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【ネタバレあり】全クエストをやりきったゼノブレイド3の感想@2周目

以下、7000字ほどの感想です。
ゼノブレイド1, 2, 3のネタバレを含みますのでご注意ください。







1. はじめに

連なる3つのゼノブレイドの中で一番やりこむことができて、最も満足した作品でした。

クエスト3割消化くらいだった1周目の感想では否定的な意見をかなり述べたのですが、ものすごく変わりました。サブクエストのやりこみ度合いが評価に直結する作品です。

ちなみに1周目のレビューは以下にあります。

ただ、1周目の当時も間違っていない意見ですので残します。ある一面で見るとそう感じるという内容であり、「どれを選ぶかは 自分次第」の1つのゴールではあるので。

次の章立てで良し悪しを箇条書きした後は、どのようなところが良かったのかを詳細に書いていきます。惜しかった点については、他の方のレビューで大体網羅されていると思いますので割愛します。

ではいきます。


2. 良かった点

・狂ったような質と量のクエスト
・何層にも重なり交わるアイオニオンの人々
・価値観の多様性
・答えのない問いかけ


3. 惜しかった点

・舞台装置の説明の少なさ →過去作クリア勢は特にかも
・UI →ゼノブレイドらしさとして無理やり納得
・処理落ち →特にカデンシア地方あたり。Switchの限界か….


4. 良かった点の詳細

では、ここから具体的に書いていきます。

■過去作と比較して

ゼノブレイド1は、本当の敵が機神ではなく、シュルク達主人公の世界である巨神であることに驚きました。
ゼノブレイド2は、後半から一気に明かされる世界の真実に私は絶叫しました。

どちらの作品も、想像もしない舞台装置が隠されていたことにプレイヤーは驚かされ、先の読めない展開に時間を忘れて熱中しました。

対して今作ゼノブレイド3は舞台に驚きはありません。2話くらいまでで登場するメビウス達がそのまま最後まで敵であり、想定外のラスボスは登場しません。また、過去作と違い、その舞台装置を詳細に説明することなくエンディングを迎えます。概ねこの辺りが評価されにくい点ではないかと理解していますし、1周目レビューでは私もその点を述べていました。

何故二つの世界は求め惹かれあってしまったのか、互いの孤独とは何だったのか。気になります。

■舞台で苦悩を見せる数多くの人生

しかし本作は、舞台装置そのものにはメッセージが殆どなく、そこに生きる一人ひとりの物語の中に、制作陣の伝えたかったであろうことが詰まっていました。

以下、何人かの人物を抜粋して、私の受け止め方を述べてみたいと思います。
妄想だらけですので間違い多数かと思いますがご容赦ください。
また、自分はこんな風に考えた!という方がおられたらコメント歓迎です。


・ヨラン

ヨランの物語のキーワードは”自己肯定感”。

ヨランはランツを助けたことによって、強者の鳥であるノア達を弱者のミミズである自分自身が超えたと表現します。

また、鳥になるとは他者から賞賛を浴びることとの趣旨の発言もあります。劣等感を抱く彼にとって、他者からの評価が非常に重要なのでしょう。

他者の目を常に気にしてきたことが伺えます

ただし、超えたとは言っても自身が鳥になれたと言わないところにヨランの本音が見えるような気がします。ノア達と同じ土俵には立てていないというような劣等感は拭い去れていないのでしょうね。

それに対してノアは、あの瞬間「鳥になれた」と伝えています。超えたのではなく鳥。オレと君の土俵に違いはない、と。このあたりの言葉の使い分けがとても丁寧で良かったです。ヨランもそれに対して「だからあの時身体が勝手に」と言いながら気が付きます。

ユーニの優しさが沁みる場面でもありましたね

人間は誰しも他者から評価されたいという考えを持っています。しかし、真に重要なことは、人にどう見られたいかではなく、自分がどうしたいのか。ヨランがランツを助けたのは、「助けたら賞賛される!」と思ったからではなく「ランツを助けたい!」という、まさに自分がどうしたいのかという想いによるもの。

一連の問答を通じて本当に大切なものに気付いたヨランは、ディーの言葉に屈することもなくなります。

しかし、ここからがとても悲しい世界です。鳥になることの意味を理解したヨランでしたが、”戦い”という物差ししか存在しない世界において、彼が「ランツを助けたい!」という想いを鳥として体現する手段は、「自らの命を犠牲にすること」しかありません。少なくともヨランは他の解を見出せませんでした。結果、彼は同じことを繰り返してディーと共に消滅します。

「これがボクだ」の一言に「そうだけどそうじゃない!」と叫んだプレイヤーは数知れず

少し話は逸れますが、このストーリーの厚みと感じたのはランツの覚醒クエストでした。大道芸人との会話でランツは、戦うことでしか評価されないのは当たり前だと主張します。それに対してこの大道芸人は、自分への評価を自分自身で決めるような人が一人くらいいても良いはずだ、と言い、これにランツは気づかされるものがありました。漠然としていた”戦いが全て”ではない世界の具体例を感じた瞬間だったのでしょうね。

イケボ大道芸人さん
ランツにとっては目から鱗
望む世界を実感できた瞬間かもしれません

この出来事が、別れ際にランツがヨランに発する「バカ野郎、お前は人に気を使いすぎなんだよ」にも繋がるのだと感じます。人のことばかり気にするな、もっと自分本位で良いんだぞ、というランツなりの優しさですよね。

後日談で幸せになってくれヨラン

”自己肯定感”という人生で最も難しくも重要なテーマのひとつを、ランツとヨランを通じて本当に丁寧に描いている、悲しいけれども素晴らしい物語でした。


・エヌ

続いてエヌ。彼のキーワードは”受容”。

6話冒頭からエムの記憶の断片を通じてエヌの正体が明らかになっていきますが、ここも色々な解釈ができる、一つの考えではまとまらない複雑な感情が絡み合うような描き方でした。
過去のノアを順番に追いかけたときに私は次のように捉えました。

1. 世界を救うことでミオを救いたいが、ウロボロスストーンが不完全かつ終の剣がないため敗北
2. 同じく世界を救うことでミオを救いたいが、終の剣はあるもののウロボロスになれておらず敗北
3. ウロボロスも終の剣もなく戦わずして逃亡
ミオを救うことよりもノアがミオといたいという欲求が上回っていることが明らかになる

記憶でみせられた最初の3回までは、ミオを救いたいのは建前で、本音はミオと一緒にいたいというノアの自分本位な気持ちが優先されています。また、常にミオが先に旅立ってしまうため、ノアは去っていく人の想いを理解できずにいます。

そして次のノアから明らかな変化があります。

4. 子供が生まれる人生のノア。なんとも言えない幸せな空間ですが、
これまで通りミオが先に旅立ちます。

しかし、このノアが今までと異なるのはその後です。

永遠の想いを最愛の我が子に託す

子供を置いてノアが先に旅立ちます。ノアのループで(おそらく初めて)大切な人を置いて去っていく人になるのです。そして、去っていく人としての想いをハッキリと言葉にして息子に託します。つまり、このループでノアは、ミオがどのような想いで大切な人(ノア)を置いて先に旅立っていたのかを知るきっかけを得たと考えられます。

言葉にするのは無粋かもしれませんが、敢えて言語化すると、”永遠”とは、命が続くことではなく、その不変の想いが子・孫・子孫、と受け継がれていくこと、でしょうか。これにノアは気づいていると思います。(もちろん健康長寿に越したことはありません)

しかし、

5. オリジンの劇場に連れていかれたノアは、メビウスとなってミオを復活させる見返りとして、シティを破壊するようゼットに命じられます(1)(2)。抵抗したもののミオを見殺しにはできず(3)メビウスになることを選びます(4)

子供が生まれた4.の世界によって、大切にすべき"永遠"の形を理解できたはずでしたが、やはり眼前でミオを消滅させると言われては敵いません。当然です。
この判断をエヌは生涯にわたり後悔しています。それを感じ取れるのは最終戦です。

エヌは、自身の子供たちであるシティーの子孫たちをこのように突き放しますが、その後のノアやミオとの問答の中で動揺する姿から察するに、これは本心ではないです。

ゼットによって選べない未来を選択させられたとはいえ、ノアが子供に託したはずの永遠を、エヌであるノア自身が破壊してしまっています。永遠を求めた結果、”永遠”は奪われました。エムの言う通り、エヌ達の永遠の命が、萌した未来を閉ざしました。

彼はこのことを理解し後悔しています。しかし、どうすることもできなかったのも事実です。救いがないのです。

袋小路に迷い込んだノアを救えるのはノア自身しかいません。「虚無の果て」という表現で逃避を繰り返すエヌに対して「哀しみ」とノアが何度も言い換えて正しますが、これはノアがエヌに対して、「ちゃんと向き合えよオレ!」と自問自答しているようでした。

では、その本編ノアはなぜエヌにはならなかったのか。これは明確に表現されています。すなわち、

6. クリスと出会いおくりびととなったノアは、沢山の去っていく人たちの想いを汲み取る機会を得ました。そして、去っていく人々が見せる笑顔の訳を知りたいという探求心が、様々な人との出会いを生みました。

重要なことは、ミオに出会う前の段階から、去っていく人達の気持ちに想いを寄せる機会を得ている点にあります。その後、ミオと出会い、そしてまた先に旅立たれますが、これまでと異なりミオが全てでなく、辛く厳しい瞬間ではあったものの、様々なおくりの一部であったことから、エヌになることはありませんでした(次の項に記載するエムの助力あってこそですが)。

「ミオ”にも”出会えた」 沢山の出会いの一部のミオという点がノアとエヌとを分けました

このような経験をしてきたノアはエヌをどのように考えたのでしょうか。それが、これ以降に示されます。

これまでノア達は、シティーの人達の後押しを受けながらメビウスに抗するとして行動してきましたが、次の場面は明らかに異なります。

あ….あったけえ……(号泣)

抗うことをせず、ただその存在を受け入れています。エムを守ろうとしたその動機は間違えていなかった。そんなノアも大事なノアの一部。ミオの言葉を微笑みを浮かべながら見つめるノアも同じ思いなのだと思います。

エヌからすると、過ちを犯した自分のことを、最も長きに渡って巻き込んでしまった最愛のミオが受け入れてくれている。そのことに彼は救われたのだと思います。

そして、ノアとエヌは融合を果たします。

ウロボロスは進みたい者
メビウスは留まりたい者
どちらも間違いではないし、一人の人間にそれは共存する。

この共存の事実を拒み、留まってはいけないのだと思い詰めすぎると解がなくなることだってある。時には受け入れ、自分の弱さを認めようじゃないか。それでも、気持ちが落ち着いたその次には一歩を踏み出してみようじゃないか。そのような制作陣のメッセージが込められていたような物語だったと理解し、込み上げるものがありました。

犯した罪は許されないですが、それでも最後にエヌが救われて本当に良かったと思っています。

なお余談ですが、本編で示されたエヌを除く5人のノアは、繰り返す人生を積み重ねていくうちに、ミオから子、子から仲間、仲間から世界へと、徐々に視野を広げているようにも見えます。

説明はないのだけれども、色々と感じてくださいとプレイヤーに素材を散りばめていくこのような見せ方、とても好きです。ここまでのまとめは私の視点でしかないので、他にもいろいろと意見があるはずです。それで良いのだと思います。


・エム

最後の人物はエム。彼女のキーワードは”贖罪”。

エヌに復活させられて以来、彼女の人生は後悔と贖罪に支配されています。加えて、そんな中でもエヌを救い未来へ繋げたいという想いも持ち合わせています。

細かい部分ですが、目のハイライトの表現に二人の未来への想いの差を感じました。シティー襲撃以降、エヌの目からは光が消えます。一方、エムは最後の最後の最後のその時まで目に宿るものがありました。

そんな彼女のエムとしての人生を私なりに整理すると以下の通りです。

1000年前、クリス軍務長の成人の儀の提案を承諾します。執政官ブイに問いただされるものの、「ゼットも望んでいる」と言って納得させます。

この一言はエムの嘘でしょう。贖罪の意味を込めて、この世界に生きる人々を一人でも多く命の火時計の呪縛から解放したかったのだと思います。結果、成人の儀をクリスと共に生み出し、再生の循環から一人また一人と解き放ちます。

そうやって見ると、この場面の目の描写にエムの必死さを感じます。4のコマで目を細めるシーンには想いの強さが表れています。

長い時を経て、1000年後にノアはおくりびとになります。その結果、ノアは去っていく人の想いを知る機会を得て、これがノア自身を理の外へと羽ばたかせるきっかけになります。

エムの希望がノアに届いた瞬間だったのかもしれません

エムが贖罪の気持ちで始めたおくりびとの仕組みが、長い時を経て、大切な存在であるノアを遂に救い出すことに繋がります。自らが作り出した儀式によっておくられることになったエムの最期ですが、笑顔になれた理由のひとつには、ノアを救いそして想いを託すことができたという満足感があったのではないでしょうか。

1000年の時を経た想いを受け取ってくれたノアへの感謝とも取れます

上記のような繋がりは、ストーリー上で語られることはありませんし、私が勝手に妄想しているだけですので正解とは限りません。しかし、このような想像の余地を残してくれている点が本作の良さだと思っています。


・キズナグラム

今作のキズナグラム、ヤバくないですか?(唐突)
クエストを消化するというレベルではなく、星つきのNPCに1回でも話しかけるだけでモリモリ関係図が変化していきます。その数が異常。狂気の沙汰。モノリスおかしい。

しかし、本作を語りきって成立させるために非常に重要な意味があったと思います。

個人の感想ですが、ゼノブレイド1, 2で拭えなかった疑問がずっとありました。どちらも世界が一回消滅して再構成されるような結末を迎えます。その時に、作品に登場しなかった、でも確かに存在したその世界の人々は、言ってしまえば主人公たちの独断に巻き込まれて勝手にその生活を消されてしまうわけです。それは本当に世界を救うことになっているのだろうか。というものです。

ゼノブレイド3はこの点をキズナグラムを通じて解消してくれました。世界に存在するコミュニティを可能な限り全て描き切り、ノア達と繋げ、彼らの多くが主人公の行動に賛同してくれている状態にまでもっていってくれます。

また、書き出すとキリがないので割愛してしまうのですが、彼らの物語にも一人ひとりの苦悩や喜びといったそれぞれの人生が丁寧に語られており、この世界に生きるすべての人を好きになりました。

ムコキン、よかったな!
やべえヤツの中のやべえヤツ
は?

ケヴェスとアグヌスの人々については、信じていた世界が主に物語序盤で崩壊し価値観の行き場を失うわけですが、少しずつそれぞれの目的を持って一歩前へ勇気を持って進み始めます。すると、そこから新たな繋がりが生まれヒトノワが広がり、やがて両陣営の壁を破りと、その一連の発展はやりがいと爽快感に満ちていました。

気持ちいい!

セナの一言にあった、自分が変われば世界も変わる、という部分に通じますよね。細部まで本当に丁寧に仕上がっている作品となっており感服の一言です。


5. おわりに~神なき世界~

ゼノブレイド1は、神剣モナドを操り、神そのものをその身に宿すシュルクが、理の外を目指し到達します。

ゼノブレイド2は、神の所有物であるトリニティプロセッサーに触れたレックスが、神が諦め放置し滅びゆこうとする世界を救うべく楽園を目指し、遂には至ります。

両作品とも、超常的な神の力と、成し遂げたい想いの強さを有する主人公が、その神の力の外へと出ようとする物語です。

ではゼノブレイド3はどうだったかというと、今作は最初から神なき世界でした。

ゼットは人々の集合的概念であり、概念ゆえにオリジンの鍵を持たないことから、想いを持った人であるメリアを捕らえてこの世を管理する存在となります。それでもメリアありきの力ゆえに神ではありません。どちらが上かと敢えていえば、むしろ鍵を持つメリアです。そんなメリアまたはニアも女王ですが神とは違います。

そのようなアイオニオンにおけるノア達の物語を通じて、ソーカントクはじめ制作陣が伝えたかったメッセージを言語化するとなんだったのかな、と改めて色々と考えて500字くらい書いたのですが、エンディングのノアの言葉が全てを表現しきっており、これ以上はなかったので、それを置かせていただき、このレビューを締めたいと思います。


これが 俺達の世界のすべてだ
思い出は朝陽に溶けていき
そして 新しい一日が始まる
俺達の前には道がある
沢山の道が
どれを選ぶかは 自分次第
時には 迷うことだってあるだろう
立ち止まって 泣くことだってあるだろう
だけど それでいいんだ
道は 彼方まで続いてるんだから
さぁ 前を見てー
目指した地平に向かってー
それでもー
進め


こんなに素敵なメッセージが込められた作品に出会えて本当に幸せですし、モノリスソフトはじめ開発に携わられた皆さんには感謝しかありません。
ありがとうございました。


では。。。。。


永遠にアイオニオンで暮らしていたいメビウスの一人となって、DLCが出るのをいつまでも楽しみにしています!
追加で5000円とか出しても良いですよ!もりもりクエストください待ってます!

おかわり美味しい!!!最高!!!!!

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