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あなたが搾取されていると感じたのなら、そうなのです
ある学生さんがしてくれたお話。
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彼は2年前にオープンしたお店の立ち上げメンバーで、今はアルバイトのリーダーとして新人の指導をする立場です。
仕事は楽しく、人間関係も問題なくやってきたそうですが、お店が売却され、店長がオーナーになってから急にマイクロマネジメントされるようになりしんどくなった。
そして店長のある行動を倫理的に「無理」と感じて以来、最低限の業務以外の時間とエネルギーを使わないようにしている。雑談や「こうしたらいいのでは」という提案なども一切やめたといいます。
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人それぞれ「無理」なライン、許容できる範囲は違う。
その線を越えられたと思った瞬間「奪われている」と感じるようになる、でもそう感じることにも罪悪感もあるのだ、と。
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京都の実験寺院 寳幢寺の龍源さんにお会いした際に、近いことをお尋ねしたのを思い出しました。
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「それまで分かち合うことが喜びだった人から”搾取されている”と感じた瞬間、戸惑い、自分を責めて、相手を責めたい気持ちになります。
失ってしまった関係性が残念であるとともに、もう分かち合いたくないと思ってしまう自分が苦しいのです」
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そういう私に龍源さんは、目の覚めるような言葉をくれました。
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「あなたが搾取されていると感じたのなら、そうなのです。
だから分かち合いたくないと思い、そうすることは、相手が”搾取する”という罪を起こさせないようにしているのです。それは善行です。それでよいのです」
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このことを学生さんに話すと、「物はいいようですね」と笑いながらも、少し楽になったとおっしゃっていました。
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生きることは、人とかかわることは、喜び、同時に傷つくことであります。
私たちは不快を避けなくてはならないと思っているし、それを避けるための商品やサービスで経済は回っているといってもいいかもしれません。例えばお酒や娯楽もそう。
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「自分とは関係ない」と無関心になることで、不快を切り捨てようとする。
しかし感情はつながっているので、痛みだけを止めることはできない。
痛みを鈍らせようとしたら、同時に喜びも感じられなくなる。
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『周囲に惑わされず、自分の心に従いなさい。』と、お釈迦様はおっしゃった。
善行とまでは言わなくても、
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「私は搾取されたと感じた。そう感じてもいい」
「私は搾取されないように線を引いた。そうしてもいい」
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と、自分にあるものを許してもいいのだと、この対話で学生さんから教えてもらった気がしたのでした。
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