7月28日(火) 久美子と麗奈

朝があり、電車移動があり、昼が来た。
『響け!ユーフォニアム』10・11話を鑑賞。やはり毎話涙ぐんでしまう。

ここまで丁寧に生身の人間達を描いたアニメを他に挙げてみろと言われてもパッと出てこない以上、私はここまで丁寧に生身の人間達を描いたアニメに初めて出会ったということなのだろう。誰一人記号として処理されないことにずっと感動している。

それは現実の高校生の凡庸さを再現しているということではなく、この作品には激情に満ちた女や映画的な言い回しの変なシーンも多いのだけど、その一つ一つに今まで味わったことのない感触が詰まっていて面白い。だからリアリティが生まれる。
リアリティがあるから面白いのではなく面白いからリアリティがある、というのは敬愛する保坂さんの言説だが今『ユーフォ』に対してまさにそう感じている。

主人公の久美子にだけは本当の意味でリアルな凡庸さがあって、いかにも本当にいそうな(凡庸な程度に醒めていて、凡庸な程度に嫌な奴で、表面上は凡庸な良い子の)女子高生だなと1話から思っていた。
部活アニメの主人公としては逆に特異で面白いのだけど自分としてはシンプルに好きではないキャラクター像で、数年前初めて『ユーフォ』を観てみた時は多分1話でギブアップしていた。(もう少し観た記憶はあったけれど今回改めて観たら1話の記憶しかなかった。幼馴染みの男が川辺で久美子に話しかけてきた時点で異性愛の気配を嗅ぎ取り勇退したのだろう)

↓※以下、アニメ内容に言及あり※↓

ちゃんと観ていけば『ユーフォ』はとにかく丁寧な作劇のアニメで、部活のゴタゴタや人との確執といった負の部分も感情移入できるように、それでいて悪辣すぎない絶妙な塩梅で描かれていた。テンプレ的な異性愛が発動されるわけでもなかった。事前のイメージとはかなり違っていて引き込まれた。
かといって話数が進んでも久美子をあまり好きにはならなかった。が、対役である高坂麗奈の気高い美しさに気を取られてそんなに苦ではなくなっていた。麗奈との接触を重ねる久美子の少女漫画っぽいハラハラドキドキムーブは好ましく見守るようになっていた。
久美子は確かに凡庸な程度に卑怯でドライだけれど悪質さはなく、結構良いヤツな面もある普通の子だと段々理解していった。

それがあの夜以降、久美子と麗奈が一線を超えた8話の山登り以降全てが反転した。全て分かった。久美子の性格の難のように見えていた部分は、麗奈と一緒にいればたちまち魅力に変わるのだと。
麗奈といる時の久美子は性格の悪いままでいられる。凡庸な程度に卑怯でドライで、本当は頑固で口が悪くて、本当は度胸や尖った意志を隠し持っている、そんな本当の久美子に麗奈だけが気付き、引き出した。
久美子の性格の悪さは麗奈の隣に立つことでようやく輝きを持った。性格の悪い子が性格の悪いままでいられることにこんなにも心を揺さぶられるのだと初めて知った。(言うほど性格が悪いとも思っていないけれど)
いつもは穏便に、それなりに明るくにこやかに振舞う久美子が麗奈の前でだけは笑わない。笑わなくていい。もう愛想笑いを向けない。笑う時は本当の微笑みを向ける。少し過剰な見方かもしれないけれど、このことを考えると宇宙を考えるような遠い気持ちになる。

久美子は麗奈の前でだけは笑わない。
一方麗奈は久美子の前でだけは笑う。羽を伸ばす。孤独に怖気付く。子供っぽくなる。
このコントラストが真っ直ぐに胸を刺してくる。真に、尊い。
ありふれた男女比率の吹奏楽部が舞台で、久美子と麗奈それぞれに異性愛のフラグがあり、そもそも二人の関係にスポットが当たるシーンはそこまで多くないにも関わらず、ここまで強固な女と女のドラマを、これが世界の全てであるかのように克明に描き出す『ユーフォ』という作品、一体どういうことなのか。怖すぎる。
今までボーイズラブ作品でもガールズラブ作品でもましてや男女恋愛作品でも経験したことのない訳の分からない大きな気持ちに呑まれそうになっている。女と女の関係性にここまで魅了されるのは本当に初めてで頭が狂いそうになっている。

恐らくそれは結局話が戻るけれど『ユーフォ』が1話から守って積み上げてきた各人のリアリティ、吹奏楽部の物語としてのリアリティが、二人の交わし合う感情に物凄い説得力を与えているのだと思う。
精細な絵の描写も緊張感ある演奏シーンも楽器の音色も全部ひっくるめて、『ユーフォ』の画面を再生している間に伝わってくる全てが、そこから立ち上がる部員一人一人のあらゆる真剣な感情が、劇中最大の見せ場である「久美子と麗奈」の一言一言のやり取りに鮮やかな命を吹き込んでいる。
つまり全てのクオリティが高いからこそ作品世界が強固になり、そこで描かれる関係性に対して最大限の没入が成し遂げられる。

アニメーションのクオリティを妥協しない、その上で人間の感情から逃げない本当に真摯なアニメだと思う。(その作り手の方々になんてことしてくれたんだと、怒り、の一言ではとても形容できない念が増していく)
現代社会に疲れている視聴者でも軟弱なオタクでもストレスを感じないようにキャラをデフォルメして個性をテンプレ化して感情の揺れを一定の範囲に収めて観やすく仕上げたアニメ、それはそれで大好きだしそんなのばかり観てしまうのだけど、そういう作風では久美子と麗奈の持つ異常な輝きを絶対に表現できない。
私は今度こそ『ユーフォ』(のようなリアルな作劇のアニメ)が孕むストレスから逃げずに画面を観続けた、その先に、二人がいた。

まだ残りの12・13話を観ていないから二人がどうなるかは分からない。続けて二期や映画も観ていくし三期も予定されているけれど、私が輝きを見出した二人が続くとは限らない。いや続くと信頼できるけれど、私に多大なストレスを与えるような波が待っている可能性は十分ある。(異性愛絡みで関係がもつれるとか)
それでも目を逸らさずに、余すことなく、彼女達の生きる姿、奏でる音色、交わる心を受け止めていく。勿論久美子と麗奈だけでなく、北宇治高校吹奏楽部みんなの生き様ごと見届けていきたい。

自分がこんなに『ユーフォ』にハマると思っていなかった。周りから散々勧められていたのに今更遅いのだけど、今が運命のベストタイミングだったはずだ。
今日は夕方頃からずっと日記を書きたくないと思っていたが、日記を書きたくないのではなく『ユーフォ』のことを書きたいのだと気付いて書いたら滅茶苦茶になったが日記は、文章は、個人の滅茶苦茶さが滲まなければ面白くなく、面白くなければリアリティがない。
夜はカツ丼だった。久美子と麗奈を想いながら風呂って寝よう。そういえば『ユーフォ』でお風呂シーンを観た覚えがない。そういう所も好きだ。

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