「天気の子」二回目見てきたよ

タイトル通りです。
先日小説版を読み終えて、小説版ならではの良さに感動しました。
言葉ですべてを表現してくれる小説版は、僕にはとても合っていたものでした。絵や音楽といった感覚的なものよりも、言語というのはよりわかりやすいものだと思っていて、だからこそ人物の心情だったり、背景だったりの理解が進んですんなり感情移入できました。

そんな小説版を読んだ後ならば、映画でも感情移入しながら見られるのでは、一回目とは違った感想を抱くのではと思い、映画を見ました。
また、小説のあとがきの中で、新海誠が「小説で映画に負けない迫力をだすために小説ならではの表現をした」みたいな事を書いていたからこそ、もう一度映画でその違いを感じたいと思ったのもあります。
予想通り感想や感じたものは違ったものになったし、予想以上に感動できるものになってました。単純に二回目だからこそ気づけたものとかもあったのも良かったですね。

それでは感想に移っていきます。

・やはり印象的だったのは小説と映画の違いです。映画になくて小説にあったものとしては先ほど書いたように心情の描写やキャラクターの背景だと思います。そして小説になくて映画にあるものとしては音と絵ですよね。
新海誠監督は美しい絵と音楽の使い方が非常にうまく、それは一回目の時も印象的でしたが、二回目ではより強く印象に残りました。

・劇中歌の中で明るい印象の曲としては「風たちの声」、「祝祭」の二つが浮かぶんですが、それぞれの曲が、帆高の圭介と夏美との生活が始まったシーン、晴れ女の仕事を始めたシーンで使われて。これからの生活が好転印象を強めました。また、「風たちの声」が流れたシーンの最後で帆高と圭介と夏美の三人で歩いているシーンは、その生活が続かない事がわかっている二回目はより尊いものに見えました。

・晴れ女の仕事の時に「天気が良いと気分が晴れやかになる」のに陽菜のいない青空が寂しいことを印象付けたのも音楽の力は大きかったです。青空に人々は喜ぶ中で、孤独な帆高と物悲しい音楽のギャップ。

・「愛にできることはまだあるかい」は何度もピアノverが劇中で流れますが、最も効果的な場面でボーカル有が流れるのがいいですよね。

・同じように「大丈夫」ホテルのシーンではボーカル無しでしたが、ラストでボーカル有りが流れます。一回目の時は歌詞がわからずにホテルのシーンで聞く訳ですが、二回目では歌詞がわかってるからすごい感情移入してしまいましたね。また、一回目がボーカル無しで二回目でボーカル有が流れる事で「ホテルのシーンで帆高が陽菜が本当に言って欲しい「天気なんて君といられればどうでもいい」ということを言えなかったのを最後のシーンでやり直していることがより印象づきました。

・話があって、それに合った曲、場面を最適に盛り上げるための曲なんだなということを再認識しました。

・声優の演技の良さもさらに感じました。やはり、小説版でキャラへの理解を深めた後だと、それぞれの声優のだすキャラクターの雰囲気がキャラクターそのものなのより分かった感じです。

・小説版では夏美という人間が大人と子供の間で足踏みしている事が描かれていました。そのため、車で圭介を待つシーンで、就活で暗い顔をしていた夏美がわくわくするような話題を見た瞬間に顔を明るくしているのが印象的でしたし、夏美の見せ場のバイクのシーンもより印象の強いものになりました。

・サントラを聞いて劇中歌の歌詞をしっかり知った後では、劇中に何度もある「手を掴む」シーンがとてもよかったです。

・陽菜の靴について。冒頭のシーンではかわいらしい、中学生の女の子らしい長靴でしたが、その後帆高と廃ビルに入ったシーンでのオシャレなサンダルや、ホテルの夜で逃げ出すときのすこし大人っぽい長靴になってるのが、公園で「大人になりたい」と言っていた陽菜をよく表してるなと思いました。

・消えた陽菜を追うシーンで帆高が陽菜に晴れ女をやらせたことを謝ってるのを不思議に思ってたけど、ホテルで「世界が君の小さな肩に乗ってるのが」見えたから、晴れ女の仕事は一緒に始めた事はわかっていたけれど、自分が何も背負っていないのに陽菜に多すぎるものを背負わせていた事に申し訳なさを感じたからなんだと思いました。

・「大人」や「子供」のセリフの多さ。
公園のシーンの陽菜の「早く大人になりたい」、「帆高ってまだ子供ですよね」
帆高に実家に帰れという圭介の「大人になれよ、少年」
ラストで事務所を訪れた帆高に対して「相変わらずガキだね」

・廃ビルで銃を撃った帆高に対して「信じられない」「気持ち悪い」と言った後になぜすぐ戻ってきたのかは二回見ても答えは出ませんでした。
個人的な想像では、陽菜はどうしてもお金が欲しく、生活も厳しくなる不安などもあり、自分の生活への行き場のない気持ちで強い言葉を使いすぎていると、言いながら思っていたと思います。それがわかっていたことと、元々帆高に対しては出会った時から好印象を持っており、罵倒してしまったけど水商売のアルバイトに対して自分自身迷っていたためにすぐにもどって来たのかなと。

・廃ビルでの圭介の行動についても考えながら見ていました。なんとなくで納得しつつも、全部は納得できてない感じです。
表情が変わった様子を映していたことから、圭介の心が決定的に動いたのは帆高の「会いたい」という言葉の強さで、それまではまだ陽菜が消えた事も半信半疑で、帆高身近な大人として、一般的な道に戻そうとしていた。

・一回目で書き損ねてた感想
 ・手を空にかざすシーンが印象的だった
 ・帆高の童貞臭いシーン。初めて訪れた女子の部屋で胡坐をかきながら足をそわそわさせていたこと。圭介の事務所で陽菜に合っていないことを指摘された時に、建前を最初に言って、最後に一番本音の「何を言ったらいいかわからない」と言った所。
 ・晴れ女の仕事で「ありがとう」と言われるのが嬉しかったと言ってたのが印象に残ってて。晴れ女の仕事のシーンは依頼内容のシーン→感謝されるシーンで、「ありがとう」が繰り返されるのに感動したし、花火のシーンで、自分が言われて嬉しかった「ありがとう」を帆高に言うのにさらに感動しました。

・「天気と人がつながっている」という事についての考えが深くなったような気がします。晴れ女の仕事で青空に喜ぶ人々のシーンでは天気が人に影響を与えている事がわかりますが、天気の巫女を除いては人々の願いを空に届かせることはできなくて、空と人のつながりとは一方通行のものなんだと思いました。
そういった前提が書かれてる中で、「願いには世界を変える力がある」というのも伝えてくる強さを感じました。

とりあえずこんなところで。
深海誠の作品は考察するところや、感情が動かされる所が多いですね。
二回目見終わった後のトイレでは「これは二回目見なくていいな」という声が聞こえましたが、そんなことないですよ。

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