<ありがとうって言いたいの>

 タイトルは歌詞です。ナノウという方の『ハロ/ハワユ』というボカロ曲になります。

 以下引用です

〜〜〜

サンキュー ありがとうって言いたいの
サンキュー ありがとうって言いたいよ
サンキュー 一度だけでも良いから
心の底から大泣きしながら ありがとうって言いたいの

                  〜〜〜

 はい。言えばいいじゃん?と、そんな事も言えないの? と思う方がいらっしゃるのかもしれませんね。……被害妄想ですw

 解釈に正解が有る世の中は窮屈です。どこぞの独裁者だけが百点満点とかディストピアも良いところでしょう。

 なので、あくまで僕がそう思った、というだけの話をしようと思います。

 ……いや、僕の考えなんてゴミ以下だし、みんなそれくらい分かってるよ!しね!と思うかもしれませんが、導入みたいなもんなので勘弁してください。


 お礼を言うのはどんな時でしょう。

 言わずもがな、誰かに何かをしてもらった時、なにかを与えて貰った時に、感謝の意を伝えるものです。


 ありがとう、と言いたい。大泣きしながら。

 僕には助けを求める声に聞こえました。

 

 辛いけれど誰にも言えない。誰かに助けてほしい。

 助けてくれて、救ってくれてありがとう。そう言いたいのかな、と。


 人に素直に助けを求められる人がどれほどいるでしょう。

 案外たくさんいるのかもしれませんが、僕自身はそういうタイプではない。と、思ってます。

 弱音を見せられるほど、他人を信用しない。信用したら信用したで相手に迷惑をかけたくない。

 つまらないプライドが邪魔をします。

 それでいてどうしようもなく追い詰められてようやく泣きつくもんですから、相手からすれば最上級に迷惑でしょう。


 人に甘えるのと、頼ることの境界線が分からないのです。

 人それぞれ感じ方が違う時点で明確には存在しないけれど、個人の胸の内には確かにあるそのラインが、僕には分からない。

 いっそ甘えてしまえればどれだけ楽でしょう。

 すいません。甘えてます。相手を怒らせてしまったこともあるし、そもそもこの文章が甘えですからね。


 頼るってなんなんでしょうね。出来ないことを手助けしてもらう、とかでしょうか?

 自分の足で立つことを辞めてはいけない、というのが最大限の基準であるように感じます。


 出来ないことは出来ないと認めること。

 出来ることまで人に任せないこと。


 人が人であることの矜恃ってやつなのかもしれません。

 誇りを守るのは難しい事です。でなけりゃそこに価値なんて付いてきません。

 だからこそ、“頼るべき時に頼らないこと”を誇りにしてしまう事もある。

 今の僕です。

 でもそれは自分の問題として処理できるならばともかく、周囲を巻き込んだ時、単なるテロリストに早変わりする身勝手な意地でしかないわけで。

 一回2回上手く行ったりしたらそれこそ悲劇でしかない。


 人は一人で生きられない。そんな当然の事実も、日に日に便利になっていくこの世の中では、実感しにくいのかもしれません。

 人に聞くより検索した方が楽で確実。僕もそう思います。

 そういうところが積み重なって、人の頼り方が分からない自分ができたのかもしれませんね。


 ありがとうと言いたい。

 どうしょうもない自分を救ってくれる人がいればいいのに、なんて思うのは甘えです。

 きっかけさえあれば変われる、なんて言う人は死んでも変わらない人だと思います。


 まあ、自分の話ですけど。


 でも悲鳴もあげられなくなったらそのまま死ぬだけなので。

 自業自得でも、辛い気持ちは確かにあるので。

 今日も口ずさんで生きていこうと甘えます。


〈ありがとうって言いたいの〉