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11年後のトースト・セットと、今の朝と

久々にちょっと気が向いたので、エッセイもどきを書いてみました。文字多めですが、もしよろしければ・・・。ちなみにわたしが訪れたベーカリー、ピンとくる方はすぐわかるかも。

運河沿いのベーカリー・カフェ

 4月も終わりかけのある朝、約10年ぶりにその店を訪れました。その日、たまたまその近くに用事があり、せっかくならと、ほんの少し早起きをし、足を運ぶことにしたのです。

 最寄り駅を降り、建物の間を右に左にとすり抜けてゆくと、やがてぱっと視界が広がり、目の前には悠々と流れる運河があらわれます。そのまま水の流れに沿って、ウッド・デッキを歩いてゆくと・・・、ありました。
水辺にたたずむ白い三角屋根の建物。入り口にちょこんと置かれた小さな看板。
その真向かいで小さく揺れている小型の遊覧船や、その向こうに広がる空。
かつて、毎朝のように眺めていたなじみのある光景。
変わらないその姿に、思わずホッとため息が漏れ、わたしはゆっくりとその入口へ向かって、歩みを進めてゆきました。

……………………

 そのベーカリーが水辺にひっそりオープンした11年前、わたしは毎朝たっぷり1時間以上かけ、その場所のすぐ近くに位置する職場まで、雨風問わず通う生活を送っていました。
連日の寝不足と持ち越したままの疲労。
なんで自分はこんなに毎日すり減ってんだ?という疑問と、自然と渦巻くこの先への不安、迷い。あの頃のわたしは、身体に澱む澱のような思いを、ぎゅうぎゅうの満員電車でさらに濁らせ、毎朝、ほとんどゾンビのように重だるい身体を引きずって通勤していたものです。

「Morning Set、トースト、またはクロワッサン、コーヒーか紅茶付き」。

最初はちょっとした気まぐれだったと覚えています。
駅から会社までの通り道、ふと見かけた桟橋の脇の小さな看板。なんとなく近づいてみて始めて、今までただの倉庫だと思っていたその三角屋根の建物が、いつの間にかベーカリーに早変わりしていたことを知ったのです。

 以来、それまで憂鬱なモノトーンだったわたしの朝は、少しづつその彩りを変えてゆくようになります。

 どこか「旅先の朝ごはん」に似て

 そこで過ごす朝は、どこか「旅」の匂いがしました。
コペンハーゲンか、ヘルシンキあたりか、あるいはそのどこでもないどこか。

 お店の中に入って一番に印象的だったのは、開放感あふれる広々とした空間。倉庫をリノベーションした建物は天井がとても高く、来客が少ない朝は、その広がりが一層ぜいたくに広がっていました。

「今日も、いつものにしますか?」
すっかり顔見知りになった店員さんがわたしに尋ねます。

当時、お決まりのように注文していたのはトースト・セット。
ビール酵母を使って発酵させているという自家製パンの厚切りトーストに、バター、マーマレードにジャム、さらにはおかわり自由のコーヒーがついて、しめて500円ちょい。
時にはブルーベリー・ジャムにミントの葉がちょこんとのったヨーグルトをつけることもありましした。

「チャオー!」
コーヒーを飲みながら、トーストができ上がるのを待つ間、陽気なあいさつとともに店にあらわれるのは、小粋なイタリア人の紳士。

豊かな白髪混じりのウェーブの髪をラフに撫で付け、上質そうな白いシャツの上にさらりと赤いカーディガンをさらりと羽織り、窓際の広々した席に腰掛け、カプチーノとクロワッサン(イタリア風に言えばコルネットかな)を前に新聞を広げていたシニョール。
毎朝、同じ空間をともにしているのに、名前もわからない遠く海を超えてやってきた誰か。

「お待たせしました。どうぞ。」
そんなシニョールを横目に見ながらコーヒーをすすっていると、やがて店員さんが焼きたてのトーストを運んできてくれます。

時には、厚切りトーストに加え、おまけのパンがちょこんとのっていることも。
「新商品なんですよ。もしよろしかったら・・・。」
と、そう言って微笑む店員さんに、こちらの顔も自然とほころびます。

焼きたてのパンはどれもおいしく、バターやジャムにもよく合います。もちろん、熱いコーヒーと一緒なら、なお良し。
おいしいパンとコーヒーをほおばりながら顔を上げると、窓の向こうにはのんびりとした水の流れと晴れやかな朝の光。世界地図の向こうからふらりやって来たシニョール。
ボサノヴァのゆるやかな旋律の間に漂う微かな「旅」の匂い。
ここではないどこかへと誘うちいさな旅の気配、その空間にはそれが確かに流れていました。

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記憶の中の味と、現実と 
 

気がつけば、あの時からずいぶんな年月が経ってしまいました。それでも、あの時の「旅」の記憶は、今もこうしてわたしの中にあざやかな色を保ったまま蘇ってきます。

 何年かぶりで足を踏み入れたベーカリーは、やはりあの時と同じ心地よさを保っていました。
ではあるものの・・・、どうも何かが違います。

明らかに変わったのはお店のレイアウト。厨房や焼き上がったパンを並べる位置、椅子の並び、それらがごっそり入れ替わり、店内の様子は以前とはずいぶん様子が変わっていました。
いつの間にかすっかり人気店になったせいなのか、キビキビ働く店員さんも、以前よりいくらか人数が増えたようにわたしの目には映りました。

 店頭に並ぶパンの種類はあの頃よりぐっと増え、朝のセットメニューも大きくリニューアルされていました。
デリやスープのついたセットやベーコンエッグ、ホットサンドにグラノーラ、パンケーキなどなど、バリエーション豊富なひとさらが、いずれもそれなりの価格で提供されています。
そんなカラフルなメニューの上を、わたしは一つづつ目を凝らしてお目当ての一品を探します。
なつかしの、あのトースト・セット。

 それはかろうじてメニューに残っていました。メニューの下の方に目立たないようにひっそりと。
値段は一皿380円。ドリンクはプラス280円。つまりは合計660円。
「コーヒーお代わり」の文字は、当たり前のように見当たりません。

「ジャムはブルーベリー、マーマレード、ピスタチオの3種類からお選びいただけますけど、いかがなさいます?」
「えっと、一つだけしか選べないんですか。」
サクサクっと尋ねてくる若い店員さんに、わたしの口から思わずそんな言葉が漏れ出します。
と、そんなわたしに
「そうですね、一つしかおつけすることができないので。」と、店員さん。

じゃあと、わたしは仕方なくブルーベリーのジャムを選びお金を払うと、窓に向かい合ったテーブル席に腰を下ろします。
そのまま窓の外に目を向けると、そこに広がっているのははかつてと同じような水辺の光景。
にも関わらず、わたしのまわりに漂う空気は、やっぱりあの頃とは変わっています。

 と、ほどなくカウンターから注文したトースト・セットがその姿をあらわします。
コーヒーが注がれたマグカップに、厚切りのトーストがのったプレートが一つ。
パンをひとかけちぎり、添えられていたホイップバターとジャムを軽くのせると、わたしは一口でそれをほおばりました。

 パンはふんわりとやわらかく、すぐに口の中でほどけます。
すぐに続けてもうひと口。軽く首を傾げ、今度は確かめるようにさらに一口。

うん、たしかに、これはこれでおいしい。でも・・・・。

このままあっさりと食べ終わってしまいそうなトーストのかけら。
とりあえずホイップバターとブルーペリーのジャムをたっぷりのせて、口の中にほおり込みます。

それでも、どことなく感じるそっけなさ。ささやかな違和感。
こんな感じだったっけ?と思いながら、コーヒーをすすり、その味を舌の上で転がしながら、ふと、こんな風にも考えてみる。

「記憶の中のひとさらは、しばしばそのものよりも上等な味がする。」

ふむ、ひょっとすると「思い出」と比べているから、物足りないのか、はて・・・。

変わらないようで、変わりゆくもの、そして再びその先へ
  

 お皿の上には、まだほ少しパンのかけらが残っています。
11年前、毎朝のようにかじっていたこのお店のトースト。
あの頃、消化しきれないモヤモヤを、パンを噛みしめながら新しい世界へと向かう希望に変え、わたしは日々窓の外を見つめていました。
 それからしばらく経ち、わたしはついに会社を辞め、新たな挑戦へとはるか海の向こうに旅立ちます。内側で徐々に芽吹いた新たな未来を描くために。

 そこからまた何年もの時間が過ぎました。

年月を経た今、こうして再び同じ場所で、同じように朝のトーストをかじっている自分は、あの頃となんだかあまり変わっていない気がします。
かつて思い描いたものとはほど遠い、「こんなはずじゃなかった」今の現実。
すべてが変わってゆく中、自分だけがひとり取り残されたようなやるせなさを舌の上で転がし、確かめるようにわたしはもう一口、パンのかけらをかじります。
その味は同じようで同じではなく、同様にすでに11年という年月を経たその場所も、ここにいるわたし自身も、やはり同じようで違っているのです。

 「いつまでも変わらずに、そのままで」、
と、勝手なもので、人はつい自然とそんなことを願う傾向があるようです。思い出がそこにあればあるほど殊更に。
とはいえ、よくよく考えてみれば、 まるで変わらないものなど、残念ながらこの世には何一つ存在していないようです。

「ゆく河の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず。」
と書き記したのは、鴨長明だったでしょうか。

変わらないようで、変わってゆくもの。
すべてはうつろい、流れてゆく。

 うつろいゆく流れの上を漂いながらもその瞬間ごとを味わい、変化を繰り返し前へと進んでゆく。そのことを仮に「生きる」と呼ぶならば、昔とはいくらか風味の異なるトーストも、それを口にする今のわたしも、同じように昨日までとはちょっとばかり違っているのかもしれません。

 その時、突然入り口の扉が大きく開き、外からさっと心地よい風が吹き込んできました。と同時に、あるなつかしい感覚が、胸の中に不意にするりと流れ込んできました。
それはかつて、澱んでいたこころを一瞬で解き放ってくれたあの「旅」の感覚。
思いがけずよみがえったその空気に、思わずはっとして顔を上げると、窓の外にはおだやかな水の流れとその先に広がる朝の空。なつかしいようで新しい光景。

もう一度、ここから、
その時、ふとそんな言葉が頭をよぎり、わたしはお皿に残った最後のトーストのひとかけをぱくりと口のなかに放りこみました。
そのほんのりした甘さを噛み締めると、それまでとはまた違うあたらしい味が、身体のすみずみにじんわりと広がり、染み込んでゆきました。

(注:と、なんだかんだ書きましたが、、後で数種類パンを買い求めてみましたが、どれもとてもおいしかったです。特にハード系のものやフォカッチャは。)

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