メイドイン悲劇

たたん、っと。
床を蹴って、飛び跳ねて。膝下まであるスカートも膨らむ。得意になって、レースとフリルを引き連れたままくるりと回る。大きな胸に、柔らかなラインの体に、クラシカルなエプロン。すらりと伸びた儚い脚はこれも真っ白なソックスが包んでいて、プラチナの髪にはサイドを白と黒のリボンで交互に編み込んだヘッドドレス。足元に視線をおろせば艶のある深い臙脂のショートブーツが爪先をきっちりと包んでいる。
何を隠そう、今の凪砂はメイドさんなのだった。
「……ふふっ」
こんな風にたっぷりと布を使った明るい色をまとうのはとても久しぶりだ。動きに沿って揺らめくリボンも幾重かさねたってちっとも重たくないレースも、フリルも。舞台での『乱凪砂』には望まれない。望まれないのなら、それは許されないのと同じことだ。
「(……茨、びっくりするかな)」
腰に結ばれた大きなリボンを揺らして、もういちど。凪砂は完璧なターンを決める。
「(…似合うって…かわいい、って。……いってくれるかな)」
いつか貸してもらった少女漫画を思い出す。いつもと違う服装の主人公に相手の彼は少し照れながら、言うのだ。
「……かわいい、よく似合ってる」
鏡を見て呟いてみる。
ほんのわずかに──彼女をよく知らない人には分からないくらい──頬が色づく。人形じみてうつくしい少女は、しかし物言わぬ無機物なんかではないのだ、と。薄桃色のさした唇や目元が主張していた。
「(……はやく、こないかな)」
狭いオフィスの一室でせわしなく回ったり、跳ねたりしながら彼のことを待っている。なんで回ったり跳ねたりしたいのかは凪砂自身も理解していない。どのくらいそうしていたのか。彼女は、ふいに動きを止めて、そっと首をかしげる。伏せ加減のまつ毛が瞳に影を落とす。規則正しい靴音が近づいてくるのが聞こえた。毎朝同じ聞きなれたリズム。凪砂の鼓動も大きくなる。ドアが開く、と同時に
「おはようございま──」
「おはよう、茨」
食い気味の挨拶。扉を開けたままの位置で茨が固まる。つむじからつま先まで眺めて、一言。
「うわっなんですかそれ」
少女のなかの何かが針で刺された風船みたいにしゅわっと音を立てた。
「いやあ面白いですね!なにかの仮装ですか?ああ、サークル活動のある日でしたっけ」
いつもの笑顔でそれだけ告げて、忙しく凪砂の横をすり抜けて。書類とパソコンに触る。あんまりに薄すぎるリアクションに、凪砂は首をこてんとしたまま突っ立っている。
「……どう思う?」
数秒逡巡して、ぽつりと問いかける。
言うが早いか、茨は忙しそうに立ち上がってパニエやドロワーズでいつもよりたふたふの凪砂のお腹ををかなり無遠慮に触った。思わず身を引く。
「まず閣下はスタイルのいい…うーん…今からちょっとセンシティブなこと言いますけどどうか気を悪くされないでくださいね?事実として世間ではそういう認識というお話ですから。胸が大きく腰が引き締まって足の長い…大変スタイルのいい魅力的な女性であります」
ぐいっ、と。布の間にたまった空気を潰すようにお腹を押される。
「ですので、このように腰をあまり絞らず布を重ねるスタイルのワンピースやドレスですと…ほら、押してみるとはっきりしますね。胸からのラインがすとんとまっすぐ流れてしまうので……特にテレビ等では多少デブ…げふんっ…ふくよか!ふくよかに見えすぎてしまうかと」
そう告げられて目の前の少女がきゅっと唇を噛んだのも見えていないらしい。プロデューサー業のほうに火がついてしまったらしい茨は続ける。
「この野暮ったい丈もよくないですね!せっかくあれほど長く均整の取れた脚がほとんど隠れてしまうなんて…テレビでなくとも閣下の魅力を十分引き出せているとは言い難いですな」
もちろん茨は主である凪砂に『どう思う』と問われたから彼女を引き立てるための舞台衣装として正確な評価を述べるべきだと判断したのだ。まさかそれが自分に見せたいがために……いってしまえば褒められたいがために準備した私服だなんて知る由もない。
「それから裾のところなんですけど」
「……もういい。分かった」
ヘッドドレスを取って床に落とす。
「そうですか?お役に立てたようで何よりです!」
それを拾って、顔を見た瞬間。すっかり仕事モードになっていた茨でも気付いた。
「あ──」
やっちまった。
何を?
そんなものは夕焼け色の両目いっぱいに浮かんだ、不満と非難と悲しみの色で分かる。
「……そっか。分かった。……着替えてくるね」
「あ、いやっ…その…個人的な好みとしては…大変よくお似合いかと?!」
「……ううん、いいよ。そうだね。茨の言ったように私、背も高いし。似合わないよね」
更衣室に向かう凪砂を引き留めようとした手が空気を掻く。真っ青な顔をした茨を振り向かず彼女は廊下を走って行ってしまった。