弱さを盾に
する人が嫌い、という話です。
皆さんの周りにはいるんですかね? 同情を買うことで相手を思い通りに動かそうとする類の人間が。
「可哀想でしょう? 慰めて!!」
事あるごとに自分の置かれている状況が苦しいことを訴え、人にすがる。
助けを求めている人との明確な違いは、相手の意思を曲げようという意思があるか。
客観的には区別がつかないですね。被害者サイドからは“相手は自分の意に染まない行動をとらせようとしているか”で決めるしかないんだろうなぁ、と思います。
この手の弱者の最高に気に食わないところは、被害者が自分を責めてしまうこと。
どうして引き受けてしまったんだろう。
何で断れないんだろう。
自分の弱さが嫌になる。
ぼくの、自他共に認める欠点に優柔不断さがあります。
優しく柔らか断らず。
……はい。いいカモです。
可哀想だなぁ、なんて、相手を見下しているようなものなんですけどね。擦り寄られると同情してしまう。
自分に何か出来るかと言われれば、何も出来ないのですが。
頼られるのも悪くないとか思ってたりして、まあいっかと自分を押し込めたりして。
積み重なるのは相手への恨みよりも自己嫌悪。
しねばいいのに! じぶん!
跳ね除ける強さ、というのはどうすれば手に入るのでしょう。
多分、鍵になるのは自己肯定感、というか、自信ってやつなんだと思います。
自信のある人間は、主導権を握りにくるものです。何せ自分を信じているから。
他の人より上手くこなせると思うだろうし、認めた相手以外の誰かの下にいるのは我慢がならない(※僕は自信がある人に嫉妬してるので基本嫌いです)。
主導権。これを握ることが出来たなら、他人に振り回されることは、多分少なくなるんじゃないかと。
流されないだけの自分。それを成人するまで生きてて見つけられていない辺り、人生無駄遣いしてんなぁ、と。
そんな自己嫌悪を積み上げても何にもならないのでしょうか?
そうとも限らないんじゃないですかね?
自分の嫌いなところを知っていれば、そこを見せないように立ち回る事や、補ってくれる相手を探すときも都合が良いのでは?
なんて、無理矢理ポジティブですけど。
まぁ、自分を変えるためにはこの20年以上かけて築き上げた自己嫌悪の砦を攻略しなけりゃならんよなと。
ネズミの穴でも空いてないかと探す日々。
弱さを盾にする強かさがあるなら、きっとその人は自力で助かることが出来るんだから。
今一番身近なところで苦しんでいる自分のことを優先できますように。
せめて明日から……なんて。はぁ……