テーマ:死なない身体は本当に幸せか?(1)

iPS細胞による人工心臓の作成という、遂に人類が生命のもとを作り出すことに成功したという興味深い記事が昨日掲載されていた。

https://youtu.be/uo3SbuSpDb8?si=dmrEJq_8QpN-9X4f

私は1度「延命」というテーマをもとに倫理的な観点から論文を書きたいと思っていた。人工的に作り出す生命がもたらす奇跡とは、どのようなものなのか。また、人生の終わりを操作するということは本当に赦されることなのか。そして今後世界へどういった変化をもたらしていくのか。
そういった道徳の確信に触れたいとする好奇心が私の中には存在している。
これは完全なる自己満足であり、人によっては不謹慎で尚かつ冒涜する行為であることは自覚した上で、何卒お許しいただきたい。内容もまた丁寧に丁重に扱わなければならないことを慮りたいと思う。

そもそも件の記事を取り上げることおいて最も注意すべき点は「心臓病で亡くなる患者を救う」という目的があって開発を進めている医療技術であるということだ。不老不死を目指す医療では無いということ、件の記事もそれを前提に読み進めて欲しいと思う。

とはいえ心臓病の死亡リスクはどの程度であるのか。まず5年生存率は50%。つまり心臓病に罹患した場合、5年以内に2人に1人は死亡するということだ。また、先天性の心疾患は調べによるとおよそ100人に1人の割合で引き起こる。
普段の生活習慣が起因となる心臓病には狭心症、心筋梗塞などがあり、喫煙や飲酒だけでなく過度なストレスが理由で罹患リスクが高まるということも知られている。つまり年齢を問わず、心身共に健康的でなければ"誰しも罹患する"可能性はあるということだ。

もしも心臓自体の移植が可能であれば、このような難病である心臓病が難病で無くなる日が訪れるかもしれない。何よりも、死と隣り合わせの状況で数少ない適応したドナーを待ち続け、処置が間に合わなくなるという最も苦しい事例も減らせるのかもしれない。
脳死以外の難病も治すことができたり。もしかしたら1度死を経験した人間を再び生き返らせることができるのかもしれない。人魚伝説に出てくる不老不死という言葉も現実味を帯びてきたと感じる。


人生において"死"という概念は逃れられないテーマであると私は思う。例えば身近な存在がの死という出来事を通じて
友の死。飼い犬の死。恩師の死。そして家族の死。生きていれば様々な死を目の前にする機会が出てくるであろう。その中で、私たちは死というものが悲しいということや遺されて生きることの大切さ、そして明日が来ることが決して当たり前ではないことを恐ろしさとして認識する。
そして何れは来る自らの死。単に肉体が死ぬという事実だけではなく。昨日までの思い出も全てが無くなるという未知の感覚への不安。愛する存在を遺して先立つことを悔いる想い。
言葉では表現しきれない感情の数々というのがそこには存在するだろう。
もしも死んでもまた生きることができるとするならば、あなたはどう思うだろう?嬉しいと思うか。辛いと思うか。
死と向き合うことは恐ろしく覚悟が伴うだろう。けれど、だからこそ何気なく過ごす毎日に疑問を抱いて、省みて前に進むきっかけに繋がるかもしれないし、明日は新しく何かに挑戦したいと考えるきっかけに繋がるかもしれない。

明日も仕事があるため、少しずつ書き足していこうと思う。ただ、一つだけ伝えたいことが今ある。
生きることは決して当たり前なことではなく、生きる中で嬉しいこと、楽しいこと、幸せなこと…それだけではなく時には苦しいこと、辛いこと、惨めに感じること、…これら全ての経験ができているのは今この瞬間を自分が生きているからだ、ということをどんな状況の中であっても決して忘れないで欲しいということだ。
何かを学ぼうとして今を生きていることを、辛い中でも思い出して欲しいと思う。

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