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非力

自分や近しい人の命を想うとき、振りかざした拳がどこまで通用するのか、息荒く懸命に走った末に目指したものに手が届くのか、果たして、今世界のこの位置にいる自分の力が目に見える通り、その近しい人との距離なのかどうか、僕にはわからない。そこには人の思惑と表現される以上の、高度な政治、高度な経済が存在するからだ。原発の存在もそう。一気に電気自動車に替わらないのもそう。食品の成分表を見ても政治と金が絡んだ思惑の渦だ。命へ向かって全力疾走しても、それが最短距離とは限らないし、そもそもその命に触れるには高度ななんたらの前に非力過ぎるかもしれない。あの船の中で、叫びながらどれほどの人が死んでいったのか。どれほどの人が祈りながら死んだのか。そして沈みつつあった船に取り残された人々が『非力』であったと世界のどれほどの人々が知り、自分もその中のひとりであるかもしれないと、今、沈み続ける何かに閉じ込められているかもしれないと予感していただろうか。

http://bizmakoto.jp/makoto/articles/1404/22/news022.html

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