小川洋子「先回りローバ」を読むのに3年かかった(多少ネタバレ有り)

小川洋子さんの短編集「口笛の上手な白雪姫」に収められている『先回りローバ』を読んだ。やっと読み終えた。20頁ほどの短編を読みきるのに2~3年ほどかかった。

物語は吃音の少年。両親を含む社会との意思不疎通に悩みながら不思議な体験を得る。

短編の為、さわりだけでも触れるとネタバレ要素が強いので登場人物詳細はは秘するが、少年が自分だけにしか見えない存在、イマジナリーフレンドにコンプレックスを緩和してもらい心の平静を得るという話。両親は宗教にハマっている。つまり宗教二世。3年もかかっている間に少しタイムリーな要素も出てきた。

なぜ3年かかったかというと、僕自身もあまりしゃべりに自信が無い、というのもある。自分の発言が他人を喜ばせたり、役に立ったりしないだろう、と想ってしまい、語尾が消えゆくような話し方をしたり、テンパって話の組たてがおかしくなったり、早口で喋ったり。歯並びが悪いので余り口元を見られたくないので口を大きく開けない、というのも有るかも知れない。

でも一番の理由は、かつて交際していた女性が吃音性だったからだ。普段は気にしてないような素振りこそしていたが、やはり気に病んでいた。

彼女自身、仕事にはやりがいを感じていたが、頻繁に電話をかけねばならぬ職種ゆえの苦労は見ているだけでも辛かった。通話の際、一言目は比較的発語しやすい言葉を’決めて’いた。

付き合って行く上で大事なことはなるべくLINEやメールではなく、会って話をしよう、という提案もし、賛同してくれたが極めて大事な話でもやはりLINEが多かった。喧嘩したときなど、只でさえ言葉に詰まるのに、彼女は思った言葉がすんなり出ない。次は相手のターンだと待つのだけれど、その配慮さえプレッシャーになり焦る。言いがかりのような不満をぶつけられ、こちらも頭に血が上って言い争うが、常に「大丈夫、焦らないで話して大丈夫」と思う冷静な自分がいた。勢い余って理不尽な苦情をぶつけられて腹が立っているのに、全力でキレて怒ることがなかった。僕のあの行為、想いは『対等』では無かったんだろうか、と今でも解らない。笑う時や思い遣るときはお互い全力だったのに、喧嘩の時だけは全力でぶつからなかった。

別れ話は結局LINE上。言いたいことが詰まらず言えるから会話しているときより辛辣だった。まあ辛辣なこと言わせるほど傷つけた、と言われたら返す言葉も無いが。逆に言えば会話の時は僕がどれだけ待とうが、気を遣おうが思い通りに喋れなかったんだろう。その時発生している『間』は僕が焦らずとも良いと待っているのか、返す言葉に詰まっているだけなのか解らない不安な時間だったろうと思う。

吃音だけのせいではないが夢を一旦諦めてもいた。今はどうしているか解らないが、それを理由に諦めなくても良いのでは?という話はした。気休めだったとは思うけど。

『コンプレックスを感じるときはむしろ心に余裕がある時だ』と思うこともあるが、実際は常に心の奥底に汚泥のように沈殿している。心を攪拌しないように生きる術を身につけて表面の透明度を保って居るだけだ。僕は「地雷」を踏まないことだけを気にしてオアシスに向かって歩いてた。小石を蹴飛ばし水面を揺らしたことにも気付かずに。最初は小さな波紋だけだったのがいくつも蹴飛ばしているうちに底の方は濁っていたのだ。

物語はハッピーエンドと言うほど明るくは無いが、ハッピー方向へ舵を切った所で終わる。当事者では無い僕らには希望のある終わりだが、当事者の彼女が読んだらどう感じただろう。そんな簡単に治ってたら苦労はしないと憤るだろうか。

吃音は会話すれば解ってしまうので隠すとかどうとか出来る問題では無く、お互い気にしていない振りをするだけだったが、付き合うか付き合わないか、正式な態度を留保していた頃、まるで『私、納豆嫌いだけど大丈夫?』位のテンションで突然「韓国の血が入ってるが大丈夫?」と言われた。「全く気にしない」と即答した。実際気にしないのもあるけれど、彼女の「たいした発表ではない」風を装おう工夫に敬意を表したくて食い気味で答えた。

コンプレックスは対人してこそ起こるものだから、人と触れあうのが好きな人ほどコンプレックスを抱えるのかも知れない。自意識過剰で僕を、自分を傷つけぬよう彼女はかさぶたを目立たないように化粧し、鎧で物々しくならないように着飾って僕と居てくれた。この物語は彼女が大人になるにつれ獲得してきたその術を持たない頃を描いているようで苦しくて読めなかった。

振られてかららずいぶんたった後、一度だけ、貸してたCD返して欲しいとLINEがあった。送料だのなんだの自分から振った上に探せだなんだと態度デカいな、とムカついた。「思い出の品は全て捨てたからもう無いよ」と何も気を使わず返した。やっと対等に話せた気がした。






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