となりの人間国宝さんに認定🏅
こんばんは、店主の娘です。いつもInstagramをご覧くださっている皆様、本当にありがとうございます🙇♀️✨なんとアグラフが『となりの人間国宝さんに認定❗️』されました🍀
今日はそのお話をちらっと書こうと思います。
以前から母はよ〜いドン!が大好きでいつも午前中、配達がない日は用事をしながら観ている番組です😂📺毎回、土曜日のダイジェストの時には暗記しているのか⁉️と思うくらいスラスラとストーリーが出てくるのです👏笑 それくらい母が大好きな番組に出演させてもらうことができ本当に感謝の気持ちでいっぱいです💕
日頃からご来店下さるお客さまやお得意先の方々、遠方に在住のフォロワーの皆さま、ハンドメイド作家の皆さまなどなど沢山の方にありがとうございますとお伝えしたいです🙇♀️✨
放送された内容は母の濃すぎて波瀾万丈な人生のほんの一部ではありますが、誰よりも母を近くで見てきてまさに『壮絶人生』だったと思います。
世の中には数えきれないほどの方がそれぞれに悩み、苦しみを抱えていらっしゃると思います。誰かと比べることは出来ず、また、当事者にならないとわからない・理解できないことも実際のところ多いのかもしれません。
私自身、前向きに生きてこられた!と思っていますが、それと同時に言葉に出来ないほど大変な日々であったことを11年経ってようやく振り返る良い機会となりました。
父の葬儀の翌日、あの日は木曜日でした。母は朝からお店を開け、当時、中1だった弟は普通に学校に行きました。
精神的にだけではなく、病院や葬儀の手続き、役所関係の提出と寝不足続きな上に、ご飯も食べられず、体力的にも過酷な中、『2人はなんて強いんだ!』と尊敬したことを覚えています✨
私は父が帰ってくるんじゃないかと思い、待つような気持ちでリビングで泣いていましたが、これではダメだ!と思い、午後にふらっと学校に行きお休み中にたまりきったプリントをもらいました。先生や仲間に気遣われ部活でトランペットを吹いて家に帰ってきたことを覚えています🎺一瞬の現実逃避も束の間で、もちろん受け止められる訳もなく、金曜・土曜日に学校は行けず…結局翌週から通い始めました。
春になって高3の受験生になった私でしたが
勉強も手につかず…学校に行くのが精一杯でした。それでも母は今まで通りちゃんとお弁当を作ってくれて、店頭に立っていました。さらにその姿を見て年下の弟が頑張って学校に行っていたから、私はなんとか生きていたという感覚です。
私と弟は学校に行けばなんとかなりますが、母は慣れない仕事を1人でこなしていたと思うと
本当に本当に凄い!としか言えません。
私自身がこれまでの人生で1番辛かったのは父を亡くしてから大学受験を控えていた1年間でした。まだまだこの先も紆余曲折あるかとは思いますが、あれ以上の辛さ・苦しさに出会うことはもうないと思っています。何が起こってもあれほど動揺する大きな出来事にはもう出会わない。その気持ちが植え付けられたので、強くてたくましい図太い家族に育ちました。笑
実はまだ書いていますが長くなったので続きはまた今度🙌最後までお読み頂きありがとうございました!
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