いつか誰をも許せなくなっても

 心無い言葉に傷ついても、笑ってみせる人がいますよね。

 「私はあなたのことが好きだから、いいんだよ」なんて。


 ……僕のことではないです。僕の場合勝手に嫌われてると思い込んでそれでも好き!とか言ってるアタマオカシィ溢れるクズなので。


 何かあった時、内側にどんな想いがあったとしても、表立って誰かを責めることが出来ない。故に許してしまう。そんな印象は、失礼なのでしょうか。

 人の優しさを信じている人なのかもしれませんね。今はこうだけど本当はこの人も悪い人じゃない、だとか。


 相手に直接文句をつけられないのは、僕も同じです。

 腹の中でこのゴミ早くしなねぇかなぁ、と思いながらへらへら雑談してます。

 まぁ、僕のは卑怯で惰弱ってだけなんですけど。自虐はここらへんで自主規制しますすいません。




 誰かを許す、というか、許せる人間には2通りあると思ってます。


 一つめは、器が大きいタイプ。人の過ちとかそういうものを受け止め切れるだけの度量がある、一言で言うなら懐の深い人。

 もう一つは、自分が許されたい人。自分を許せなくて、あるいは誰かに許して欲しくて、だから誰かを許す人。


 個人的には後者の味方ですね。自分を許せないって結構しんどいですし。

 常に側にいる相手が、自分を許してくれない。それは多分、不幸と呼んでもいいほど悲しいことなんじゃないかと思います。自分自身なら尚の事。


 で、そういう人ってよく笑うんです。

 綺麗な、華のような、上手な笑顔。楽しくなくても笑えるよう努力した人だけが浮かべる、上品な笑顔。

 ヘタクソでもいいから素直に笑ってほしいなぁ、何て気色の悪い感想を浮かべるのが僕の悪い癖です。



 許しが欲しくて誰かをを許す人。

 人間の生き方に慣性の法則というか、一度始めると中々曲げられない中毒性のような何かがあるようで、どうして中々変えられないものです。

 例え、それで自分が救われないのだと気がついてしまっても、そのまま走り続けてしまうのでしょう。

 いつか報われるなんて幻想に縋り付いて今日も明日も傷ついて生きていくのは、辛い。

 辛いなんて言葉じゃ足りない。


 本当に、僕には何も出来ないんだなぁって思います。

 たとえ、「そのままで良いよ」と言っても他ならぬその人自身が認められなかったら雑音にしかならないわけで。

 ただ寄り添うことさえ、中々難しくて。



 理由があるからと言って、誰かからの暴力を肯定しなくてもいいよ。

 守ってくれないのなら、その人を親だなんて呼ばなくてもいいよ。

 作り笑いに疲れたら、誰もいないところに走っていいよ。

 笑わなくていいよ。

 傷ついたときくらい、ワガママになっていいよ。


 言葉のなんと軽いことか。もしも僕が人に誇れるような人生を送っていたなら、もっと力のある言葉を紡げたのかもしれません。

 真面目に生きときゃ良かったな。死ねばいいのに。


 あなたがいつの日か、どうしても心に余裕を持てなくなって、近くにいる相手に対して常に牙を向くようになっても。

 誰も彼も許せなくなる日が来ても。

 これまで一生懸命耐えてきたことは僕も、きっともっといろんな人が知っているから大丈夫だよ。

 そんな事で離れたりしないから。

 本当は優しく在りたかった事を覚えているから。

 一方通行になっても友人だと想っているから。

 


 なんて、本人にはとても言えないんです。ごめんなさい。


 口に出さなくても、心の中でそう想っている人がいると気づくその日が来たら、あなたはちゃんと笑ってくれるのでしょうか?

 そんな日が来ればいいな、なんて。これは身勝手な期待。

 もしもこの気持ちを口に出せたなら、あなたはどんなワガママを返してくれますか?