思考する時間

毎日生きる自分自身に言いたいことは、"死にたい"、"周りより出来ない自分が嫌いだ"と思う日があっても私は全然悪いことを言っているとは思わないけれど、晴れた日に洗濯物が干せること、食べ物の味を感じる余裕、人に感謝することが出来ることの喜びを忘れるのは勿体ないからよせということ。

昨日、会社で期限が近い防災食の米とカレーを貰ってきましたが、とても美味しくお腹がいっぱいになりました。
食べられるということはありがたいこと。
それで、父親に感謝をしました。昔は偏食が今よりもかなり酷く、「食べたくないから食べない」、と考えて作ってくれた食べ物に文句を言って手をつけようとしなくて怒鳴られてばかりでした。

大学への進学と共に母親と2人暮らしになり、今は1人暮らしで自炊をしていますが、料理は頑張らないと作れないものだと実感しましたね。
当時、父親は仕事をしていなかったので夜は父親が作ってくれていましたが、父親だって面倒に感じる日があったはずです。

私がいるからいつも2人分の野菜や肉などを買ってきて料理してくれて。それを食べたくないと否定したら何が残るのか。当時は食べ物が出てくるのが当たり前だと考えていたり、別のことばかり考えて気持ちに余裕がなかったという言い訳もあるけれど、改めてありがとうと伝えました。

実家での暮らし方に向き合うと時がたった今でも自分などいなければよかったと思ってしまいます。

母親はかけ持ちしていたコンビニから廃棄処分になってしまう弁当を貰ってきて別で個食でしたし時々私の分も食べるものを貰ってくると父親の機嫌が悪くなって「それ食ってろ。寝る」と言い出して寝室に移動したり。
(なんで弁当なんか持ってくるんだよ余計な気を回すなクソババア)ともう何から何まで空回りしていましたね。
今でもどう行動したら正解だったのかよく分からないです。

特にお互いが家の中にいる時は親のどちらとも話したくはなかった。
家庭内別居だと違う部屋に親がそれぞれいたとしても同じ家の中に絶対2人がいるというのが逃げ場もなくストレスですからね、6年間。

…未だに相当引き摺っていますねこれは(笑)
けれど、ひとつ言えるのはつまらないプライドを抱えていたせいで皆が素直にならなかったから罰として色々と苦労しているんだろうということです。

その後私が家族LINEを立ち上げまして、お互いがやり取りを続けられる程までには時間が癒してはくれて、またよりを戻すという方向にはなっています。私もこれには賛成です。2人がまた元気になっているのが分かるので。
私も笑顔の2人と過ごすと子供として帰ってきた安心感が湧いてきて心が暖かくなります。
ただ一緒に住む気は毛頭ないですが。

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