寂しさについて
なるほどです、ご質問ありがとうございます。おそらくマシュマロ主さんは、もともと生まれつきの性質自体が、私とは対照的なのではないかという気がします。
まず私は我が強いこと自体はマシュマロ主さんと共通ですが、人に求めたいこと自体が元々あまり多くありません。私がやりたいことを私自身がやりたい、という欲求がわりと強くあるだけです。
そして私はひとりの時にはあまり「寂しい」と感じないんです。単に「ひとりでいる時」と認識しています。私が「寂しい」と感じる時というのは、私の周りに人がいて、かつ、それでもなお何らかの断絶を感じる時です。この感覚をちょっと言語化しづらいんですが…
そもそも「ひとりの時」というのがあまり多くないから、というのもあります。私は自分が人に何かを望む時よりも、人から何かを望まれる時のほうが多いので、「誰にも何も望まれてない状態」というのが、元々あまりありません。
ですので、私にとって「ひとりの時」というのは「私自身がひとりでいることを望んだうえに、それが叶ったとき」なので「望ましいとき」「気が楽なとき」でしかないんですよね…
そのようなわけで、マシュマロ主さんと私とは、おそらく元々の気質や感性、日頃の行動パターン自体が、わりと逆なのではなかろうかという気がします。そして、生来的な気質そのものが元からわりと逆タイプの人に合う方式を、マシュマロ主さんが参考にして採用しても、それは合わない方式なので、マシュマロ主さんの性質に適した方式を編み出す必要があるように思います。
とりあえずタイプに限らず汎用的な方針としては、まず自分のほうから広く親切と愛想をばら撒いておくのを日頃の習慣にしていると、誰かしら自分に好感を向けてくれる人が常に一定割合で出現するので、「一人でいる時」という状況自体が発生しづらくなります。
また、この「広くばら撒き」方式は対象範囲が広いので、個別の人に対して特段に期待したり、境界を踏み越えたりする確率が下がります。
お悩みの「人に多くを求めすぎてしまう」というのも、おそらくは「多くの人に、多くを求めてしまう」わけではなく、まず「求める対象自体が少数に限定されている」がゆえに、その結果として「求め」がその人に集中する、つまり「一人当たりに求める量が多くなる」という因果関係である気がします。
よって「求める量を減らすのではなく、求める対象の人数そのものを増やす」という解決策はいかがでしょうか。100の求めたいことがある場合、10人に求めれば一人当たりの負担は10ですが、これが5人に限定されると一人当たりの負担は倍増の20で、2人に限定されると一人当たりの負担は50です。
つまりお悩みの根本要因は「人に多くを求めすぎること」および「それを制御しようとすると、今度は一人でも大丈夫な人見られて一人になりがち」という部分ではなく「求める対象とする人数がそもそも少なく、求めを分散していないこと」である気がしました。
そのようなわけで、ご自身の中にある「誰かに求めたいこと」を、いろんな人に分散して、Aさんに求めるのはこれ、Bさんに求めるのはこれ、といった風に「より多くの人に、さまざまな望みを分散するよう心がけてみる」という方式をお試しになってみるのも一案かと思います。
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