ひとり

学生の頃の話。
バイト先の店は駅の近くで、いつも京浜東北線を降りると真っ直ぐ店に出向いていた。発注を任されていたためだ。毎日、日が落ちた頃。

デジタルの計りを出して半端な小物の重さを計っていく。1個あたりの重さは決まっているのだから個数が出る。そして何個の余裕があれば安心していられるか決めておけば、ぱっぱっと数字が出てくる。だから月末の棚卸しも毎日の作業とさほど変わりはなかった。

そこで働き始めて1年ほど経ったある日、キッチンで発注業務をしていると見知らぬ女子高生がバックヤードで店長と話してた。てか、いつの間にか店長が出勤してた。店長は僕を見ている。ん? 僕から寄って行くと向こうからも来た。
「ちょっと変な子なんだよ。Mさんっていうの」
「採用したの、自分でしょ?」
「斎藤(僕です)くん、発注のついでに指導していってよ。俺、無理かも」
「無理なら切ったら?」
「それがさぁ、S(パートさん)さんの紹介でお隣さんなんだって。Sさんは絶対に使えるって言うんだけど」
バックヤードを見るとSさんも来ていてシフトを確認していた。

「Mちゃ~~~~ん」僕。
「はい?」
「斎藤です。よろしく」
「よろしくお願いします! Mです!」
「知ってる~~。ところでさ、Sさんてどんな人?」
「え? ・・・。んーーー。お母さんみたい!」
「お姉さんよ!!」Sさんが間髪入れずに突っ込む。
「大丈夫だよ」店長に言った。
「どこがだよ~~?」
「Mちゃんは今日これから?」
「いや、さっきまで入っていて、何か忘れ物あったみたい」
「しっかり働かせなよ」

発注が終わってバックヤードに戻ると、まだMちゃんがいた。
「電車で痴漢されましたよ~」
いきなりそういう話かぁ。「かわいいからね」
「えっっっ!?」顔を真っ赤にして照れるMがほんとに可愛く見えた。
「僕、帰る」
「あっ、私もそろそろ」
外に出るとすっかり暗くなっていた。Mは自転車らしい。

・・・。

「Sさんの隣?」
「はい」
「近い・・・かも」

道路に出て自転車置き場に行ったMちゃんを待っていると、Mちゃんは自転車を押して走ってきた。
「パンク?」
「いいえ」
「なぜ乗らないの?」
「斎藤さん歩きだから」
「いや、自転車置き場からここまでの話」
「えーーーーーー。なぜでしょうね?」
あー。確かに手強いわー。

アパートまではけっこうある。歩いて20分くらいはある。話すことがない。
「何年?」
「1年生です」
「入学したばかりってことだよね?」
「そうです」
「それでそのスカートの短さなんだ~」
「誰にも何も言われないですよ」
「親には言われないの?」と言いそうになったけど、ブレーキがかかった。なんとなく、それは訊かない方が良いと思えた。

しばらく黙って歩いた。

「あそこだよ」
「何がですか?」
「アパートが!」やはりズレを感じる。確かに店長は苦労しそうだ。僕は知らないけど。
部屋は2階だった。階段の下からプラップラっと猫のしっぽが見える。シロちゃんだ。よく来ていた。
「じゃ」と言ってから、「うちまで平気だよね?」と訊いた。自転車だし。
「・・・」Mは黙っていた。
階段を登ってから見下ろすと、Mは見上げていた。・・・。ふぅ。「部屋の中、見てみる? かなり汚いけど」
「はい!」

「シロちゃ~~ん?」
「そう」
「Mだよ~~」

「ほら、汚いでしょ?」
「え? そうでもないですよ。うちも汚いよ。片付ける人いないし」
その頃の部屋は本当に汚かった。部屋に戻ると鬱が絶好調で、1年前に引っ越してきたときのダンボールも何個か積んだままだったし、論文のコピーが3センチくらい積もっていたし、新聞はたたまずに積み重ねていた。タバコも吸っていたから、パソコンモニターの前に置いた灰皿からの煙でモニターの3分の1くらいが茶色く色付いていた。
Mはラジカセを見て、「何聴いているんですか?」と言って、容赦なくopenを押した。
が、何も入れてなかった。当時よく聴いていたCDはウォークマンに入ってた。「こっちに入れてるよ」

「ジュース買いに行きませんか?」
この記憶が確かなら、初めて出会った高校1年生と大学4年生なはずだ。「帰らなくていいの?」
Mはしばらくうつむいて黙った。ふて腐れているわけでもなく、ただ脳みその電源が切られたように。
「コンビニ行こうか」
「うん」と言って、僕の鞄から勝手にウォークマンを出してイヤホンを耳に入れた。

近くの公園をのんびりと横切る間、その闇の中でMの横顔を見ていた。笑みが消えていた。そして僕は、MがSさんを「お母さんみたい」と言ったことを思い出していた。ローソンの中でも無表情で飲み物を選び、僕はチョコレート菓子も取り、精算を済ませ外に出た。Mは口を硬く閉じ、何かを我慢しているようだった。

公園を再び横切り始めたとき、Mはウォークマンのコントローラーを何度か押した。ローソンに向かう時より更にゆっくりとした歩調だった。僕は薄暗闇の周囲に誰もいないことを確認し、Mの腕を引っ張ってみた。Mは抵抗せず体を僕に預け、僕はMの顔を間近に見て頬を伝う涙に気づいた。この子にとって家は帰りたい場所じゃないんだな。

しばらく抱きしめた。そうせざるを得ない時ってあるよね。

Mはイヤホンを持って腕を僕に絡めるように、僕の耳にイヤホンを入れた。「この曲、斎藤さん好きでしょ?」

僕は頬をMの頬に寄せた。湿った頬は温かかった。

「ひとり」


https://note.mu/agi/n/n801833e895ab
YouTubeで探しだした途端、あの夜のことを思い出した。

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