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良く分からないまま生きる。


最近書く気がしなくて、まるで抜け殻の様に生きていた。
なんの気なしに食事し、何の気なしに外出し、たまに友人宅へ繰り出し、はたまた何処ぞの飯屋で生牡蠣やらカキフライやらを腐れ縁の友やその妹御と貪ったりしながら生きていた。
そんな中、私は私にとって良く分からない事に悩み、頭を抱えていた。
距離感とは?
人間関係はどう維持すべきなんだ?
幸せなら必ず笑顔になるべきなのか?
どうして後向きな暗い感情を否定されて、挙句私が反省しなくちゃならない?
普通の人間なら普通に処理できる悩みが、私には処理出来ない。
納得出来ない以上、悩みは永遠に私の中にある。
それが嫌であると共に、そうするしか出来ないなら仕方ないとさえ思い諦めていた。というか今でも諦めている。

出来ない、出来ない、出来ない。

『出来ない』が積み重なって出来損ない。出来損ないだなんて創作でしか聞いた事がない称号を、いつしか人から貰った事がある。
未完成品だ。ただの出来損ないだ。
そんな言葉を、罵詈雑言の嵐とともにぶつけられた事がある。
当時は左から右に聞き流していたが、成程的を射た意見だと今更ながらに納得する。そうだ、出来損ないだったのだ。
出来損ないという称号を掲げ、受け入れてみればなんのことも無く、違和感も無く納得出来た。
私は、出来損ないという自覚を経て、漸く良く分からないまま生きる事が出来るようになる。そんな気がする。

生き辛い私の処世術は、つくづく面倒臭すぎる。

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