7月30日(木) 大きな感情

眠めな朝。『響け!ユーフォニアム』のサントラに収録された演奏を聴きながら何も響かない場所(会社の隠語)へ行き手を洗っていると親しみ深い○○さんがいた。今日も帰りたいと話し合う。
それから一日中○○さんとちょっとした会話を何度か交わし、ついに一緒に帰る約束をした。

時を戻そう。昼休みはバンダイチャンネルで『響け!ユーフォニアム2』を観始めた。1話から早速涙ぐむ。
女の子同士があそこまで親密になったり険悪になったりするのは過剰な演出のように見えるがなんというかそれがリアルな過剰さで、あり得ない訳ではない、いやよくある関係性じゃないかと思えてしまうのが面白い。
リアリティで言えばむしろ日常アニメの女の子達のようなふわっと一定の明るさを保つ関係よりもこちらの方がずっとリアルに感じる。

原作者が女性であることは大いに関係すると思う。以前Twitterで「女性は同性に大きな感情を向けるが男性にその傾向はない」という旨の話題を目にしたが、そうなのだとすれば「同性に向ける大きな感情」を描くのは女性的感性を持つ作家の方が得意なのだろう。
BLがここまで大きな文化になったのも、女性が「同性に向ける大きな感情」を描きたかった、描く力があった、そして女性がそれを読みたかったということなのではないか。

それで私もBLやブロマンスを楽しんでいたけれど、同じ力量で女同士の物語を見せられたらむしろBLよりずっと、ぐっと入り込んできた感覚がある。
今まで「百合」に萌える感覚を掴めなかったけれど久美子と麗奈を見て初めて、男二人に狂うのと同じ強度の熱を女二人に見出すことが出来た。これは初めてBLに萌えた約10年前のように、私の人生に絶大なインパクトを与える大きな転機だと感じる。また一歩成長した。

二人のことをふわふわ考えながら定時まで暇を潰しに潰した。
定刻の鐘がなるなりいつもなら孤高に突き進む道の途中で立ち止まり○○さんと笑いながら合流。初めて一人ではなく二人で退社した。
初めて外で語らいながら帰る。愉快だった。が、実はもうすぐで異動になりそうだと告げられて足場を失ったような気持ちになった。

話せば話すほど自分に近しいものを感じる素敵な人だった。彼女がいなくなったあの職場なんてやる気に溢れる社怪人しか残らないじゃないか。
働きたくないという想いを本気で話し合える、そんな素晴らしい相手にこんな場所で出会えると思わなかった。
いなくなってしまうなら逆に、プライベートで友達になりませんか?とそのうち言えるだろうか。私の気持ちもアニメのように過剰だろうか。「友達になりたい」すら過剰な感情に思えてしまうのが「大人」だとしたら悲しいことだ。だるそうなヤツは大体友達、と学んできたはずなのに。

今なら分かるんだ、休学ニート時代にアイドル現場で出会った年上の女性が、現場以外でも普通に遊びたいと言ってくれた気持ち。労働帰りでも毎日のように現場で盛り上がっていたオタク達の輝き。
どんな気持ちで日中を過ごし、どんな気持ちでライブに来て仲間の顔を探していたのか。今なら凄く分かってしまう。

そんなことを考えながら夜は過ぎていった。明日は早起き。夜はカレーだろう。

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