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新任先生によるパヴァーヌ1章、最終編、忍術研究部での「何かを愛する者の肯定」について


この記事はブルーアーカイブで描かれる「何かをこよなく愛する人々、所謂オタク」に焦点を当て、筆者が感じた「ブルーアーカイブでのオタクの肯定」について話していきます。私は2周年イベントが終わったという謎のタイミングで始めた新任先生ですが、このタイミングで初めてストーリーを追った上で考えを共有することは、また新しい印象を残せるのではと思い、この記事を書きました。少々長いですが、お付き合いください。

!この記事では以下のネタバレを含みます!
メインストーリー:パヴァーヌ1章、最終編4章
イベントストーリー:不忍ノ心
イベントストーリー:桜花爛漫お祭り騒ぎ!~空に徒花 地に忍び~




1.忍術研究部から見るオタク観とその肯定 ~不忍ノ心~

まず最初に、この記事で言うオタクとは、「何でもいいから何かが好きな人」のことを指すことを強調しておきたい。何かを好きであれば誰でもオタクに成り得るという前提のもと、一連のストーリーはそれを肯定することを本質の一部に置いているのではないか、という考えをまとめた記事である。

私がこれを最初に感じたのは最終編を読み終わったあと、不忍ノ心を復刻イベントで読んだ時だった。
イベントストーリーでは、ミチルが忍術研究部に対する想いをこう打ち明ける。

忍者のことを広めたいのは本当。でも他の生徒たちに話したところで、それを笑わずに受け入れてくれるか、すごく怖い……
~~~~~~~
“「申請書」を出さなかったのは、怖かったから?”
……っ。
そ、それはそう!正式な申請書なんて、出せるわけがないじゃん……!
「忍者って何?」って、「忍術研究部って何?」って、それが普通の反応でしょ!
アニメや漫画の話って思われて当然……!
そんな部活の推薦書なんて、誰にも頼めない……!
誰かが認めてくれるなんて、思えなかった……。
下手に何かを言いだしたら後ろ指をさされたり、バカにされたりするかもだし……
私だけならまだしも、
あの二人は……!

ブルーアーカイブ:イベントストーリー 「不忍ノ心」より

このミチルの発言は、誰にでも起こりうる「自分が好きなものを否定されることが怖い」という感情の描写である。これこそ正しくオタクが恐れていることであり、現実世界でもオタクが避けようとする事象ではないか。

しかし先生はミチルに対しこう答える。

"そこから先は、私が勝手に同意できることじゃないかな。"
”その答えを知ってるのは、あの二人だけじゃないかな。”

この物語を読んでいる先生たち(ユーザー)が、「ツクヨとイズナは忍術研究部という場所を肯定してくれる」ということを願っているのは火を見るよりも明らかである。そしてそれに答えるようにストーリー中の先生はこの2つの選択肢を選ぶことになるのだ。
これはブルーアーカイブが持つ本質の一部、「オタクの肯定」という点を体現している部分だと私は感じた。

その後、トリックハウスを出た一同はカホと出くわし、この一件から退くことを命令される。このシーンで、ツクヨとイズナ、二人の想いを垣間見ることになる。
ツクヨはこう続ける。

ツクヨ:カホさんの、仰ることは……間違ってないかも、しれません。
ツクヨ:私には、分からないことばっかりです……まだ、忍者のことも、今回のことも……。
ツクヨ:申請書の件も……どうしてそれを、私や、イズナちゃんに言ってもらえなかったのかも……。
ツクヨ:私はただ、体が大きいだけだから……できないことだらけで、分からないことだらけです!
ミチル:ツクヨ……。
ツクヨ:ですかそんなの、今はどうでもいいんです……!だって、私たち、約束したじゃないですか……!
ミチル:約束……?
ツクヨ:イブキちゃんに、怖がらないでって――
ツクヨ:「何があっても絶対助けに行く」って!
ミチル:……!
ツクヨ:忍者の鉄則その参!「忍者とは、一度交わした約束は――
イズナ:――必ず守るもの」、です!

ここで印象的なのは「何があっても絶対助けに行く」と言ったことではなく、それが約束で、忍者の鉄則に則るものである、という点だ。

この物語には、無事に公演を成功させれば忍術研究部を部として認めてもらえるという前提がある。ミチルは外部の人間に対する恐れがあるからこそ、この方法で部として認めてもらうことに必死になっていた。
それに違和感を抱き、何か事情があるのかもしれないと考えていたツクヨだったが、約束を必ず守るという忍者の鉄則に則ることで「私は忍者だ」と堂々と証明したのだ。それはつまり、ツクヨは忍者のことに詳しくないのにも関わらず、ミチルの「忍者が、忍術が好き」という点を肯定したことに他ならない。

ここまで読めばこの2人が如何にミチル、ひいてはユーザーの願いである「オタクの肯定」を体現しているかが明確になる。

このストーリーを読んだ時、ブルーアーカイブの持つ本質の側面を垣間見たと感じたのだ。


2.忍術研究部から見るオタク観とその肯定 ~桜花爛漫お祭り騒ぎ!~

イズナが主軸であるイベントストーリー、「桜花爛漫お祭り騒ぎ!~空に徒花 地に忍び~」でも、役割は違えど同じような描写がされていた。

イズナは「キヴォトスで一番の忍者になる」という夢を悪い大人に利用され、馬鹿にされていたが、それを肯定したのはほかでもない先生だった。そして、その肯定の先に拉致された先生はイズナに助けてもらい、事なきを得たのである。

この2つのストーリーから分かる通り、先生は常に人の好きなものやこと、何かを好きである人のことを肯定し続けているのだ。


3.パヴァーヌ1章から見るオタク観

ゲーム開発部は最終的にG.Bibleを手にするが、結局そこにあったのは「ゲームを愛しなさい」という一言で、あたかもギャグ漫画のオチのような展開だった。
しかし、アリスはここでもう一度テイルズサガクロニクルのことを思い出し、あのゲームが好きなんだという事をみんなに伝える。それはつまり、ゲームを愛することに他ならない。最後にはゲームを作り終え、部活の存続が決定することとなる。

この、ゲームを愛するということが物語を良い方向に進めたという事実から、「物事を愛することは大切なことだ」というブルーアーカイブの本質の一部を示しているのではないかと私は考えた。


4.最終編をもう一度考える

ここで私が取り上げたいのは第4章プレナパテス決戦だ。
プレナパテスは他の世界線から来た先生として描写されている。それは、他の世界があり、先生の在り方は多岐にわたることを示唆していた。

ここからは私の推論だが、ここでいう他の世界線の先生は「自分以外の他のユーザー」のことではないかと考えた。こう考えた先生も多いのではないかと思う。

最終編ではプレナパテスは凄惨な旅路を経て先生の元へとたどり着くが、そこでもシロコ・テラーのことを想い、幸せを願っていた。プレナパテスに託された想いに先生は応え、自分ではなくシロコ・テラーを転移させる。
私はこの描写から、他の先生(ユーザー)にも好きな生徒がいることを示し、シロコ・テラーを救うことでその「好き」に応えたという意味あいも含まれていると感じた。

5.ストーリーを通して感じた本質の一部

これらのストーリーを経て、ブルーアーカイブは「何かを好きであること」と「オタクの肯定」、この2つを重視していると私は確信した。何故なら先生や、生徒たちがこの態度を一貫しているからだ。

忍術研究部のストーリーで気付き、各所に散りばめられていたこの本質の一部をまとめたくなって書いたのが、この記事だ。
私は特に、忍術研究部のストーリーを読んでから、このブルーアーカイブという世界に馴染んできたと考えていたが、その理由はここにあった。そうであるなら、私たちはこのゲームを愛し続けることが出来ると確信を持てたのだ。

本編でも語られていたジェリコの古則「理解できないものを通じて、私たちは理解を得ることができるのか」という問いも、少なからずオタクの肯定と言う部分に繋がりそうな気もする(深読みか?)。


最後に


この記事はあくまでもブルーアーカイブの本質の一部として書きました。その理由はもっと中心というか、先生と生徒だったり、学園都市であったり、奇跡だったりそういう部分にあると思っているので、あくまで一部だと思ったのでそういう風にしました。でも、この記事の内容がブルーアーカイブの何本もある主軸の一つを担っていると確信しています。

各ストーリーの説明と感想も入ってしまったため、少々長くなってしまいましたがこれにてお終いです。読んでくださりありがとうございました。

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