天気の子感想

はじめに

深海誠監督の最新作の天気の子を見てきました。映画を見終わった後、感想を話合うのはとても楽しい事ですが、ぼっちの僕にはそんな相手はいないので、初めてこういうツールを使ってみようと思う。見終わった後に高まった気持ちを発散したいけどTwitterでネタバレもできないし…でも感想は言いたいしってことで。読みにくい文章になると思いますが読んでもらえると嬉しいです。

では、気持ちの向くままに感想を書いていこうと思います。
(自分の中の整理がつききらずに書いています)

女性キャラについて

女性キャラには深海誠の変態感が感じられてすごく好きです(褒め言葉)。今作では2人のメインのキャラがいました。
一人目の陽菜
服装がずるいですよね。ノースリーブのバーカー(?)とショートパンツによる脇と太もも、脚は良きです。
そして、実際には帆高よりも年下だった訳ですが、年齢を偽ってる間の「少し年上の女の子とのシチュエーション」すごく好きですね。少しそれますが、ラストのシーンで自分の方が年上だとわかっても穂高が「陽菜さん」と呼んでたのは印象的でした。

続いて夏美
登場シーンセクシー過ぎません???「どこ見てんの?」「胸見てたでしょ?」ってそりゃ見るよなぁ!公園で夏美を須賀の愛人だと誤解してたのをからかわれるシーンゾクゾク来ました。ウケる。

天気と心情

序盤陽菜に出会う前、冷たい東京という街と人。先の見えない、これから生きていけるかもわからない。目の前にあるのは現実で、働こうと思っても働けない。そんな場面と雨続きの天気はリンクするものがありました。
しかし、陽菜に出会って、帆高の世界が変わっていく中盤では晴れの描写が増えました。
晴れと雨はわかりやすい情景描写ではあるけれど、それを使いやすい作品だし、うまく使ってると思いました。
「晴れると気分も明るくなる」みたいなセリフは劇中でも出てきますが、その通りですよね。

リアルな現実

「天気の子」はファンタジーな要素を含みますが、そこに描かれる世界、現実は非常にリアルでした。「バ~ニラ!バニラ!バ~ニラ!」で笑っちゃうくらいリアルでした。東京の街そのまんまでした。絵だけじゃなくて人も。他人に無関心な世界。後半で帆高が周りに迷惑をかけながらも陽菜を追いかけたシーンも、「あれやばくね?」と見てるだけ。刑事さんの「今の若い子はなんでもネットに書いちゃうんでしょ」という言葉。そういったリアルな現実はファンタジーの要素とギャップを感じるし、ファンタジー→子供、現実→大人と後述する子供と大人の対比にもつながったり、現実の中でもがく子供を印象付けるのかなとも思います。

大人と子供

大人と子供の対比はこの映画で自分が一番大きく感じた部分。
大人な須賀、警官。子供な帆高と陽菜。
この映画は人によって自分を投影しやすい人物が変わるのかなと思った。
自分の場合は大人のキャラの言葉や心情に納得しながら映画を見ていて、自分は「現実を受け入れて大人になってしまった」んだと感じてしまいました。「自分の中の優先順位」「世界全体より一人の犠牲」とかめちゃくちゃ共感したんですよ。
また、大人と子供それぞれが描かれることで、帆高の子供な部分は強調されてるようにも感じました。また声優も子供のキャストはすごく若くて、声の不安定さは子供の持つ不安定さをこちらに印象付けました。

帆高の「子供」を感じる要素としては
・なんでも質問箱だより
・なんとなくの居づらさで何も考えずに故郷を飛び出す
・恋愛の経験がない初心なすがた
・初めての恋愛に熱くなりすぎているところ
・陽菜が消える前最後の夜の陽菜の「晴れてほしい?」に深く考えずに「うん」と答えてしまうところ
・自分が強く思った事に走るところ

帆高と陽菜の言葉の違い

「晴れ女」に対して陽菜は「自分の役割をやっと見つけられた」「周りの人を笑顔にできたことが嬉しい」と言っていました。自分の生きる意味について考えているところは思春期らしいと感じました。それは置いといて、空の世界で離ればなれになった事に悲しみつつも、晴れ女の仕事をしたきっかけは帆高だけど、「選択」したのは自分だと思ってると思うんですよね。だけど、空の世界で陽菜に再び会った帆高は、『自分が「やらせた」』って言ってて。2人ちょっとすれ違ってない?というか、会話に違和感というか不安定感を感じました。帆高と陽菜の会話では女性に慣れてない男の子な印象を強く受けることも多かったです。そういうのもキャラクターの若さを印象付けるのかなぁ…。

世界と個人

ラストのシーンで帆高が須賀の所を訪ねたときに須賀は帆高に「元々世界は狂ってる、気にするな」みたな事言いますよね。また中盤神社に須賀と夏美が取材にいったシーンの話の中では天気と人との話がありました。それを聞いて自分としては、「世界から考えれば人間の存在、歴史はちっぽけなものだし、その中の個人はもっとちっぽけだ」と思い、帆高が陽菜に会うために起こした行動、周りへの迷惑、雨がやまない世界、水に沈んた東京になった事もなんとなく受け入れられました。

ですが帆高は違いましたよね。世界を変えたのは自分たちだと。選んだのは自分だと。自分は陽菜を選んだんだと思いたいのかもしれないけど、その言葉の中に、世界を変えた事に対する重大さとか、責任とかを感じている様子が無くてそこにもまた子供だなぁと思ってしまう。

ラストについて

自分が見ながら予想したラストは

1. 帆高が空の世界に行って陽菜に会えたが戻ってこられない。だが、陽菜といられる事に幸せを感じるという現実投げ捨てて夢の世界エンド
2. 陽菜を追いかけるが、警官に阻まれ陽菜に会うことはできず、子供だった帆高が現実を受け入れて大人になるエンド
3. 陽菜に会って地上に帰ってくるが、帆高が起こした数々の問題により、地上に帰ってきた帆高は辛い現実に直面する。東京に行っても陽菜にはあえないエンド

の3つを予想してましたが、違いましたね。
帆高への罰は少なく、陽菜にも会えてハッピーエンド。
正直もやっとしました。
ここ最近交通事故のニュースとか多かったです。
帆高の行動によって多くの事故が起き、怪我人や死者がたくさんいてもおかしくなかった。陽菜を追いかけるシーンで須賀の事務所に来た刑事さんは「人生を棒に振る選択」と言ったし、自分もそう思った。しかし、帆高は普通にしている。もう少し重い罰、辛い現実があってもいいのではと思った。
そこについて考えて個人的にたどり着いた考えとしては、「帆高は結局子供のままで今でも現実を見えていないし、将来の事も見えていないし、視野も狭い」のかなと。物語は陽菜と再び出会ったシーンで終わっていますが、実際その後の帆高には厳しい現実があると思う。帆高の行動はあの世界のSNSにアップされてただろうし、たくさん叩かれてると思う。そんな人間就職どうするの?って。だけどその先は描かれてないし、描かれてない事は先を見て無ず、思うままに行動する帆高とリンクしているようにも感じた。そう思う僕からは「大丈夫」の言葉も考えのない言葉、裏付けのない言葉、なんとなくの言葉に聞こえる。
また、「子供と大人」で「言の葉の庭」も連想したんですが、言の葉の庭では子供からの大人への階段を一つ上った印象を受けましたが、「天気の子」は子供のまま終わったような感じ。

最後に

公式サイト(https://tenkinoko.com/)のintroductionより。

『天候の調和が狂っていく時代に,運命に翻弄される少年と少女が自らの生き方を「選択」するストーリー』
この一文は映画を見終わった後に見てすごい納得しました。
思えば「選択」の連続でした。
その選択は正しいのかはわからないし、何が正しい選択かもわからないし、キャラは正しい選択をしなきゃいけないわけでもない。
でも選択には結果が伴って、その結果には責任が生まれますよね。

帆高というキャラクターはとにかく子供で。見てて痛いくらい。人先の事も現実も見えていない、責任も取れない。そんなキャラが自分の思うままに、ただ一人の女の子に会うために行動して、そしてハッピーエンドのように終わる。
それはすごい不安定さというか、違和感が残る。選択に対する責任を求めてしまう。それを気にせずハッピーエンドというのが独特の不安感を与えて、まるで自分が思春期に戻ったような不安定さで。

その違和感は映画を見終わった後も自分の中に残ってて、ふわふわしたような気持ち、不安になるような感じが残り続けてる。この違和感ともやもやをもっとほどいて行ければこの映画に込められたメッセージがわかるのかなと思う。
そういっをた所や、子供が現実の中でもがく姿というのはとても「深海誠」を感じた。うだうだ書いたけど、前作「君の名は」がすっきりしすぎてたギャップもあって「天気の子」は深海誠を感じる作品でよい作品だと思いました。
また、帆高はとても不安定で、その行動の評価も分かれると思う。だからこの作品を見て何を感じたか、何をメッセージとして受け取ったかは人の数だけ違うのかなと思う。
このもやもやは晴れそうにないのでもう何回か見れればいいなぁ。
でも見るたびに子供な帆高を見て大人になった自分を感じて悲しくなるんだろうなって。

長くまとまらない文章でしたが、感想は以上です。色々考えさせられる作品で、自分の中でもまとまってない部分があるので書き残してるのもあるかもしれないけど。
ありがとうございました。

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