福永 武彦 愛の試み を読んで

この本は以前に一度読んだことがある。

大学の友人に薦められ、皆で読んで感想を話し合おう、といったような話だったと思う。そのときは、文量も少なく簡単な読み物だと思って一気に読みきってしまったし、たいした感想を抱くこともできなかったと記憶している。

この本を手に取ったのには理由があるが、それは言うまでもないことなので敢えて話す必要はないと思う。頁数にして100を少し超える程度のものだったが、読み終えるのに丸3日もかかってしまった。それほどにじっくりと噛み締めながら読み進めることができたと思っている。

自分なりの解釈も多分に含まれるが備忘の意味も込めて書き記しておこうと思う。


この本の主題は愛の試みというものだが、内容としては孤独について徹底的に言及したものである。孤独という言葉にネガティブな感情を抱く人は少なくないため、誤解を招かないように言っておくと、孤独とは紛れもない人間の現実であり、断じて消極的なものであってはならない。


孤独との対立、青春的な愛について

「人は魂のかすかな息遣い」=悲劇的な出来事に直面したとき、無気力に、怠惰になり、自分の心は鎖されたままになる。一時的、過渡的な孤独(病気や怪我、事業の失敗)であれば、原因が取り去られれば忘れ去られてしまう。それに対して最も危険なのは「本質的に他者から来る孤独」つまり人を愛することによって発生する欲望・嫉妬・欺瞞・自己憐憫・自己犠牲を含んだ感情である。こうした孤独は消極的な孤独と言われるものに他ならず、例えば、ひとつの愛に夢中になっている者にはそれ以外の愛は眼に映らない、とか愛することの少ないほうが、常により愛している者の心を傷つける(愛の量を比較するのはエゴの働きによるもの)といったことにつながってくる。

青春的な愛とは、普遍的な(両親、友人等からもたらされる)愛ではなく、特殊な対象を求める、未知の対象でなければならないと思う心の働きである。一人の特殊な対象を発見することで、却って自分の孤独が照らし出され、向き合う必要性が出てくる。しかし、愛するという経験の少ないものにとって自身の孤独と向き合うということは想像だにしない苦痛を伴うものである。そして最も簡単な救い、即ち対象からの愛を求める。本来、大事なことは他者からの愛を求めることではなく、自分の孤独を認識しつつ他者への愛の中に自己を投企することであるにもかかわらず。

愛の一側面には、自己の孤独を消し去り、豊かな自己を得たいという欲望がある。また、相手の心を捉えているという絶対的な自信があったとしても、不安からは逃れることができない。なぜなら、孤独は常に不安であるから。


自覚について

自己の孤独を無視して、相手のことばかりを考えている人間は、結局は相手の孤独をも無視しているといえる。孤独=不安、つまり自身や相手の不安と向き合うことができていない精神状態である。そして、自身の孤独と向き合えない人が他者の孤独を大事にし、傷を癒し、その空虚を埋めることができようはずがない。愛とは「相手の魂、即ち孤独を所有しようという試み*」に他ならない。そして愛するということは相手と同時に自分の存在を意識するということである。 *試みとはためしにやってみる、ではなく自己の危険を賭して挑むということ。

愛するということは途中で引き返すことができない。愛する対象を見出した瞬間から、人は自分の飢えと渇きを知る。それに対する最も簡単な救いは「愛される」ということである。心の弱いものは愛を求めることで痛みを忘れ、自己のエゴを慰めようとする。そしてその時 愛するという自覚もまた忘れられてしまう。愛することと愛されることは決定的に違うことであり、そこには恐るべき深淵が横たわっている。愛されるということは、その場に居る限りは安全であるが、愛することは常に危険な冒険に他ならない。

そして、その冒険に進む決心をしたのは紛れもなく自分である。ゆえにどのような結果を招こうともそれは自身の責任であり、相手の責任ではない。愛する、ということは極論をしてしまえば対象がどうであろうが無関係な感情である。しかし現実的にそのようなことができるほど孤独を強く保つことは容易なことではない。だからといって孤独から目を背けてはならず、よくよく自身の孤独とは時間をかけてでも向かい合わなければならない。


愛の試みとは

愛は一度しか訪れない、ということはやや非現実的である。しかし、孤独とは自身の生命であり、そこには始めも終わりも繰り返しもない。そして、愛とは成功すると失敗するとに関わらずこの孤独を(孤独自体を、孤独を見つめる自身を)強くする。

人を愛することによって強くなった孤独は、決して痛みのみを与えるものではなく、価値を持ったものである。弱い孤独によって愛した人間は、その愛もまた弱いものだ。

引用「夜われ床にありて我心の愛する者をたづねしが尋ねたれども得ず」  *旧約聖書 雅歌 第三章より

この言葉を著者は、人間の持つ根源的な孤独の状態を簡潔に言い表していると評している。愛するという危険な冒険に足を踏み入れる覚悟を持ち、自身の孤独を強靭なものに成長させることによって、豊かな愛は生まれるのである。

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