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だらだら日記

・高齢者に学ぶ

高齢の祖母を見ていると、思う。

「私、ちょっと太ったかも…、痩せたい…」などというのは、健康な若者特有の悩みだ、と。

高齢になると自然と体重は落ちていく。
高血糖だろうが、高血圧だろうが、関係なく。筋肉が落ちていく。ハリが無くなっていく。

むしろ、ちょっとぽっちゃりしている方が若く見える。少しふくよかで、体格がしっかりしているとか、ムチムチしているというのは健康や若さの象徴でもある。

高齢の祖母の世代では、極端に言うと「太ってて羨ましい」とでも言いそうな雰囲気なのだろう。「あなた、しゃんと歩いてお若いね。血行も良さそうで良いね」という会話をよく耳にする。

私はまだ「ちょっとでも細くなりたい…、痩せてるに越したことはない…、あの子は細くて羨ましい…」と皆が言っている世代だけれど、私たちが求めているのはガリガリになることではなく、健康的な美貌だ。病的に痩せたがるのは良くない。本当に不健康に痩せてしまえば、肌の状態は悪化するし、頬はこけるし、羨ましがられる状態とは程遠い。モテるにも、憧れられるにも、結局、健康が一番だ。

私たちも、いずれ通る道だ。
痩せることを怖がるようになる。
若い頃は、あんなに簡単に太れたのに…と、その成長エネルギーを恋しく思う時が来る。健康はお金で買えないことを痛感する時が。


私たちは、幸せを求めているのに、なぜか途中で血迷って、変な方向に行ってしまうことも少なくない。

BMIの値は低ければ低いほど綺麗だとは限らないし、
財布や口座の中身が多ければ多いほど豊かだとも限らないのに、
数字に縛られる。

体重計の数字、
貯金の数字、
年齢、
偏差値、
スペック、
高評価の数、
フォロワー、
アクセス数、
視聴率…

そりゃあ極端に太っていたら、それも健康を害するだろうし、
貯金がゼロだったら、不安だけど
極端でなければ、数字は一つの参考指標に過ぎないことを
何度も確認しなければ、私たちは迷いやすい。

一つの数字を目標にして「頑張ろう!」と、やる気が出るのなら良いだろうけど、人と比べて落ち込みやすい私たち。得てして、数字を見すぎることで苦しくなったり、しんどくなったり、自分を否定したり、しやすい。

身体の重さが数kg増えたからって、大して何も変わらないのにね。
気楽に生きたい。

若い時は、「食べたらすぐ太る」…なんて言いつつ、それを楽しむくらいが、ちょうど良いのかもしれない。痩せたら良い恋人ができる!というのも、自己肯定感が下がってしまえば、そうも言えない。

日本人は病的なほど太っている人は少ない。
私、健康的で美しいでしょくらいの人の方が、恋愛でも幸せを掴む気すら、する。

・子供に学ぶ

親戚に小さな子供がいる。5歳の男の子。

元気過ぎるくらい元気だ。
欲しいおもちゃは無限にある。(最近の子は、youtubeに影響されて、おもちゃを欲しがる)かと思えば、すぐに飽きて、他のおもちゃで遊び始める。

小さな子はワガママだ。我慢をしない。
嫌なことは拒否するし、思ったことを素直に言うし、忖度もしない。気を遣うことも少ない。

そしてそんな小さなエネルギーの塊を、周りの大人たちは、時に手を焼きながら、困り果てながら、何だかんだ可愛がっている。彼は変化に気づいてもらえ、常識を教えてもらいながらも抑圧され過ぎず成長を喜んでもらえる、幸せな環境にいると思う。よく笑い、よく喋って元気だ。

彼もきっと、大人になったら、気を遣ったり我慢をしたり、自分を押し殺したり、本当の気持ちが分からなくなったり、そういう世界をも知るだろう。賢くなる、世の中の知識を身につけるというのは必ずしも幸せだとは限らない。

今よりも自分でできることが増え、誰に頼まなくても欲しいものを買いに行く方法を知り、自分で選んだ人と交流し、興味のあるものを学べる力を付けても、大人には大人の悩みがある。

どうしても、常識に縛られて、無難な選択だけをするようになったり、
欲しいものはどうせ手に入らないのだと諦めるようになったり、
そうやって本当の自分の気持ちを見失うことのないように、
できるだけ自由にのびのび大きくなってくれたらな…と思う。

大人の言うことをよく聞く子供は褒められやすいけれど、そういう子が必ずしも強い大人になるとも言えず、褒められて育った問題のない子が幸せになるわけじゃない。

塾の講師をしていた経験からも、
従順過ぎる子は心配になる。
だからちょっとヤンチャで我儘なくらいが良いのだろう。

常識外れの行動には、大物になる可能性が含まれているのかも。

素直な気持ちを表す能力は、子供の方が高い。素直な気持ちを言えない子供の方が心配だ。

長女の私。大人の言うことを聞いて、欲しいものもねだらずに「手のかからない良い子ねー」と褒められることが快感だった時期が私にもあった。必要最低限以外のお金の負担を親にさせないことが良いことだと思っていた。

良い成績を取って、学校で問題を起こさず、怒られることも少なく、下の兄弟の面倒を見る。それが良いことなんだと思っていた。

だけど、褒められ慣れて、挫折に弱い大人になったように思う。誉め言葉がないと不安になる。評価されないと、自分の軸が揺らぎそうになる。
しばらく、人に甘える方法も分からなかった。上手にお金が使えない時期もあった。自分を適度に甘やかす方法が分からなくて、結果的にストレスを抱えて、変な衝動買いをしてしまったり、貯金がギリギリだった時期もあった。

誰が何と言おうと、先生に怒られようと、自分は大丈夫。たとえ評価されなくても生きていける。他人より優れていなくても、存在していて良い。

そんな、ドッシリした精神の土台を築くことの方が大事だったと大人になって思う。極端に言うと、何があっても自殺はしない、そんな強さだ。


私たち大人、特に日本人は、「他人に迷惑をかけないように」という思いが強すぎて自分を苦しめ、結果的に自他ともに傷つける結果になりかねない。そんな危うさを抱えている、と自分を見ていても思う。

だから自分のことも抑圧し過ぎず、たまに甘やかして、たまに自分の中の小さな子供を可愛がってあげなきゃ。

大人も子供も、結局中身は変わらない。
嫌なことはしたくないし、眠い時は寝たいし、つまらない遊びは続けたくないし、楽しいことだけしていたい。それだけじゃ生きていけない…と思ってしまうけど、もうちょっと柔軟に考えられたら、私たちは心に余裕ができて、お互いに優しくなれるのかもしれない。


自分とは違う世代から学ぶことは多い。
全く違う常識で生きている人を見ると、価値観が覆される。
異国の地にたまに行くでも良いし、異世代と交流するでも良い。
自分とは全く違う考えで生きている人たち(動物でも良い)に触れることは、私たちの世界を広げる。

世界が広がると、私たちは少し楽になる。
自分が今、死ぬほど悩んでいることも、万人にとって深刻な問題とは限らないんだなって気づくから。

犬は、リストラにも借金にも悩まない。
猫は鼻の高さに悩まない。
5歳の子は失恋に悩まないし、
80歳の人はまつ毛の長さや太さには悩まないから。

良い悪いじゃないけど、色んな価値観がある。

良いじゃんね、常識外れでも。元気に笑って生きていければ。

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