太鼓の音をきくのはうれしや

アースセレブレーションの鼓動


8月18日金曜日。お盆も過ぎたというのに、ゆうに35度を超える毎日だ。どうしても帰りのフェリーのことを考えると、近くのバス停まで歩いて行くしかないようだ。およそ25分。65lのバックパックに、カメラ機材を抱えて、35度をこえる中、徒歩で最寄りのバス停まで歩く。そこまでしてビールが飲みたいのだ。


バス停についてまだ10分ほど時間があった。暑さも考慮して少し早く出発したのがよかった。目の前のコンビニエンス・ストアで冷たい水を買う。バックパックを置いて、道路を横断し、店の中へ。家を出て30分弱で、すでに汗だくだった。店内の冷房が心地よい。水だけを買う。


バスは空いていて大きなバックパックは邪魔にならずに済んだ。混んでいる時間は過ぎているし、そもそも誰もバスになんて乗らない。万代のバスターミナルで乗り換えて、佐渡汽船新潟港へ。流石に人は多いが、だいたいが荷物の多い人ばかりだ。到着するとすでに大勢の人が改札に並んでいる。アースセレブレーションに行くため、佐渡に渡る。団体の観光客もいれば、帰省らしい人もいる。外国人が多くて、小木に向かうのだろうと思い、少しうれしくなる。ここでビール、とも思ったが、並んでフェリーでの広いスペースを確保したい。どうせ、フェリーに乗ればずっとビールが飲めるのだ。とにかく、涼しいところを探して、チケットを買って、一旦、待合室で涼む。


佐渡に渡るのは何年ぶりだろう。昔、トライアスロンをやっていて、佐渡のトライアスロンに出場することが、1年の目的であった。レースだけでなく、練習でも訪れていた。なので、自転車なしに佐渡に来ることはなかったと思う。今回は自転車のかわりにテントとカメラというわけだ。


かろうじて横になれるスペースを確保し、ビールと食事に。売店を探すが、売店がない。フードコーナーはあるのだけれど、売店がな い。トライアスロンをやっていたのは5年ほど前だったが、すでに売店すらないのか。駅のキオスクのような雑多な感じがよかったんだが、これも時代かもしれない。


とにかく、ビールだけ買ってデッキに向かう。えびせん狙いのカモメが近づいてくる。残念ながら、買ってこなかった。どうして気が効かないんだろうと、カモメに少し申し訳ない気持ちになった。自分はというと、フードコーナーではいまいち食指が動かず、カップヌードルを手にしている。倍の値段で売られているからか、その味は格別である。トライアスロンの練習で、佐渡を自転車で1周するんだけど、雨に降られて、震えながらフェリーに乗る、そして、食べるカップヌードルはちょっと言葉にできない。そんなことを思い出した。


青い、青い、海と空がどこまでも続いていて、カモメが寄ってきて、潮の香りとそしてビール。


しばらく横になりつつ、リモートで仕事をしつつ、佐渡に着いた。


フェリーから降りる景色は、あの頃とかわらない。ここから先はおみやげ屋が並ぶ。あの頃のままだと、ついうれしくなってしまう。


下に降りて、バスの時間を確認する。アースセレブレーションのブースがあって、必要な情報が入手できた。あれだけいた外国人はアースセレブレーションに行くのだろうと思ったが、バス乗り場には誰もいない。みんな独自のルートで小木を目指すのか。最初にバスに乗り、仕事のチャットの返事を待つ。バスの中は冷房が効いていて、とても心地よい。小木へと向かう道はそのほとんどが、トライアスロンのコースでその時の痛みがよみがえる。この坂を越えるとか、右に曲がるとか、次のエイドがとか、もう足が攣ってそうでつらい。


そんな思い出に浸りながらも、バスの中は快適だ。バスは直通で、空いている。時間もたっぷりあるので、ゆっくりパソコンも開いていられる。なぜ、佐渡にまできて仕事のメールをチェックしなくてはならないのかと思いつつ、こうして仕事ができるのもありがたい。


小木に着いた。まずはトキ・ブルワリーを目指す。このために来たと言っても決して過言ではない、トキ・ブルワリーのアースセレブレーションのコラボ・ビール、EC2。ホワイトIPAでホップのおいしさがあって、ごくごく飲めるという、とてもある意味で危険なビール。


ビールを飲んだら、チケットを買って、すぐにキャンプサイトに。キャンプサイトは、城山公園。以前は、ここにステージがあったところだ。神社を抜けると、ひたすら登る。フジロックを思い出す。フジロックのキャンプサイトもひたすら登る。やっと、到着すると、もう汗だく。とにかく平らなところだけ確保したいが、もう暑すぎて、木陰になるようになる所を選ばないとだけど、もうすでにそういう場所は空いてない。スタッフさんに確認して、反対側のスペースに。しかし、テント広げたところで別のスタッフさんがやってきて、移動してくれとのこと。


全ての支度を終えて、再びトキ・ブルワリーへ。ビールを手にフードをひと回り。前に来たときはトムヤンクンのラーメンを食べた。その後、トライアスロンの練習にアースセレブレーションに合わせてやってきて、途中でトムヤンクンのラーメンを食べた。おそらく自分にとってのフードトラックのはじめての体験だった。当時はまだそれほどフードも多くなくて、地元商工会くらいだったように思う。今では、いくつものフードが並んでいる。地場のもの、洋食、アジア、ラーメンなど、たくさんあり過ぎて選べないくらいだ。そして、人も多い。コロナ明けとはいえ、ステージ開演前だからかもしれないが、以前に比べて、かなりの人数である。そして、DAY1のステージがはじまる。


先日、亡くなったTHE BANDのロビー・ロバートソンは、子どもの頃、インディアンのコミュニティで暮らしていたそうだ。日が暮れかかると、広場にみんなで集まって、輪になって楽器を奏でるのだという。アメリカの音楽のルーツがインディアンだという話もあって、ジャズやブルースが黒人の音楽というが、実はそのルーツにはインディアンの音楽があるのだという。


音楽というと、それは楽譜があって、音符があって、とまさに西洋の音楽を意味するが、我々がずっと以前から耳にしていた音楽というのは、インディアンのもののようなものだったはずだ。もちろん、教育もあり、そしてラジオやテレビのようなメディアを通して音楽に触れるようになった。でもそれ以前は、インディアンのコミュニティのように、日本であれば地域の祭り、神楽、民謡、踊りではなかったか。自分が子どもの時分は、盆、正月と親戚が集まれば、お酒を飲み、手拍子にあわせて歌を歌いしたものだ。もちろん、カラオケなどない。カラオケのずっと前。


鼓童の演奏と聴きながら、そんなことを思った。太鼓の音、笛の音、鐘の音、その全てが心にふれるようだ。


テントで飲むビールを抱えながら、キャンプサイトへ急ぐ。余韻に浸りながら、とても心地よい。キャンプサイトには、トイレと水くらいしかないが、水があるだけでとても助かる。キャンプというサバイバルな環境において、ミニマムということは常に意識しておかなければならない。それに対して、クレームがあるのであれば、それは準備が足りないということでしかないからだ。

汗をかいたなら、汗を拭けばいい。そこに水があるのなら、持っている布に浸し、それで拭くだけで、気持ちがいい。そんなことを思いながら、テントに。買ってきたビールを飲むにも、虫がよってくる。余韻に浸りたいところだが、それもままならないので、テントの中に逃げる。


この日の最高気温は何度であったか。とにかく熱い。疲れているし、ビールもたくさん飲んだから、すぐに寝れると思っていたが、とにかく汗だけが出る。ぜんぜん寝れない。こういうときにはキンドルが最適だ。暗くても読める。いくらでも読めるからいいようなものだが、とにかく暑くて、汗が。テントの天幕を剥ぐ、少しでも風が通るように。トイレに行って、手拭いを濡らし、テントに戻る。寝れない。キンドル。そして、汗。トイレ、手拭い、テント、キンドル、


どれくらい繰り返したであろう、寝たような、寝ていないような。

まだ暗いが、朝のようだ。昨日はあれだけ暑かったのだから、今朝も同じだろう。日の出から、すぐに気温はあがるだろう。起きてしまうと、寝れなくなった。眠いんだけど、寝れない。少し明るくなったところで、あきらめてテントから出る。


朝はとにかくコーヒーである。火器の使用が限られているので、道具を抱えて移動する。ヘリノックスを持ってきているので、これだけでQOLが上がる。お湯を沸かしながら、本を読む。


どういう巡り合わせか、今回、佐渡に持ってきた本が畑中彰宏著「宮本常一」であった。宮本常一という人は、民俗学者で、佐渡にも関わりが深く、佐渡の伝統芸能であった鬼太鼓(オンデコ)を拾い上げたらしい。まさに、鼓童のアース・セレブレーションで読むのは感慨深い。鼓童という小さなコミュニティがアース・セレブレーションとして世界に向けて発信し続けてきた、しかも30年あまりも。そのことがこうして、この舞台、ステージだけでなく、佐渡の小木地区に根差し、そして、古いコミュニティだけでなく、新しいコミュニティも生まれている。


自分でいれるコーヒーはおいしい。特にこういう時というのは、格別だ。先ほどからビールの話しかしていないようだが、ビールはがまんできても、コーヒーをがまんするのは本当につらい。普段は旅先で必ずその朝のコーヒーを確保する。自分でいれることができなければ、前日にタンブラーに用意する。こうして自分でいれられるのが一番だ。温かいコーヒー。日中、どうしても暑くて、アイス・コーヒーを飲むことがあるが、年に数回だろう。基本的には、温かいコーヒー。世界は基本でできている。


コーヒーを飲みながら、本を読んでいる。いつまでも本を読んでいられるが、暑くなってきた。まだ7時だというのに。朝食があるカフェを探す。さすがに朝早くから開いているカフェはなく、1軒だけ見つけたが、当然、店内は混み合っている。どうしても食べたいわけではないので、ぶらぶらするが、すでに暑い。昨日から、朝には温泉にと思っていたが、9:30にならないと開かないので、なんとかして時間を潰す。歩いていても、疲れるだけだが、他にすることもない。テントサイトに戻ってもいいようなものだが、あの坂を登らなければならない。すると、商店街の入り口に酒屋が開いている。日陰だし、風もあって心地よい。外にベンチがあって、まずは缶ビールを買って、座った。

そこは、日常の風景であった。狭い道幅で、猫がいて、配達の車が通り、自転車も何台か通る。アース・セレブレーションの朝はみんなどこにいるんだろう。きっとどこかにいるんだろうけど、その風景は日常そのものだった。ただし、朝から店の前で缶ビールを飲む人はいないはずだが、そこだけが日常と違っていた。

竹でできた風鈴がカラン、コロンと乾いた音を鳴らしていた。とても心地よい。缶ビールを飲んでしまうと、することがなくなってしまったので、ひととおり小木を散策してみることにした。

商店街といっても、開いている店はほとんどない。時間の話ではなく、かつて商店だったであろう建物が並んでいる。どの地方の商店街も似たようなものだ。ただここは少し進んでいる。魅力的な商店もあるにはある。新しいコミュニティを作って、精一杯その魅力を伝えようとしているのがわかる。地域活性というのとはまた違う文脈で、うまくいっている部分もあり、うまくいかない部分もあるのだろう。商店街から港に向かい、ぶらぶらと歩く。そろそろ温泉に入れる時間だ。もちろん、すでに汗だくだ。


その温泉は、以前に家族で泊まったことのある温泉だ。家族といっても、長男、次男が生まれる前だったかもしれない。佐渡を自転車で一周しようと、両津をスタートし、佐渡ロングライドや、佐渡トライアスロンの逆回りで、およそ150kmくらい。その日のゴールは小木だろうと、小木の宿を予約したのだ。佐渡の海岸線がこれほどアップダウンがあるとは知らなかった。特に調べもしなかったし、平坦であることを疑いもしなかった。当然だが、当時の自分の実力では相川に着く前にギブ・アップだったのだ。妻の車に回収されて、小木に向かったのである。当然、翌日は自転車に乗る気力もなく、少しだけ観光を楽しんで、帰りのフェリーに乗ったのであった。

あれから、幾度となく、佐渡ロングライド、佐渡トライアスロン、そしてその練習で、佐渡を1周するたびに、足が攣って登れなくなった坂、バイクをおして登った坂のことを、その度に思い出したものだ。


ホテルに着くと、オープン直後に行ったものだから、まだ掃除が終わっていない。しばらく待ってから、温泉に入る。すでに汗だくだから、またこのシャツを着なければならないのだが、脱がなければ、温泉には入れない。

シャワーで汗を流す。心地よい。昨晩は濡れたタオルで体を拭くだけで気持ちが良かったが、やはりシャワーは格別だ。風呂、しかも温泉となれば、そのまま倒れてしまうくらい気持ちいいだろう。さっと丸洗いして風呂に入る。

とても、広くて気持ちのいい風呂だが、相当の年数が経っているのがわかる。控えめにいって、ボロボロだ。前に来た時も古く感じたが、あれから10年以上経っているわけで、その間にも修繕されることもなく、その場その場を取り繕ってきたという感じであった。直したくても、直せないのだ、というメッセージがぼんやりと浮かんでいた。先ほどの商店街と同じなのだ。

いずれにせよ、温泉は気持ちいい。できればずっと入っていたいが、長風呂が苦手なので、長い時間はいられない。でも、時間はたっぷりある。がんばって時間を潰したが、30分くらいであきらめた。また濡れたシャツを着るのは、いやだけど、しかたない。がまんして着るが、やはり気持ち悪い。

外に出ると、またこの暑さ。まだイベントはないけど、とりあえず小木港を目指す。小木港は人もまばらで、日にどのくらいの船便があるのだろうか。とても大きな建物に、人気の無い感じが、何かの工場を思わせる。あるいは遺跡のような風格さえ漂っている。中に入ってみると、客はほとんどいない。2階の団体客用の食堂が、アース・セレブレーション期間中、フリースペースとして開放してあるようだ。これはありがたい、と早速行ってみる。かつては人気のあったであろう広々としたフロアであった。すっかり団体客も減り、使われなくなったそのフロアは、あの当時の何かを象徴しているかのようであった。エアコンが効いて涼しいので、しばらく休むことにした。

昨晩はろくに寝れていないし、今日もすでにかなり歩き回って、疲れた。せっかく温泉にも入ったのに、すでに汗だくで不快だ。とにかく休もう。

どのくらいそこにいたのだろうか。自分以外に客は一組入ってきたが、すぐに出ていってしまった。寝ようにも寝れないが、それでも休むことはできた。この暑さの中、目的があるのか無いのか、あちこち歩き回り、疲れ果てていた。一体何をするために、ここに来たのかと思いたくもなる。そうだ、アース・セレブレーションだ。いくらか回復できたようだ。とにかく、このシャツが不快なので、あの坂を登ってでも着替えに行こう。そう思い、キャンプサイトへと向かった。


着いてみると、それほど大変なものでもなかった。もっと早く来ていれば良かった。アウトドアフィールドとして、簡単な遊具があったり、フードトラックもある。着替えてビールでも飲もう。

木陰でビールを飲んでいると、とても気持ちがいい。暑いけど、風があって、冷たいビールが飲める。ぼーっとしながら、本を読んだり、うとうとしたり、とにかくのんびりと時間を潰す。


音楽というフォーマットは、特にロックやポップスというようないわゆる軽音楽(もう誰も軽音楽なんて言わないのかもしれないが、)、日本であれば歌謡曲のように、歌であり、詞があって、感情を乗せやすく、誰にでもわかりやすいもの、というのが、人気があって、売れる。この売れるというのが、資本主義的なものさしで、この音楽がとてもフィットするのだと思う。芸術というひとつのくくりで考えても、画家になるのは困難で、ある特別の才能を持って、努力して、画家 として生活していけるのはごくわずかなのだと思う。それに比べて、日本でいわゆるアーティストと言われるミュージシャン、歌手、アイドルはどこにでもいるような人たちだ。もちろん、これは自分の偏見と指摘されれば、偏見かもしれないが、彼らが手にしている現金を考えてみればわかりやすい。つまり、美術にかかるアーティストが手にしている現金と、音楽にかかるアーティストが手にしている現金を比較すれば、容易に想像できる。人数で比較しても同じだろう。もちろん、これはクラシック音楽とロック、ポップスとでも同じことが言えるのではないか。

クラシック音楽の作曲家と歌謡曲の作曲家。どちらも音楽というジャンルにありながら、彼らが手にする現金の額はどれほど差があるのだろう。クラシック音楽であれば、誰からも理解されるようなものではないかもしれない、それでもそのアートしての音楽を追求する。一方で、どうしたらみんなに買ってもらえるかを追求し、消費者に求められる音楽。どちらも音楽と言われるのに、その差はあまりにも大きい。


持ってきた本を読んでしまった。本屋があるはずもないと思っていたが、小木の商店街にあるらしい。どうやら、新潟の北書店さんが関わっているらしく、何かおもしろいものが見つかるかもと、出かけることにした。速乾性の高いシャツに着替えたおかげで、快適だ。気分もいい。

お昼も近くなると、さすがに人の出もある。どうやらそこは、カフェ兼本屋。カフェに入り、本ありますか、と聞く。どうぞ、奥です。と言われて、店に入るが、どうもきまりが悪い。本屋といっても、ちょっとしたテーブルに本だ並べてあるだけだった。何度見返しても、読みたい本が見つからなかったので、そのまま本屋を出た。キンドルもあるし、がまんしよう。

朝から何も食べたいないことに気がついた。不思議と食欲がなかったのだ。三角公園ではもうステージがはじまっているようだし、お目当てのフードもあるので、そちらに向かった。


こちらにもトキ・ブルワリーが出店していて、うれしい。ステージから離れたところで、ビールを飲みながら、タコス。このタコスがとてもおいしいのだが、小さい。スパイス・カレーを追加する。まだまだ食べれそうなものだが、これでもうお腹いっぱいになってしまった。この後、隣のあゆす会館で、エクスペリメンタル・ルームの公演がある。


エクスペリメンタル・ルームはちょっと変わったレーベルだ。新潟という地方にあって、ジャンルというものがない音楽レーベルなのだ。前衛的でもあり、民族的でもある。本当に独特であり、 オリジナルすぎて、とても例えが見つからない。とにかくすごいのだ。自分は特にそういった嗜好はないけれども、とても惹かれてしまう。その姿勢というか、佇まいというか。何度かイベントにも参加していて、今回も控え目に言ってこのために佐渡に来たのかもしれない。


とにかく熱いので、室内に入るのは心地よい。開場と同時に入れてもらった。

開演までは時間があったが、中で涼ませてもらう会場はよくある公民館的なただ広いだけの場だった。その中央に、マイクと打楽器とパソコンが置かれている。打楽器は太鼓、鈴、鐘などなど、見たこともない何か。それらを囲むようにパイプ椅子が置かれている。やはり人気なのだろう、すぐに満席になる。別にチケットを買わなければならないはずなのに、席がなくなる。

開演。出演者が登場し、演奏がはじまろうとしている。でも、席に座らなくてもいい、らしい。踊ってもいいし、寝てもいい、という。演奏を邪魔しなければ、何をしていてもいい。それぞれのスタイルでこの時間を楽しんで、と。いや楽しんでとも言っていなかった気がする。ただ、共有してほしいというようなニュアンスだった気がする。


演奏がはじまるともうそこはエクスペリメンタル・ルーム。不思議な時間の流れかたのする空間に包まれる。日頃、音楽というものを好んで聴いている自分にとって、これは音楽なのか、という問いをいつも与えてくれる。そこにあるなにか、について、あえて説明するならば、おそらくこれは音楽なのかもしれない、というくらいにしか自分には言葉にできない。アートを目の前にして、どう言語化していいのかわからなくなる感じ。でも、それが心地よい、という空気に包まれる。アートというよくわからないモノ、コトを目の前にするとそうなるやつだ。しかし、そこには何かあるはずだと思う。わけのわからない音だけが響いているそこには、モニターがある。そこに何が見えるのかと思い、ふと、そのパソコンに向かった。それがこの空間を駆動している何かなのだと思い、そのモニターを見た。でも、そこにあるのはただの波長だった。音をモニタリングして、それをアウトプットしているだけなのかと気がつくと、それはもうアートなのかもしれない。その空間がインスタレーションだった。


終わってから、帰ろうとする人たち。そういう人達を眺めて思うのは、なぜここに来たのかな、っていう疑問だった。ここはチケットとは別にチケットが必要なのだ。3,000円とはいえ、それを払ってまだでくる価値があったのだろうか。もしかしたら、3,000円を払ってでも涼みに来ただけなのかもしれな い。このエクスペリメンタル・ルームのイベントでいつも思うのは、ここに何を求めているのか、そして、その求めている何かは得られたのか。


外に出てもまだまだ熱い。なぜこんなにも熱いのだろうか。ふらふらと小木の道を歩きながら、小木港へと向かう。


ステージ前の広場は熱狂を取り戻したようだ。そして再びトキ・ブルワリーでビールを飲む。どれだけ飲んでも、相変わらずうまい。とても危険なビールだ。はしゃいでいる子ども、ぐったりしている子どもがいて、懐かしい気分になる。自分の子どもが小さい頃は無駄にはしゃぎ、と思った途端にその電池が切れたかのように、ぐったりとする。こういう場ではかなり気を使うかもしれないが、どんどんとこういう場に子どもを連れてきてほしい。


Day2のステージは、若手アーティストの2人とのステージだった。自分はとても楽しめたのだが、果たしてここにいる人たちが皆、これを楽しんでいたのであろうか。


資本主義の恩恵。それは経済発展、豊かな暮らし、貧困の解消。しかし、その代償はこうした資本主義というプラットフォームに乗れないものたちを失い続けたのではないか。簡単に言ってしまえば、お金にならないことはやらない。そうして、お金にならない人、物、事は損なわれ続けた。資本主義はその誕生からその暴走を危惧されているにも関わらず、しかも、すでに暴走していると言われ続けているにも関わらず、いまだにそれを制することもできず、そこから降りることもできず、ただひたすらそこに乗っていることしかできないでいるのではないか。


とはいえ、ここで反資本主義がどうとか、マルクスがどうとか、という話をするつもりではない。


そろそろお腹が空くかもしれないと思い、あちこちと歩き回るが、結局ビールしか飲むことなく、開演を迎えた。


今朝ビールを飲んだ酒屋さんの前に何やら屋台があった。どうやらここで盆踊りがはじまるらしい。どんどんと人が集まり、最初はその屋台のまわりだけであった踊りの輪は、ぐんぐんと伸びて交差点まで届きそうだ。何度かその輪に加わりながら、そのステップを覚えようとするものの、そもそも酔っ払いなので、覚えられるわけもなく、それでも果敢にその輪に入ろうとするも、島外の人ということを認識した。それでも、そこには県外の人もいれば、国外の人もいる。夜の帷も降りて暗いのだ。踊れてもいないけど、その輪に加わり、何気なく手の位置、足の位置がビッタとはまることもある。あの輪に入ることはとても気持ちが良かった。


さすがに疲れたので、少しは眠れた。それでも朝早くに目を覚まし、テントをたたみ、バックパックに押し込んだ。コーヒーが飲めないのが辛いが、朝イチの小木港発のバスに乗る。

バス停でこれは両津に行くのかと、尋ねられる。若い外国人の男性だ。とても感じのいいガイだったが、なぜか釣竿がバックパックに差してあった。釣りをしたのだろうか。もちろん、そうだと答える。そしてもうひとり。若い外国人の女性だ。二人ともとてもラフな感じがとても良い。バスに乗り、いったん佐和田に向かい、そこから両津へ。バスは羽茂へと向かう。佐渡は何度も来ているので、それをほとんど知っている気になっていたが、羽茂は知らなかった。奇妙な三人の旅。朝日に照らされたバスの中は、疲れた体に眠さもあって、まるで夢でも見ているかのうような気持ちになる。

暑い夏の日に、重い荷物を担いで、バス停まで歩いて、バスに乗り、フェリーで海を渡り、アース・セレブレーションに行って、ビールを飲んだ話。

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