YouTubeプレミアム会員になったゴリラ


「いい加減にして!!!」

ゴリラはそう言って、大きな耳からAirPodsを外すと、質素な藁のベッドに勢いよく投げつけた。

「なんだって、ASMR動画に広告を付けるんだい!!視聴者の耳より自分の収益がそんなに大切かしら!!」

ゴリラは、その逞しい親指で「ASMR 至極のネイルタッピング」に低評価を付けて、いささか憤慨しながら、夕飯の準備にとりかかった。




「そろそろ、ゴリラもYouTubeプレミアム会員になったら??」

承二郎は、ゴリラの作ったオムライスを美味しそうに頬張りながら、そう呟いた。

「YouTube…プレミアム…??」

「そう、プレミアム会員。最近は仕事の方も順調で、生活に余裕も出てきたんだしさ。」

「でも…いいの?」

「あぁ、俺もゴリラがプレミアム会員になったら、鼻が高いしさ。それに、主婦友達の中でも自慢のタネになるんだろう?」

「アナタ……」

ゴリラは承二郎の優しさと気遣いに思わず涙したが、「たまねぎはひどく目にしみるわね」と言って誤魔化した。




その夜はいつにも増して承二郎は激しかった。いつもならその激しさに閉口してしまうゴリラであったが、今日はもちろん違った。

「YouTubeプレミアム会員になれる」

その事実が、ゴリラをまた激しく燃え上がらせたのだった。

夜もすっかり更けた頃、承二郎の腕の中で、ゴリラはほんの少し口角を上げながら、ゆっくりと、しかし震える指で「登録」のボタンを押した。




それからの毎日は、ゴリラにとってまるで夢のような日々だった。

ゴリラはかねてから腱鞘炎に悩まされていたが、広告を5秒でスキップをしなくなったおかげで、その腱鞘炎はすっかり治った。

さらに、今まで画面をつけながら再生していたASMRの動画をバックグラウンドで再生出来るようになったので、ブルーライトによる不眠症がキレイさっぱり無くなった。

そしてさらにASMRの動画で快眠になったので、ゴリラは早起きになった。
早起きは三文の徳というがこれは本当で、いつも朝8時頃に散歩に出かけると「やいゴリラ」などと小学生に罵られたのだが、早起きして朝4時頃に散歩に出かけるようになったため、自分で(ジジイかよ)と思うだけになった。

ゴリラは早起きになったので肌ツヤも良くなった。しかし、ゴリラの肌ツヤが良くなったことに気がついてくれる主婦友達はいなかった。それでも、承二郎の「キレイになったね」の一言で、ゴリラは天にも昇る心地がした。

ゴリラは投資も始めた。FX投資は普通の投資と違って、「買い」からでなく「売り」からも入ることが出来て、普通の投資よりもリスクが少ない。ゴリラは面白いように利益が出たので、「主婦でも年収1000万!?初心者でもできるFX!!」というブログを書いて、さらにアフィリエイト収入も得ることが出来た。

ゴリラと承二郎の生活は一変し、ついには夢のマイホームまで購入することが出来た。
そうして幸せな日々はいつまでも続くと、誰もがそう思った。




ある日のことだった。いつものように料理教室でのレッスンを終えて、家路につくところであった。

「俺を倒したい?」

料理教室の友達のエリコが、急にゴリラに話しかけてきた。ゴリラはなんのことか分からず、戸惑った。

「倒したくないわ。友達じゃない。」

エリコは続ける。

「俺を倒したい?」

その時ゴリラは気がついた。困惑するゴリラを嘲笑うかのようにニヤニヤしている、他の料理教室の生徒たちに。

「俺を倒したい?」

エリコはなおも続ける。

「倒したくないわよ!大切な友達だもの!」

さらにニヤニヤする料理教室の生徒たち。
気がつけばエリコまで、心做しかニヤニヤしているように見える。


ゴリラにとっては慣れっこのはずだった。

小学校では、給食当番にカレーライスをよそって貰えず、1人だけ泣きながらバナナを食べた。

中学校では陸上部に入り、ハンマー投げで都大会ベスト4に進出したが、好きだった先輩に影で
「室伏」と呼ばれていたことを知って、人知れずユニフォームを脱いだ。

高校の文化祭のバンドでは、本当はボーカルがやりたかたったのに「よくドラミングをするから」というだけの理由でドラムをやらされた。

なんどもなんども、自分がゴリラに生まれたことを悔やんだ。

なんどもなんども、来世は人間に生まれてくるよう星に願った。



そんな自分をはじめて愛してくれたのは、承二郎だった。

承二郎と出会ってからは、まわりのどんな雑音も気にならなくなった。

散歩に出かける度に、なんどもなんども「やいゴリラ」と罵られたが、慣れっこだった。

スーパーに買い物に行く度に、レジの店員に「あれ、バナナが少なくないですか?」とニヤニヤされたが、慣れっこだった。

料理教室でエリコから「俺を倒したい?」と言われて、困惑している姿をみんなから嘲笑われても、慣れっこだった。


そう、慣れっこのはずだった。




果物ナイフがいけなかった。




目の前にあった、果物ナイフが、いけなかった。





ゴリラは森に帰った。

それはエリコを殺めてしまった罪の意識からではない。

ましてや警察から逃げるためなどではない。

ゴリラは森の奥深くで、小鳥のさえずりを聴きながら、大きく深呼吸すると、つぶやいた。


「これが本当の『アマゾンプライム』ね……」


そうして、ゴリラは、ゆっくりと、YouTubeプレミアムを解約した。

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