚記憶の意味)でデビューして、
「Shut my eyes-私はその瞬間の美しいものを手に入れるために目を閉じる-」
「涙の現象-創作の原点を辿るとき全ての現象は私の涙によって知覚されていた」
と続くのだ。
全ては人間の中で起きる事象ばかり。
(誰にも曲解の余地を与えないぞ!というシーズンテーマの長さが若さを感じる…という注釈を入れたいくらいには昔の掘り起こしは恥ずかしい。)

Iconic memory デニムのカットワークのドレス


そこから
「FACE TO YOU/FAKE TO YOU-あなたに見せる顔/あなたに見せない顔-」
というコレクションで初めて他者が出てくる
「I love half of you.」-but my imagination feel the rest.-
あなたを半分愛する、と愛という言葉が出てきて
「I`ll make you mineー私があなたを捕まえる-
「Left letters」というコレクションでは置き手紙を置いて愛する人と別離している
(ここまで書いてみてテーマの重さに私は本当にファッションでコレクションを発表していたのか甚だ疑問だ)

I`ll make you mine
"Left letters"

AGURI SAGIMORI時代最後には自分以外の誰かが登場している。
そしてagrisとしてリブランディングする際に掲げたのが"求愛"である。
これまで感情のブーストとして愛を使っていたような感覚だが
愛そのものを真ん中においた。

M氏の「I love you」の箱をようやく開けたのだ。

agrisとは
"a"(単数)gir  "s"(複数)
が混じった言葉で "a"(私) と "s"(あなた)という自分以外の人との関係性を表している
間にある"gris"は仏語のグレーで、感情の白でも黒でもないグラデーションを捉えるという意志を潜ませた。

自分だけを見つめて感情を生まれさせるためには高濃度の自己陶酔力が必要になる。ヒタヒタに浸らせてあげることが重要で、そしてその浸し液は喜びよりも、多少ナーバスな状態の方が感情がブーストさせやすい。

ナーバスと言っても「悲しみや怒りをクリエイションに持ち込みません!」とメディアでも言っていたのだが、あまりにネガティブに全betした感情を使わないと決めていた私は"切なさ"を多用していた。
秋の始まりのような、
夕方の空のを見る時のような、
心が通っていない人をまだ想うような、
体の中心が締め付けられる苦しさだ。

切なさドラッグは非常に良く効いて、集中力も上がるし、普段見えないものを掬い上げることができ、それを具現化する追い込み方も尋常じゃないといったデザイナーとしては最高の効能がある。
今振り返ってもあの時辛かったよな、というシーズンのクリエイションは追い込み方が違って気に入っている洋服も多い。

今でも切なさは私の切り札ではあるものの、ある年齢を超えた時に、喜びで感情をブーストさせたいなと思うようになってきた。
そこであまりに表現としては直接的で、コンセプトとして掲げるには青臭くて恥ずかしい"求愛"を引き摺り出してきたのだ。

健康体で、正常な頭と、幸せな心を使って
ドラッグでは到達しない狂ったものが作り上げたいと今も思っている。
ちなみにドラッグやなんだと言っているが、私はお酒も煙草も受け付けない弱体質なので、ドラッグや大麻の類は一度も口にしたこともない。それにその作用がなければ作れないのであれば潔く違う仕事に就こうと思っているので心身共にクリーンであることを付け加えておく。

ただ喜びと言っても元気!ポジティブ!ハッピー!と100%ポジティブに触れているものではなく、切なさ以外できゅーっと締め付けられるような作用が欲しかった。

"求愛"は興奮するアドレナリンと救いになるセロトニン両方にアクセスできる。
求愛により他者を見つめ作るという方法は、半分は相手に委ねる余白を持っている。
どういう結果が出るかわからないので翻弄されるが、自分の思い通りだけを作るのではなく、どこに行き着くかわからない環境を作ることで、よりライブ感のあるエキサイティングなモノづくりができるのだ。
私一人では行きつかない場所へ連れて行ってくれる。

求愛ダンス



そして求愛行動から6年経ち、今またMeを再考する時期にきた。
2022にMMMMEというキメラガールを誕生させた。
その名前に忍び込ませた"Me"はその名の通り"私"の原点だ。

MMMMEについて
http://www.mmmme.me/
https://www.instagram.com/mmmme_mmmme/

「仕事でも、消費物でもなくただ好きだから作る」行動は、クリエイションの純度を保つのにとても大事なことだけど、どうしても日々迫り来る納期がある仕事にかまけてしまう。
ただ好きなものに没頭する時間の少なさに危機感を覚えていたので、隙間時間でコツコツ作り始めてみた。
そうした頃にcovid-19により、その時間は大幅に獲得できた。
作りたいMMMMEは私の専門領域ではないので、少しずつチームも作り、その分野のスペシャリスト達に学ばせてもらいながら制作するという、なんともラグジュアリーな生活だった。

求愛活動は緩やかに続けつつ、偏愛への探究の旅が始まる。
その出発点の記録としてかりぬいを始めた
昔話が長くなってしまったけど、次はMMMMEと共に歩む未来の話を。


MMMME


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